2088年9月19日(日) その3
入店したのは奇妙な二人組みだった。店内すべての視線が扉に集中する。店員すらマニュアルのスマイルを忘れ、呆然と見入っていた。
まず視線がいったのは、最初に入ってきた男だった。一言でいうと、ダサい。ガリガリの身体にぶかぶかのTシャツを着ている。アニメ『ぷんすかぷりんせす』のやえちゃん(?)がプリントされたものだ。その下は着古したジーンズ。リュック、瓶底眼鏡、鉢巻、襟下まで無造作に伸びた髪。どこぞの古典漫画に描かれるオタクルックスそのままだった。
しかし、それだけならこれほどまでに注目されなかっただろう。正確に言えば、視線は男の隣に注がれていた。
彼女は、すっと細長い脚を差し出した。歩く姿はモデルのように優雅で、生きている芸術そのものだ。わずかに頬にかかった髪を流れる動作で振り払う。さらさらとした姫カットが彼女の頬を掠めた。美眉、長い睫、紅の唇は艶やかだった。ピンクのジャケットに白のワンピースが、彼女の艶やかな髪と白雪のような肌を映えさせていた。黒のブーツがよいアクセントになっている。オレはストローから抹茶フラペチーノを垂らしながら呆然としていた。
「あの、ARと普通のエスプレッソ一つずつ」
鈴のような声が店内に響いた。
「は、はいッ!」
我に返った店員は勢いよく返事し、エスプレッソ用のカップを震える手で用意した。
彼女は見事なアルカイックスマイルを店員に向けた後、店内を見回した。オレもやっと正気になり、慌てて目を逸らす。今日はこんなことばかりだ。橘と違って女性に縁がないからな。手持ち無沙汰にストローを回した。
「あの」
オレの前に影ができる。顔を上げると、先ほどの美人が立っていた。
「え……?」
「ここ、よろしいですか?」
彼女は小首を傾げた。両手には湯気の立っているエスプレッソがある。店は空席がほとんどだった。オレは顔に熱が集まるのを感じながら、必死に頭を回した。
「ま、ま、ま」
吃るな、オレ。
「待ち合わせをしているので」
直視できなくて、思わず顔を逸らす。
彼女はくすっと笑った。その瞬間空気に花が咲いたような錯覚がする。
「初心なんですね。ヴァン、でよろしかったですか?」
「え、あ、はい」
彼女とオタクは、オレの向かいの赤いソファに座った。ハルヒコにはこの店の赤いソファに座っていると伝えていたから、おそらくこのものすごい美人とオタクがサイバー課の仲間なのだろう。今更ながら、彼女の細い手首に巻かれているギアから、彼女がDRなのだと知る。隣のオタクは実体だった。
「は、はじめまして」
どうしても俯いてしまうのは仕方がない。半分に減った抹茶フラペチーノを見ることで、暴走している心臓を落ち着けようとする。
「ふふ、まだわからないんですか?」
「え?」
わかるもなにも。
「どちらさまでしたっけ」
オレはこんな極上の美人とお知り合いになったことがない。
「実体のヴァンはかわいらしいですね。私、ハルカですよ」
「は?」
思わず彼女を見た。ハルカ、ハルカ……。ハルカ=ハルヒコ。
「ハルヒコぉ?!」
指をさして叫んでしまった。衝撃のあまり、ソファからも立ち上がっている。ありえない。ありえないだろう。確かに、言われてみるとハルカと同じアバターだ。オレのコーディネートした姿格好だ。だが、あのゴリラみたいな雰囲気をかもし出していた人物と中が同じだとは到底思えない。ハルヒコが入ったハルカと目の前の彼女を並べると、美女と野獣という言葉がそっくり当てはまるだろう。それぐらいに違う。詐欺だ。中の人は嘘をついているに違いない。
一瞬で駆け巡った思考に追い討ちをかけるように、指さした右手をオタクにぎゅっとつかまれた。
「ぼかぁ感動しました! あのガサツな上司を1日でここまで仕上げることができるなんて」
「え、あの」
瓶底眼鏡の奥から、キラキラしたものが見える。
「機械オンチで全然使えない無能上司だから、嫌がらせに変なアバター与えてみたんスが、まさかここまで扱うようになるなんて、正直ぼかぁ驚きました。鈴木エーナ以来の傑作ッス。聞けばヴァンさんのおかげっていうじゃないスか。マジ感動ッス」
オレはまじまじとハルカを見た。笑みを浮かべてエスプレッソを飲む。
「私、あの時はじめて地獄はこの世にもあるのだと思いましたわ」
タチバナ、お前一体どうやったら一日でこんなになるんだよ!
「ははは」
熱は急降下、顔を引き攣らせながら、どすんとソファに座った。目の前の女優もかくやというほどの女性中身男性、何故かオレを尊敬の眼差しで見るオタク。頭がうまく現実を受け入れてくれない。
落ち着くために、ずずずっと抹茶フラペチーノを啜った。オーケイ。
「改めて、ぼかぁサイバー課の本村弘美っス。よろしくス。『ルネのお守りヴァン』スよね」
「ああ」
ここでも出た。『ルネのお守りヴァン』。脱力ついでに訊いておく。
「その、有名なのか? ルネは」
「知らないんスか?!」
極端に驚かれても困る。
「有名な情報屋っスよ。知らないものはないってほど情報持ってるんスが、気まぐれな上に情報量が高くて有名ス。扱いづらいので、情報を買うのも一苦労なんスよ。だから、いつも一緒にいるヴァンさんは奇異と羨望の意味を込めて『ルネのお守り』って言われてるんス。まさかヴァンさんが知らないなんて思わなかった」
情報屋だったのか。情報屋なんて漫画や映画の世界だけの話だと思っていた。どこかどす黒さを滲ませたあの幼女が情報屋、確かに言われるとしっくりくるが。
「はぁ」
ため息一つついて、オレは改めて自己紹介をした。
「ヴァンこと柳楽誠、よろしく」
必然的に本村弘美にフォーカスするのは、隣のハルカが目に毒だからだ。ハルヒコとわかっていても一挙一動にどぎまぎする自分が憎い。
「柳楽、誠!」
なんなんだよ。
「まさか柳楽誠さんスか! あの『触手クラブ』の!」
ぶはっとハルカがエスプレッソを拭いた。一瞬自が出たぞ。
本村弘美は額をトン、と叩いた。
「ヴァンさんが柳楽誠さんだったんスか~。はぁ。うれしいなぁ。ぼかぁ『密林少女』大好きなんスよ。あ、『密林少女』は押収したHDDにあったんスけどね。感動のあまりデータ買っちゃいました。あのビデオに出てくる触手、リアルすぎて。ぴたぴたと触手が少女の頬に当たるたび、少女が思いっきり顔を顰めるんスよね。粘液が臭そうで、いやいやって首を振るしぐさがたまらないっス。あれ絶対演技じゃないス。聞けば、『触手クラブ』で撮られたっていうじゃないスか。ぼかぁもうすっかり触手に魅入られまして、サイバー課チラつかせながら何度もオーナーに問い詰めてやっと作成者教えてもらったンすよ。それぐらい大ファンっス」
「……」
一気に巻くしたくられてよくわからなかったが、オレの作った触手でエロビデオ、だと?
「もちろん上司にも見せたんスよ。だけど、あの芸術がわからなかったのか、見事に吐いたっス。理解できないスなぁ。あのいぼいぼがじわじわと少女に巻きつきながらも、肝心な部分はじらすのがなかなか赴きぶかくて」
「そろそろ、本題に入りませんか」
心なしか、ハルカの顔色が青かった。口元を両手で押さえている。
何かを察したのか、本村弘美は顔を歪めた。
「DRになってまで吐かないでくださいよ」
「うう」
ハルカが落ち着くのを待って、オレは二人にチップを差し出した。ハルカはすっとチップへ手を差し出すが、すり抜ける。この辺はまだ実体の癖が抜けていないんだろうな。代わりに本村弘美がチップを持って、まじまじと見た。
「ほぅ、もしかしてこれがドラッグプログラムっスか」
「ああ、多分な。中にはバイナリが入っていた」
「チップ自体は確かにドラッグプログラムで使われてるものと同一スね。どうやって手に入れたんスか」
テーブルの上の抹茶フラペチーノはすっかりなくなっていた。エスプレッソも空だ。オレは背中をソファに沈めて、ぼんやりとチップを見た。
「甲斐綾乃、いるだろ」
「あの子」ハルカがつぶやいた。本村弘美も知っているのか、頷く。
「彼女、カインがオレ宛に送ってきた。倒れる直前に教えてくれた。どういう意図なのかまでは訊けなかったが……。自分でもヤバいと思ったんだろうな」
ハルカが顔を伏せた。長い睫が震える。
「甲斐綾乃は今も昏睡状態だ。病院側でも調査をしているが、原因は不明。ただ、血中のストレス成分の値が高いとは言っていました」
「そうか」
ガラス越しに朝日が差し込んできた。チップが金に反射する。
「サイバー課が抑えているドラッグプログラム使用者で生存しているのは、二宮聖、甲斐綾乃の二名のみ。うち、二宮聖は甲斐綾乃秋山このみ経由で入手との証言があるっス。となると、実際に鍵を握っているのは甲斐綾乃っスね」
「早く目覚めてくれるといいのですが」
「そうだな」
まぁ、と本村弘美が口を開いた。
「こいつが手に入ったからには、ぼくが何とかするっスよ。バリバリ解析してヴァンさんの友人救うっス」
チップを握り締めた拳で胸を叩く。オレは深く頷いた。
そろそろお開きだ。軽く意思を確認して、オレは立ち上がった。
「ああ、そうだ」
ハルカと本村弘美を見る。
「そのドラッグプログラム、エマノンも狙ってるぞ。オレのサーバにハッキングしやがったからな」
ゲッと呻きを漏らした本村弘美と、眉を吊り上げたハルカ。
「だ、大丈夫ス。ぼくのセキュリティは万全スよ」
「頼んだ」
ひらひらと手を振って、オレは店を後にした。
そうして、オレは抹茶フラペチーノ、エスプレッソ、チョコチップトッピングの料金を回収し忘れたのである。




