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void  作者: az
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2088年9月25日(土) その3

 空間が割れる。ガラスみたいに亀裂が入り、欠片が零れては消えていく。階段は遠くからだんだん弾けて、煌めいて、足場を残してなくなった。

 出てきたのはどこかの部屋だ。窓から覗く空はすっかり宵闇で、薄暗い部屋だった。タワー型のサーバが二台可動している。その隣に壮年の男が椅子に座って呻いていた。オレたちには気づいていない。白髪まじりの頭、それが後ろ姿であっても誰であるかがすぐにわかった。

「二宮正」

 ルネの声に肩が跳ねる。驚きに振り返った顔は憔悴しきっていた。写真よりも目尻の皺が深く、数歳老けたように見える。隈も酷い。

「DRだな。どうやってここまで……」

「あの無限階段システム? 壊したよ。下らないものつくりやがって」

 エマノンがつまらなそうに吐き捨てる。子供姿だから不貞不貞しいという印象だ。

「で、ドラッグプログラムはどこなんだい」

「くっ……。お、お前たち、ドラッグプログラムを奪いに来たのか!」

 二宮正は机にあったチップを庇うように立ち上がる。

 ああ、やっぱりあの量産型の安物チップだ。ルネと目配せした。現物がここにある。

「ま、まて。お前もしかして」

 非常に素早い動きだな。パッとオレの前に躍り出た。男が目を瞠って凝視しているのはオレのギアだ。掴もうと手を伸ばすが、当然透ける。

「違うよ」

 男は困惑の表情を浮かべて、やっとオレに視線を合わせた。

「オレは多々良涼じゃない。多々良涼は13年前に死んでいる」

「嘘だ。つい二週間前新宿で見たって……」

「それはきっとオレのことだよ。珍しいギアを持っているとあの辺では有名らしい」

「『ルネのお守りヴァン』で調べてみたらいいよ」

 エマノン、余計なことは言うな。

「嘘だ!」

 頑なに首を振る二宮正に、ルネはため息を吐いた。スクリーンを出して二宮正に差し出す。

「死んでるよ。だから探すのは無駄」

 男は崩れるように床へ座り込んだ。

「嘘だ。希望が。嘘だ。じゃあ誰が、誰があれを?」

 滑稽だ。

「娘が……」

 気持ちはすっかり冷めていた。自分から始めたくせに、散々煽っておいて、被害が出たら悲劇に見舞われたみたいな態度をとって、さらには娘を救うためのヒーロー気取りか? 自己欺瞞が。

 ルネが二宮正に歩み寄ってその姿を見下ろした。

「二宮正、ルネだよ。二宮聖から話を聞いたはず。ヴァンとルネでずっとドラッグプログラムを追っかけてたんだ。ソースコードがあれば、何とかできるかもしれないよ」

「ソースコード?」

 ははははは、口の端から笑い声が漏れる。

「そんなの無い。私にあるのはこのバイナリだけだ。何のために私が多々良涼を求めていたと思うんだ? 全部、全部! この革新的技術の理論を知るためだ」

 ルネを見上げる二宮正の目は血走っていた。

「これは学会で革命を起こす技術だ。偽装現実の常識が変わる技術だ。これさえ明らかになれば、地位も名誉も思いのままま、後世に名を残す研究者になれる! そう思って始めたんだ。」

「でも二宮正じゃ、わかんなかったんだよね?」

 ルネが首を傾げると、男の目から涙が流れ出た。

「わかんないから多々良涼を探し始めたんだよね?」

「ああ。そうだ。多々良涼に届かなくとも、話題になれば彼が出てきてくれると思った。ある程度は成功していたんだ。噂になりはじめた。なのにどうしてだ。人が死ぬだなんて。そんなつもりじゃなかったのに」

 エマノンはルネの隣に立つ。橙の瞳は恐ろしいほどに冷やかだ。

「姉ちゃん、確かにこいつのサーバにはソースコードなんてないよ。多々良涼の論文も。あるのはドラッグプログラムを分析しようとした跡」

「論文、そう論文だよ! 『偽装現実の精神作用』、これさえあれば私も娘も……」

「それも、お前じゃもう手に入らない」

 エマノンの冷静な声。

「いや、まだ、可能性は……」

 随分と頑なだな。ルネもそう感じたのだろう。二宮正の耳元に顔を寄せて囁く。

「お前には無理だよ。何の情報もない。多々良涼も闇雲にしか探せなかった。多々良涼が死んでたことすら知らない。出来ないよ。お前の娘は救えない。お前は救われない」

 娘はお前が殺すんだ。お前は自分を殺す。じわじわとルネの毒が染み込んでいくようだ。決壊するように、男の目は虚ろになる。

 限界がきた、その言葉が脳裏に浮かぶ。それほど二宮正は脆かった。

「あ……あ……」

「話してみなよ。最初から。どうやってこのドラッグプログラムを手に入れたのか。どうやって多々良涼まで辿り着いたのか」

 二宮正は半ば正気を手放したように感じる。止めどなく涙を流す目は焦点がぐらぐらと揺らいでいる。ルネの巧みな誘導で、ぽつぽつと語り始めた。


「山本一樹、知ってるだろう。偽装現実研究の先駆者、そして私の大学時代の先輩だった」

「ああ、MITね」ルネのつぶやき。

「すべてのきっかけは山本一樹の死だった。山本先輩にはよくお世話になっていたから、私はわざわざ帰国してまで葬式に参列した。氷雨が降っていたのをよく覚えている。そこで、今の妻と出会ったんだ」

 オレは昨日のデータを思い出していた。菅野絵里、todoro社の創立者で元CEO。彼女もアメリカから一時帰国していたのか。彼女と山本一樹は知り合いだった?

「妻は気落ちしている私に話しかけてくれたんだ。葬式の後、雑談を交わすうちに、お互いが近くに住んでいることがわかった。私はマサチューセッツのアパートメント、妻はボストン。アメリカに戻ってからも、交流は続いた。二人の間に恋の炎が灯るのにそう時間はかからなかったよ。私には当時すでに結婚していて不倫関係だったが、私たちの愛はその障害さえ燃え上がる材料にすぎなかった」

 エマノンが吹き出した。二宮正は淡々と続けた。

「ちょうど今から二年前、奈良国際大学から教授にならないかとのお誘いがきた。いわば、山本先輩と後を継ぐようなものだ。あの偉大な偽装現実の先駆者の。私は受けることにした。いい機会だからと、同時に元妻とも別れて、絵里と聖三人で新生活を開始したんだ」

 ところがどうだ。

「妻と再婚して、あんなに仲の良かった娘とも疎遠になってしまった。どうすればまた話をしてもらえるだろうか。不倫関係から発展した仲だったから、娘は心底私を軽蔑していた。もう娘の心を取り戻すには、もう一回尊敬の眼差しで見てもらえるには私が名誉ある研究者になるしかなかった」

『私はそんな名誉よりもほしいものがあったんだけどな』僕言葉に混じってポツンとつぶやかれたセインの言葉が蘇る。

 つくづくこいつはバカだ。

「そんな時、妻が山本先輩の遺品を見ながら言ったんだよ。『これ、何かしら』って」

「遺品?」

 ルネの問いに、二宮正は頷いた。

「あ、ああ。遺品だ。山本先輩は自分が亡くなった場合は私に研究の後を引き継いでもらいたかったみたいだ。葬儀に参加したのは遺品を引き取るためでもあった。その遺品の中にアレがあったんだよ」

 ドラッグプログラム。

「謎のチップが何枚もあった。他のチップはちゃんとフォルダに分類して整理されていたのに、あのチップだけは無造作にクッキーの缶に入れられていたよ。しかもデータは今の状態ではなくて、完全に壊れてしまっていたが」

 かつて、ギアとサーバ間のデータのやりとりはチップを介して行われた。ヘルメット型のギアなら尚更チップは不可欠だっただろう。

 ルネの瞳が煌めく。

「流石に日本は狭くてね。アメリカから大量の荷物を持ってかえったが、置く場所に困った。そこで荷物整理をしていたときに偶然妻が見つけたんだよ。それで、ふいに山本先輩が死の前日に来たメールを思い出した。『常識を覆す技術を発見した』ってね。予感がして、私はそのチップのデータを復元することからはじめた」

 それがおそらく今年の7月7日までかかったってことだ。

「ドラッグプログラムを使ってみて、その効果に驚いたよ。そして、山本先輩が死んだのは使いすぎて中毒者になって錯乱状態か何かでの自死だ。薬も扱い次第では毒薬になる。これはそれほどに強い薬だと思った」

 山本一樹の死はドラッグプログラムに寄るものとは思わなかったらしい。確かに、一度使ったぐらいじゃ想定しないだろう。

「だけど、どうして多々良涼なんだ。今の話だと、山本一樹が造ったことになるだろ」

 オレの当然の質問に、二宮正は壊れた笑いで返した。ふらりと立ち上がり、チップが無造作に置かれた机へ向かう。机の抽出しから、古びた封筒をだした。

 どこにでも売っている直径3号だ。茶色で、年月のためか染みがある。そこから二宮正は便箋を取り出した。無地のA4で、文字が印刷されている。

 『オマエガ否定シタ論文ノ証拠ハココニアル』

 クツクツとした嗤いが漏れ出る。

「これ一通じゃない。何通も何通も来ている。2077年1月15日から、2月26日の消印まで」

 ルネが封筒の裏を覗き込んで凍りついた。

「多々良涼!」


「そう、多々良涼が送ってきたんだ。彼が自殺したという噂は知っていたよ。だけど、消印は山本先輩が死ぬ直前の日付が最後だ。どうして彼が死んだなんて思うんだ? でも死んでいた。じゃあ、この多々良涼は誰なんだ?」

「そんな」

「そうだよ。私にもまだ論文を手に入れるチャンスがある。この、差出人を見つけさえすれば! 確かに私には無理かもしれない。だけど、ここまで辿り着いた君たちだ。出来るだろう」

 協力してくれ!

 顔面は涙に濡れ、薄っぺらい笑いを浮かべながらも、男はオレたちに頭を下げた。パラリ、と髪の毛が何本か落ちる。

 ルネは厳しい表情で二宮正を睨んだ。

 エマノンは胡散臭いものでも見るかのようにひょいっと封筒を掬う。AR化してジロジロと眺めた。

「姉ちゃん、これ見てよ」

 光に封筒を透かして、エマノンが指差した。

「ん?」

「ここ、宛名の一番下の」

「ふーん」

「何だよ」

 気になって、オレも屈んで二人の間に割り込んだ。

「なんだ、代行屋使ってるじゃないか」

 封筒には代行屋のサインが透かしになって残っていた。紙を二枚重ねにし、一枚目に文字を書いた時、二枚目にうっすらと文字が残る、あの状態だ。

「何でも屋だな。自分の死後処理を弁護士に任せるのはお金がかかるが、何でも屋を使えば安く収まるし」

「そうだね。家族にも知られたくないこと死後に処理してもらうために代行屋使う人は結構いるね」

「は?」

 二宮正も阿呆みたいに口を開けて封筒を透かした。「代行屋○」最後の文字はかかれている途中で封筒からはみ出してしまい、店名までは読み取れない。

「まさかまさか」

 二宮正は金魚のように口をパクパク開けては閉じる。

 エマノンは興味失せたようにARを消した。

「もしかして、多々良涼は代行屋に頼んで、自分の死後封筒を送りつけてもらってたってことなのかな」

「多々良涼、論拠はあったのに自殺して二年越しで復讐か? やるねぇ」

 あーあ、とエマノンは踵を返した。が、それも途中で止まる。

 二宮正が強く机を叩いた。

「そんな。それじゃ……。娘は? 娘? そんなことはどうだっていい。私はどうなるんだ! 私も! 使ったんだ。ドラッグプログラム」

「ちょっと!」

 ルネが止めようとするが、当然触れることなどできない。二宮正は何度も何度も机を、チップを殴った。

「私はどうなるんだ。死んでしまうのか? 何度も何度も、昨日も、発作があった。早く、早く論文を手に入れないと!」

「やめろよ!」

 エマノンが叫ぶが、二宮正は止まらない。彼の拳は擦り切れて血が滲みはじめた。どんどんチップが割れてゆく。まるで二宮正の心のように、粉々に砕ける。破片が手に突き刺さっても、二宮正は叫び、チップを、ドラッグプログラムを壊した。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」




 オレの隣でエマノンがぶっきらぼうに言った。

「こいつ、もう手遅れだ」

 オレたちの視線の先には、椅子に座ってぶつぶつと何かをつぶやく二宮正がいる。両手はだらんと力なく垂れ下がり、右手からは血が滴り落ちていた。だが、表情は恍惚として、時折頬が痙攣する。

 ルネがオレの袖を引っ張った。

「なんか、全部が無駄になっちゃったね」

 失望が滲み出ていた。

「帰ろっか。後はサイバー課に任せよ」

「そうだな」

 奈良の夜は冷えるからな。




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