2088年9月24日(金) その1
おもしろいもの、それが不吉な表現にしか思えないのは何故だろうか。
悶々と過ごすうちに、気づいたら早くも金曜日の21時だ。結局出かける気にはならずせっせと仕事をした。お陰様で依頼のあったアノ物はほぼ完成だ。
エマノンの薄気味悪い笑顔が思い浮かぶ。行かないつもりだったし、それが正解だと冷静な頭が告げる。だが、何があるのか気にもなっていた。いざ金曜日になってみると、そわそわしてろくに寝れやしない。ぞわぞわと動く蟲を消して、時計に視線を投げた。
「行くか……」
手首に古びたギアを取り付けて、ゆっくりと撫でた。座標は新宿西口で、捻る。脳内を駆け巡るパルスの後に現れるのは人ごみだ。今日は金曜日だから、特別会社勤めの者が目についた。すでに出来上がった酔っ払いが何人も駅へと消えてゆく。
周りを見て首を傾げた。
「何だ?」
実体のオレよりも少し小さい両手をポケットにつっこんでぶらぶらと歩きながら、疑問はどんどん積み重なっていった。
普段よりもDRが圧倒的に多い。大久保は一種DRの聖地になっていて、色々なDRが集まる。一方の一駅離れた新宿は、どちらかというと実体に人気だ。大久保と比べるとDRの数も減って、さらにはパンダやペンギンといった特殊な形状をしたDRもいなくなる。それがどうだ。今の新宿は混沌としていた。実体の酔っ払い、客引きのホストやホステス、うさぎの着ぐるみのDR、そして明らかにトんでるDRのジャンキー。
雑居なビルを前に一際輝く「歌舞伎町」の門、オレはそれを視界に入れて足を止めた。悲鳴が聞こえる。それも何人もだ。男の裏返ったものであったり、女の金切り声であったり。ぞくり、と嫌な予感がした。地を蹴って歌舞伎町へと駆け込んだ。強烈なデジャヴ、目に飛び込んできたのは暴れ狂うDRの群集だった。
「どういうことだよ」
ドラッグプログラムの乱用者がこぞって狂乱している。雄叫び、悲鳴、逃げ惑うDRを追うジャンキー。気にしていないのはチューナーをつけていない実体だけだ。
涎を垂らし、焦点のあっていなかった目が、立ち尽くしたオレに向いた。ぐるん、と大男の目玉が回る。
「おまえ……」
男はオレの腕を見ていた。
「おまえ、おまえ」
近寄る男に後ずさった。
「見つけた! おまえ! おまえがあああぁああああああああ」
筋肉剥き出しの大男がオレの前に躍り出た。陰がオレの顔におりる。グググググと口から異音を出していた。涎が地面にぽたぽたと落ちる。だが、一心に凝視しているのはオレのギアだ。
「おまえが、た、たた、たたらりょう、か!」
「たたらりょう!」
「たたらりょうがいた!」
「見つけた!」「たたらりょうを見つけた!」「たたらりょうだ!」「いた!」「こいつが!」
暴れていたDRは一斉にオレを認める。
「一体、何なんだよ……」
とん、と背が壁に当たった。
迫りくる手を間一髪で躱した。すぐさま背を向けて走り出す。
後ろを向いて血の気が引いた。DRの狂った集団がオレを追いかける。「たたらりょう」「たたらりょうが」「つかまえろ」「あそこにいる!」
段々と母数が増える。目の前にも、DRがオレを待ち受けるように構える。
「ふざけんな」
男の股を潜って背中を思いっきり蹴った。奴がDRの集団に倒れ込んだのは嬉しい誤算だ。でもな、オレは非戦闘員なんだよ。引きこもりなんだよ、足が痛えよ。悪態を付ながらまた足を動かす。運動不足がダイレクトに効いたようで、すでに息が苦しい。
「何で夜中に鬼ごっこなんてしなきゃいけないんだよ」
クソ、クソッ。汚い言葉ばかりが口に出る。クソ。
走りながらスクリーンを出した。簡単にニュースを流していると、驚くものが飛び込んでくる。
Fw:多々良涼を見つけたらドラッグプログラムをアゲルョ
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多々良涼を見つけろ。
多々良涼は新宿にいる。
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タチバナからの受信したばかりのメールだ。同時に爽やかな、だが若干焦りを含んだ声が流れる。これもヴォイスメールだった。
『誠、ドラッグプログラム利用者に一斉に送られてきたらしい。リカちゃんを傷つけたクソ野郎、阿部一郎が念のためにと連絡してきた。もしかしたらお前も狙われるかもしれないから、気をつけろよ』
遅い。
メールには、例の集合写真をくり抜いたものが添付されていた。多々良涼の拡大写真だ。手首にはオレと同じギア、GR001Bが着けられている。
「これか」
あいつらはこのギアを追っかけてきているのか。
多々良涼のギアはGR001Bだった。とは言っても、彼はtodoro社に勤めていたし、そのギアを所有していたとしても何ら不思議がない。
オレは舌打ちしたくなった。このギアは特徴的だから、いい目印になるのだろう。頭のぶっ飛んだ野郎たちに、オレが多々良涼でないと説得するのも難しそうだ。
エマノン、あいつはおそらくこのメールが今日流れることを知っていた。その上でオレをここに嗾けたのだ。解っていたのに、まんまと乗せられてしまった。オレは下唇を噛む。今はあいつに憤っている時じゃない。自分の不甲斐なさを嘆く時でもない。
スクリーンに気をとられて、足が縺れた。転びはしなかったが、バランスが崩れて足が止まる。
肩を捕まれた。強い力で引かれ、尻餅をついた。どろり、と涎がオレの頬を伝った。見上げた先にいたのはあの大男だ。
「なっ……」
集団に囲まれた時の恐怖心、それがオレの全身に侵食した。暗闇でいくつもの狂った眼がオレを射抜く。身体が少しも動かせない。震えさえない。ただオレは迫りくる手を呆然と見る。伸びる。手のひらがオレの顔を被う。
「不埒もの!」
大男が消えた。
「私の前で犯罪なんて」男が膝をつく。
「よっぽど自殺願望があるのですね」女が吹っ飛ぶ。
そして現れたのは白い生脚だ。
「ヴァンさん、大丈夫ですか?」
伸ばされた細い手首をギュッとつかんだ。
「助かった」
「いえ……」
頬を染めてはにかむのは、つい先ほど大暴れをした美少女だ。
「ハルカ、強かったんだな」
「こう見えても空手三段、柔道五段ですから」
彼女は清楚に微笑んだ。顔の横には握りこぶし、怖えよ。
息を整えてハルカの隣に並んだ。
「新宿が変だと通報があったんです。念のため来てみてよかったです」
「ありがとうな」
彼女は目を細めて周囲を見回す。もうここには狂ったDRとオレたちしかいない。
「でも、あいつらゾンビみたいに沸いてきますね」
「ああ」
ぞろぞろと周りからジャンキーが集まってくる。また囲まれるのも時間の問題だった。だが、ハルカが隣にいることで精神的余裕が生まれる。
どうします? と投げかけるハルカの視線に、オレは唇を釣り上げた。またスクリーンを出して、軽く操作する。
「まぁ見てろよ」
徐に目当てのものを取り出した。
「えっ」
真っ青になるハルカ。オレはますます笑みを深める。
「AR技師舐めんな!」
触手が広がった。オレの足元からはゾロゾロと蟲が湧き出る。今日の今日まで作っていたARだ。プログラムも導入済み。
臭い粘液を出しながら、触手がグン、と伸びた。触手1号は蔦タイプ。先端は蕾になっていて、穴に入ると開花するという恐ろしいものだ。あいつに捕まったらどんなノーマルでもドMになるだろうと思われる。マングローブ型の触手2号もアマゾンらしい特殊仕様になっていて、自分で言うのも癪だが、傑作だ。七緒さんの注文がビシバシと入った品で、その、男性向けだ。先端から色々と伸びるのだ。いいだろう、その効果、ここで試してやるよ。触手3号4号、……ありったけの作品を出現させる。蟲もバリエーション増やしたんだ。楽しんでもらわないとな。蔦がどんどんジャンキーを搦め捕り、そこに数多の蟲が這い上がる。
今のオレはさぞかし凶悪な面をしていることだろう。
「ドラッグプログラムよりも善い夢を見させてやるよ」
「ひいいぃぃ」
悲鳴はもちろんハルカから発せられた。
「ヴァンさん、鬼畜です」
不貞腐れたようにハルカは頬を膨らませた。女の子が拗ねた仕草が非常に愛らしいが、中身はハルヒコだ。オレは必死にハルヒコの実体を思い浮かべた。
ジャンキーはあらかた堕ちた。それを見届けてオレのARも消した。残ったのは新宿に似つかわしくない静寂だけだ。
「じゃ、行くか」
「……」
「なんだよ」
「あの、ヴァンさん、実はさっきから考えていたんですけど、DRで襲われたらとりあえず一回戻って別の場所に飛んだら良いんじゃないでしょうか」
その手があったか。




