2088年9月22日(水) その2
しかし、突然サイバー課を引き連れてルネの部屋に行くのは抵抗がある。元々ドラッグプログラムに関わる前までは、ルネとは外で合流するのが普通だった。オレはしおらしく涙を拭くハルカを前に諦観の念を込めて言った。
「それじゃ、公園で待つか」
「それには及ばないよ」
ふわりと幼女の天使が舞い降りた。
「ルネ」
空間から現れた彼女は、とん、と赤い靴を地面についた。髪がゆっくりと垂れる。今日は胸の下から大きく膨らんだ白いワンピースを着ていて、胸元の赤いリボンが良いアクセントになっている。ルネは周囲を見渡して、やおら首を傾けた。
「ヴァン。それにサイバー課、ここは目立つから移動しようか」
確かにオレたちは一種の見せ物と化している。外面だけは清楚で可憐な美少女ハルカ、かたやアニメ顔のヤヒロ、それにふわふわ幼女のルネだ。オレだけ平凡で場違いだが、ばっちりとこの濃い三人に囲まれている所為で他人のふりはできない。
すぐに座標が送られてくる。お馴染みとなったルネの部屋だった。
今日はどこかの基地のイメージなのか、今となっては見るのも珍しい大きなディスプレイが部屋一面に張られている。ボタンがいっぱいにならんだ大きなパネルがこれ見よがしに設置されていて、古典に出てくるSci-Fiのようだ。
「それで」
部屋の主はオレの膝に座って脚をぶらぶらさせている。いつものことなので為すがままとなっていたが、ハルカは『ペド!』と顔を引き攣らせている。いや、中身はオッサンだからな、ハルカ。
「要件は何かな、サイバー課三島晴彦、本村弘美」
ヤヒロはアニメのきりっとしたイメージをどことやら、へらりとした表情で頭を掻いた。
「いやぁ、さすが情報屋ルネっスね。今日のために作ったアバター、普段とは違うギア、回線を使ってるのに一発っスか。まぁ、あの上司は一発かもしれませんが、ぼかぁ正体不明の悪役ヤヒロって自信があったんスよ」
ルネが半眼でにやりと笑った。
「本村弘美が毎週かかさず『ぷんすかプリンセス』を三回見て、さらに先週やえちゃんの半裸抱き枕をネットで予約したのくらい知ってるよ。そういえば独自のクローラーで『ぷんすかプリンセス』の18禁を毎日探してるよね。サイバー課でどっぷり『ぷんすかプリンセス』に嵌ってるのは本村弘美だけだもん。分かるよ」
「ははは。ルネさん何かおすすめのサイト教えてくださいよ。ぼかぁやえちゃんが触手に捕まってあそこをぐじゃぐ……ッてぇ」
苦笑いするヤヒロの尻にハルカの蹴りがヒットした。
「自重してください、この変態」全くだ。
ハルカはそのままルネとオレの前に立つ。
「改めてルネさんの情報調査に参加という形をとれないでしょうか。実は先日手に入れた唯一のドラッグプログラムは不甲斐ない部下の所為でエマノンに奪われました。恥ずかしながら万全を尽くしてもサイバー課ではエマノンの攻撃を防ぐことはできません。こちらの情報は全てエマノンには筒抜けになっていて、つまりはネットへ流れ放題となっています」
屈辱を抑え込むかのようにハルカは唇を噛んだ。インターネット犯罪を取り締まるべき組織がハッカー一人に屈している、その現実を晴彦は受け入れた。
「それに、私たちがルネさんに協力するとなれば、ヴァンさんを通さなくてもスムーズな情報交換が可能です。メリットは大きいのではないかと」
これまでのヘタレっぷりからは想像できないほど、ハルカは屹然とした様子で告げた。真っ直ぐとルネに対峙するその姿は然りながら戦乙女のようだった。おいタチバナ、これも演技指導効果かよ。
「なるほどね」
ルネはぴょこんとオレの膝から降り立った。両手を腰にあて、見定めるようにハルカを見回す。
「話はわかったよ。でもどうして今のタイミングなのかな?」
ハルカはオレがあの恥ずかしい二つ名「ルネのお守り」であることを知っていたが、直接協力を仰いだことがなかった。それが今、こうして協力を仰いでいる。その意味はつまり……。
「まぁ、いいや」
開きかけたハルカの口をルネが片手を挙げて制す。
「ルネが欲しいのはドラッグプログラムのソースコード、あるいはその仕組みに関する情報だよ。それを邪魔しないなら今回は協力してあげる」
「ヴァンさんにはもうお話してありますが、私たちの目的はドラッグプログラムの流出防止です。そのためにばら撒いている人間をとっ捕まえるつもりです。ルネさんの目的がドラッグプログラムの配布にないとするならば、私たちはドラッグプログラムの入手・解析を妨害するつもりもありません」
「合法っスしね」
ルネは小さな手をハルカへ差し出した。
「取引成立だね。今回はヴァン経由でサイバー課には色々お世話になっているし、特別」
ハルカはルネの手をしっかりと握った。
「まず、ルネの状況を言うね。サイバー課がどこまで把握しているのかは知らないけど、ドラッグプログラム配布方法の一部に私書箱203が使用されていた。それも、特定のIPアドレス使用者に対して、ね」
「一部?」
ルネは頷いた。腕を振ってオレたちの前にスクリーンを出す。私書箱203やドラッグプログラム死亡者の情報が一面に表示されている。
「あの後、あらためてカインのIPアドレスを調べたら、まったく別のプロバイダを使用してたの。つまり、ルネが把握できている範囲で、カインだけはにおさん以外でドラッグプログラムを手に入れた可能性が高いってことだよ」
「そうか」
「このIPアドレス自体は12年前からプロバイダ、ウエストジャパンネットが買い取って使ってる。それまでは個人所有で使ってたみたい」
でもそこから先は手詰まりなんだ、ルネが唇を尖らせた。
「早めに見積もって2088年6月からのログを採取して解析しているんだけど、どれも利用者は一般の域を越えない。このIPアドレス使用者全てに送られているわけでもなくて、完全にランダムで送付者を決めているみたいなんだ。これまでのデータから共通性は見出せないの」
2日前から大した進展はなし、か。
「で、ハルカとヤヒロは何を掴んだんだ?」
何かわかったからこそ、こうしてルネを訪ねた。ハルカとヤヒロは目配せをした。
「ギアを身につけたまま死亡するって初めてのケースを見つけたんスよ」
「どういうこと?」
ドラッグプログラムによる死の特徴として、大抵発見された死骸はギアを身につけている。DR化したまま死亡したのだとオレは想像していた。
しかし、今更調べなくとも、ドラッグプログラムによる死亡が初めて検出されたのは2088年9月2日だった。それは以前ルネと一緒に見た警察の内部資料からも明らかだ。ルネも小首を傾げてハルカとヤヒロを見る。
ヤヒロはオレとルネの前にスクリーンを出した。
「実は改めて調査して分かったことなんスけど、ギアをつけたまま--DRで死亡ってのは2088年以前に一件だけあったんスよ。これがその時の調書と死亡検案書っス。当時は単純に心臓発作として片付けられたみたいで、詳しい検死はされてないっスね。もちろんこれがドラッグプログラムと関係あるのかないのかすら、わからないっスけど」
ピンク色の瞳にスクリーンが点滅する。
「2077年?」十一年前……。
「そうです。今となってはそんな昔のことを調べるのは難しい、だからこそルネさん、情報屋の力が必要です」
十一年前といえば、やっと一般向けの小型ギアが販売されはじめた頃だ。まだヘルメット型のギアをつけたDRが圧倒的に多かった時代だった。スクリーンの調書にも、ヘルメット型のギアを被った遺体が映っている。顔の代わりにすっぽりと黒光りするヘルメットが頭部にあり、うつ伏せの状態で床に寝っ転がっている身体。スーツだったが、スラックスから排泄物が流れ出ていた。
「死亡推定日2077年2月28日、同年3月2日発見。奈良国際大学准教授、山本一樹。享年37歳」
「当時の記録では、山本一樹はDRとギアの研究をしていました。奈良国際大学理数科物理心理学科山本研究室は当時tuz社の顧問にもなっています。いわゆるスポンサーですね。tuz社は有名なギアのメーカーです。単なる偶然なのかもしれませんが、ルネさんの意見が伺いたいです」
「山本一樹、まさか」
驚愕の表情を浮かべながらルネはスクリーンを引き寄せて、素早くスクロールした。同じく左手は別の端末を呼び出して片手でタイプする。
「京都大学卒業後MITに入学、2070年9月に博士号取得後、奈良国際大学の准教授に就任。研究のテーマはARの感覚共有化について。『サイエンス』2071年5月号に論文が掲載されている。ルネが知らないはずがない、DR第一人者の一人だよ」
ぽかんと口を開けたハルカをルネは見上げた。
呆然としているオレたちに向かって、ルネが講釈を始めた。
ARとは違い、DRはここ20年程度の歴史しかもたない。DRという概念が提唱されたのは2068年だった。発表したMITのプロジェクトメンバにも山本一樹は所属していた。ARが視覚の拡張というならば、他の四感についても拡張を行う、それがDRだ。2068年に発表されたギアはヘルメットすら技術維新だと思えるほどのもので、一番最初のギアは全身スーツ、さりながらアイアンメイデンのような装置だった。
DRは発表後有名大学にて研究が進められるようになる。MITを筆頭にNASA、スタンドフォード、オックスフォード、メルボルン、パリ、京都大学、筑波大学、そして奈良国際大学。
「この辺の経緯はインターネットの広がりと似ているね」
DR技術、ギアの発達とともに研究機関は増え、社会に浸透してきた。
「山本一樹は」
ルネは目を細めた。
「彼は当時こそ注目を浴びたけど、日本に帰国してからは輝かしい功績はあまりないよ。『サイエンス』の論文も院生時代のものを手直ししただけみたいだし。だからそれ以降はあまり業界にも出てこなかったみたい。彼の受け持っていた院生が自殺した時、少しだけ話題に上がったけどそれきりだった。ルネはてっきりまだ生きてて干されただけだと思ってたけど」
「山本一樹がドラッグプログラムの作成者ってことっスか? DRの研究者なんてバリッバリのストライクじゃないスか!」
「ん〜、どうだろうね。だってこんなに昔に死んじゃってるしさ」
とぼけた声を出しながらも、小さな手は素早く動いていた。目紛るしく変わるスクリーンに、オレたちは立ち尽くしている。
「山本一樹の関係者の可能性が高いかな、て」
ショートでもしてしまったかのように、ぴたっとルネの手が止まった。
「ルネ?」
スクリーンを覗き込んでみるが、何がなんだかわからない。ハルカとヤヒロも同じようで、顔を見合わせた。だけど、ルネの震える声でオレたちも同じように動きを止めた。
「あのIPアドレスの12年前以前の保持者と、山本一樹の自殺した院生、同じだ」
ルネの小さな唇が言葉を紡いだ。
「タララリョウ」




