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void  作者: az
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2088年9月19日(日) その1

 訂正しよう。オレは決して無職ではない。

 税金も年金もきっちり納めている。辛うじて生活できるぐらいには稼いでいる。たとえ通帳の預金残高が常に一桁と四桁の間をさまよっているとしても、だ。

 オレはAR造型技師とか、AR構築師とかいったものを生業としている。非常にマイナーな職業なので決まった名称は定まっていない。単純に言ってしまえばARを作る仕事だが、これがなかなかに奥が深い。

 現実に存在する物体は様々な情報を持っている。外観、食感、触感、音、匂い、重さ、大きさ……、これらすべての情報が物体にはつまっている。AR化とはこれらの情報をすべて電子化することだ。現実に存在するものならば、スキャンニングでARに転化できる。しかし、現実に存在しないものは、情報転化ができない。作るしかないのだ。そこで、オレの出番になるわけだ。

 顧客の要望に合わせ、ないものを造る。例えば、触手を造るとしよう。触手で一番大切なのは触感で、固いのか、柔らかいのかだけではなく、細部のイボの出っ張り具合や引っかかり具合が重要となる。取り巻く粘液の年度、匂い、味もそれらしく加味しなければならない。オレが一番こだわったのは、粘液の分泌量で……って。

 つまり、存在しないARを作成するのは、技量と根性が必要ってことだ。2080年後半になってすら未だにアニメやマンがで登場するような大規模な「仮想世界」がないのも、すべて現実に存在しないARを作成する労力の大きさにあった。

 そして、一つだけ白状するならば、マニアックすぎる「触手クラブ」、触手の部分はオレが造った。食うに困って渋々受けた仕事だ。決してオレが触手に絡まれる趣味はないことが、お分かりいただけただろうか。とりあえず、仕事の出来を言うならば、消したい過去だ。何故か、あの仕事以来わけのわからない依頼が多くなったわけだが……。

 最初は小遣い稼ぎにやっていたものが、気づいたら本業になっていた。昼夜逆転の生活が抜けきれず、立派なフリーランス。仕事には波があって、今は抱えている仕事がない。一つもない。一ヶ月前からない。だが、決して無職でないことは強く主張しておく。




 それにしてもエマノン、どうせハックするのなら、ちゃんとオレの収入まで見てほしかった……。いや、惨めになるから見られないほうがよかったのか?


 オレは自問しながらせっせと手を動かした。

 現在、サーバの初期化を行っている。警察すら騙くらかしたエマノンのことだ。オレのサーバにも正体不明のルートキットを置いている可能性があった。ウィルススキャンぐらいでは出てこないだろう。これが一番手っ取り早いのだ。時間はかかるが。

「なぁ、誠。あのマシンもやっちまうのか?」

 隣で作業をしている青年が振り向いた。美丈夫すぎて眩しい。黒髪眼鏡の秀才そうな外観で、今みたいなラフな恰好よりもパリッとしたスーツのほうが似合いそうだ。

 橘伸吾、タチバナ。

 実体でもDRでも交流のある唯一の友人だ。

 同じ黒髪黒目の日本人なのに、どうしてここまで違うのかと世の中に絶望したくなる容姿をしている。若干背がオレより高かったとしても、わけの分からない敗北感は拭えない。

 伸吾は友人だが、あまり実体で会いたくない人物でもあった。特に外出した場合、引きこもりのダサなオレと伸吾の組み合わせはよっぽど奇異に見えるらしく、通行人にちらちらと観察される。非常に居心地の悪い思いをするのだ。たとえ部屋の中であっても、ジクジクとオレのコンプレックスを刺激する素敵な存在である。

 が、今日は別だ。サーバ二台の初期化及び環境のリストアは思っていたより大作業になったので、ちゃっかり呼び出して手伝わせていたりする。

「いや、あれはどこにも繋げてないからいいよ」

「そうか」

 部屋の隅に置いてある20年もののマシンがブーンと音を立てていた。今の情報処理には耐えられない低スペック、ネットワークにも繋いでおらず、滅多に触ることもないため、本当に電力を消費するだけの存在だ。だけど、なぜかオレは捨てられないままでいた。このファンの音が馴染んでしまっているのかもしれない。

「しかし、エマノンにハックされるとはな。冗談だよな」

「何度目だよこの会話」

 オレはうんざりしながらも、スクリーンに向かって手を動かす。インストール前の設定が面倒くさい。

「それにさ、エマノンなら初期化しても無駄じゃね? どうせまた入られるだろうし」

「うるさい」

 やるのとやらないのとでは、心情的にまったく違う。

「エマノンなら、案外ファームまで汚染されてるかもな」

 ピタっとオレの動作が止まる。それを横目に、伸吾がケラケラと笑い出した。完全に状況を楽しんでいる。ひくっとオレの唇が引きつった。

 ファームとは、サーバのハードとOSをつなぐコアな部分だ。BIOSといったほうがわかりやすいかもしれない。サーバの電源を入れたときに最初に動くプログラム。通常OSからアクセスされることはない。大丈夫だ、大丈夫……。

「やっぱ無駄すぎる。やめよーぜ」

「口より手を動かせよ」

 オレは一旦スクリーンを消した。設定が終わり、インストールに入った。終わるのは大体30分後だ。それからが大変なんだが。

「で、伸吾はどこまでできたんだよ」

 伸吾のスクリーンを覗いて、オレは思わず頭を殴った。

「いて」

「何見てんだよ」

 伸吾がスクリーンをすり抜けて膝をつく。画面に表示されていたのは、生々しい秋山このみと甲斐綾乃のキスシーンだった。

「まさか、誠にこんな趣味があるとはね」

「ねーよ!」

 頭をさすりながら立ち上がる姿も十分様になる。

「人のプライバシー何探ってんだよ!」

「普通やるだろ? エロ画像エロ動画エロゲーム。いくつ隠し持っているのか気になる」

「持ってないよ……」

 頭を抱える。伸吾の頭の構造がさっぱり理解できない。ロリショタペド御用達のいかがわしい風俗店『アリスの国』を経営しているのだ。ぶっ飛んでいるのは最初から分かっていたが。

「これはなーんだ?」

 でかでかと表示された写真に、オレは吹き出した。秋山このみと甲斐綾乃のさらに濃厚なシーンがスクリーンに映し出されている。

「百合好きなら言ってくれたらよかったのに。紹介するよ、ソレ系の店」

「結構です」

 深く深く深く、ため息をつく。

「この写真は、オレのDR仲間とドラッグプログラム被害者だよ」

「どういうことだ?」

「カインってやつと、カインに関係を強要していた少女だよ」

 そういえば、まだ伸吾には話していなかったなと思い出す。簡単にことの顛末を説明した。


「へぇ。俺が眠っている間にそんなことが、ね」

 半目でオレを見る伸吾。微妙に笑っているところに寒気を感じる。

 ひとまず作業を中断し、オレの狭っくるしい部屋に無理やり置かれたボロボロのソファに座っていた。伸吾の堂々とした寛ぎ方は、勝手知ったるなんとやら状態だ。

「ハルカの指導でくったくたに疲れてダウンした俺へ全く連絡もなく、起きてみたらすべてが終わっていました。もちろん報告はなし。ふ〜ん」

「ははは……」

 オレにはもう、苦笑いしかでない。

「でも解せないな。エマノンがなぜ誠のサーバに侵入したか」

「だよなぁ。オレ秋山このみと甲斐綾乃の情報しか持ってないし」

「しか、持っていないんだ?」

 ぱっと、オレの正面にスクリーンが映し出された。

「しか、ねぇ」

 オレは目を逸らした。完全に忘れていた。

 目の前のスクリーンには、ハルヒコから頂戴した警察の機密資料が盛りだくさんに表示されている。

 きっとエマノンも見ただろうな。セキュリティ事故だ。懲戒処分だ。ハルヒコ、すまん!

 心の中でハルヒコに陳謝しつつ、微妙に伸吾から距離をとっていく。なぜ美形の笑顔はこんなにも怖いのだろうか。

「で、これ、何?」

「ドラッグプログラムの被害者と思われる人たちの資料だよ。どうやら被害者は関西圏に多いそうだ。正直、もう手を引こうと思っていたから、ルネにでもあげるつもりだったんだけど」

「へぇ」

 ちらっと伸吾を盗み見ると、興味が機密資料に移ったようだった。実はそれもタチバナを引き合いにだして手にいれた情報なんだけどな。

「すごいな。これ。良かったじゃないか、エマノンの目的が分かって」

「は?」

 オレはよっぽど変な顔をしていたんだと思う。伸吾が整った眉をしかめ、眼鏡をぐいっと押した。

「この資料がほしかったんだろ、エマノンは」

「……」

 反芻する。エマノンはものすごく見当外れのことを言っていた。

「確か……、『君のドラッグプログラムが欲しいんだよ』とか何とか」

「持っているのか」

「なわけない」

「だよな」

 伸吾が黙り込んだので、オレはゆっくりとカフェオレをいただく。ブラックコーヒー派だが、カフェオレは別だ。牛乳:コーヒー=2:1にして、生クリームを少しだけ滴らすのがコツだ。砂糖は多めに。

「なぁ」

 伸吾はシリアスな顔をしている。

「なんだ?」

「どうしてエマノンは誠がドラッグプログラムを持っていると思ったんだ? 昨日の今日ってタイミングで、だ」 深夜0時を越えているが、寝るまでが9月18日だ。オレは頷いた。

「そうすると、甲斐綾乃との邂逅で、誠が思っている以上のことがあったんじゃないか?」


 脳裏にカインの姿を思い描く。強い意志を持った眼、揺れる三つ編み、時間切れだと言った小さな唇、華奢な肩、ゆっくりと倒れゆく姿。


 オレははっと立ち上がった。カフェオレが零れて手にかかるが、気にしてはいられなかった。


「新大久保、私書箱、203、そう言っていた」

「それだ!」


 お前マヌケすぎるよ、と伸吾に頭を叩かれた。痛い……。



「私書箱、なぁ」

 頭をさすりながら、オレは一人ごちた。

「郵便局はたしか10時からだったか」

 時計は午前2時10分前を指していた。

「受け取りに何がいるんだっけ?」

 オレはスクリーンに郵便局の地図を映し出し、経路を指で追っていた。大久保駅から徒歩5分といったところか。ふいに、奇妙に生ぬるい視線に気づいて、伸吾へ顔を向けた。

「何?」

 伸吾は半眼でオレを見ていた。わずかに唇を歪めていて、明らかに嘲った顔だ。

「何だよ」

 はぁ〜、と盛大なため息。伸吾の一挙一動が大げさだと感じるのはオレだけだろうか。

「なぁ、誠。お前それが郵便局の私書箱だと思っているのか?」

「それ以外ないだろ」

「……誠は変なところで世間知らずだよな」

「どこがだよ」

 ロリショタペド専用の風俗店をやっている人間に世間を問われるとは。いや、あの変態な店こそが、裏の世間なのだろうか。はっきりと分かるほどに顔を顰めると、伸吾は困ったように笑った。

「あのな、誠、私書箱ってのは何だと思う?」

「バカにしてるのか?」

「そう、箱だよ、箱」

「答えてねぇよ」

「その箱の中にはプライバシー満載の手紙なんかが入っているわけだ。もちろん不特定多数の人間に勝手に見られるのはまずい。だから鍵がついているのだよ」

「それぐらい知ってるよ」

「では質問だ。その私書箱の鍵は、誰が持っている?」

 伸吾は得意気に眼鏡を押し上げた。

「簡単なことだよ、ワトソン君。それは、郵便局の私書箱ではないというわけさ」

「……」

 伸吾は優雅にコーヒーを飲んで一息ついた。オレも合わせてぬるくなったカフェオレを口に含む。たかが私書箱ながら、わけの分からない敗北感を感じる。私書箱どころか、家のポストすら不要だと思っている寂しいオレの実状を知っているわけでもあるまいに。

「なんてな」

 にやり、と伸吾が唇を歪めた。

「は?」

 伸吾がオレの目の前にスクリーンを出した。どこかの業者のサイトらしい。でかでかと「私書箱203」と書かれてある。

「俺もよく利用するんだよな。におさん。ほら、子供たちにプレゼント送る常連さんとかいるんだけどな」

「へぇ」

「おかしみたいな愛らしいのから、アレな道具まで色々あるし。俺は自宅に絶対送りつけてほしくないから、使ってるんだ」

「アレな道具って」

「いるか?」

「いらん!」

 残念そうな顔はしないでほしい。オレは触手だけでお腹いっぱいなんだ。

 オレはサイトにざっと目を通した。具体的な写真はなく、ポップなメイド姿のイラストがある。「203ってなぁに?」という文字に触れてみたら、くるくるとメイドが動き始めた。

「へぇ、ギアを鍵にしているんだ?」

「おもしろいだろ」

 私書箱203はDR間のやりとりに特化したサービスらしい。実体を知らなくても、相手のギアのシリアルさえ分かれば、手紙や荷物の送付が可能になる。ギアを持って受取は近所の203へ行き、手続きを踏めば良い。ギアのシリアルは、ギアごとにユニークな数字を振られているので、実質DRの身分証明書みたいなものだ。

「まぁ、におさんは転送サービスも行ってくれるし、結構有名だよ」

 DRの普及とともに急速に広まったサービスで、登場してここ1年ぐらいなのだそうだ。オレが知らなくても無理ない話、のはずだ……。

 オレは軽く伸びをして、ソファから立ち上がった。

「24時間営業でも、この時間だと交通がないしな」

「朝までのんびりゲームするか」

「いや、サーバの作業に戻るぞ。戻ってください」

 伸吾を促し、やっとのことでサーバの前まで移動させる。

「仕方ないな。ほら」

 伸吾がでかでかとサーバの操作ターミナルをスクリーンに映し出したところで、彼の手首がぴこぴこ光っていることに気づいた。

「なぁ、それ光ってない?」

「え?」

 シルバーのブレスレッド型チューナーだ。

「悪い、電話だ」

「うん」

 伸吾がチューナーに触れ、通話回線を開く。オレは伸吾に変わってサーバのスクリーンに触れた。まったく何も終わっていない状態だ。軽くため息が出た。

「なんだって? ああ。わかった。……。すぐにいく」

 伸吾は声を抑えていたが、それでも漏れ聞こえてきた。短いやりとりだった。

「悪い、誠。店の方で急用だ。帰るよ」

 秀麗な伸吾の顔が歪んでいて、焦りが浮かんでいた。いつも伸吾が飄々とした姿しか知らなかったで、オレは単純に驚いた。

「ああ。助かった。ありがとう」

 実際は何も助かっていないのだが。

「どうなったか、連絡はちゃんと入れろよな」

 伸吾が拳を差し出したので、オレも自分の拳を合わせた。

 去り際に、伸吾がぼそっと耳打ちした。

「そうそう、におさんな、大久保のはすごいぞ」



「は?」



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