2088年9月18日(土) その2
病院にはARバリアがはってあって、入ることができない。オレは病院の前をうろうろと歩いた。大学病院で、十分に一台は救急車が入ってくる。夜だというのに賑やかだった。カインとサイバー課が病院に向かう姿を見届けて、オレはセインにボイスメールを送った。だが、セインから連絡がない。もう就寝しているのだろう。サイバー課は病院に入ったきりで、出てくる気配がなかった。オレは落ち着かなくて、歩く足が止まらなかった。
すでに午前1時を過ぎていた。
サイバー課は5分も掛からずに駆けつけてきた。まだ二十代の男性で私服だった。怒り肩でガニ股が特徴だった。オレはそれが誰だかすぐに分かった。
オレは厳つい顔を想像していたのだが、意外なことに彼は童顔で、それなりに端正だった。
「ハルヒコ」
ハルカことハルコヒはカインの横に屈み込んで呼吸を確認する。彼女はぐたっとしていて、何の抵抗もしなかった。
「大丈夫、息はしている」
ハルヒコはカインの指をゆっくりと外した。首筋に手のひらの跡がくっきりと浮かんでいる。彼女の呼吸は非常に浅くて、オレには死んでいるようにしかみえなかった。
「救急車がすぐに来るはずだ。連絡ありがとう、ヴァン」
「ああ」
ハルヒコが立ち上がった。
「今更だけど俺は」
「ハルヒコだろ」
宮島晴彦、落ちこぼれの素人サイバー課警部補だ。なぜそれを、とハルヒコは目を見開いたが、やっぱりバレバレだ。
「そのガニ股、直した方がいいぞ」そうしたらそれなりにモテそうだ。
オレのため息まじりに吐いた言葉に重なって、救急車のサイレンが聞こえてきた。
半月が西の空に浮かんでいる。高層ビルにその間を繋ぐ通路やモノレールの線路が、空を狭めていた。ビルを繋ぐ線が点滅していて、大きな遊園地のようにも思える。大学病院は郊外にあったので、神戸の高層ビル群がよく見えた。一回帰ろうかと考えながらも、ギアを捻られずにいた頃、やっとハルヒコが玄関に現れた。
「どうだった」
ハルヒコの目の下にひどいくまができていて、憔悴しているのがわかった。タチバナの特訓が効いたのかもしれない。
「ああ、ヴァン。少し話するか」
大学病院から三分程度歩いたところにある、赤と黄色のMマークが特徴のファーストフードレストランに入った。深夜であるにも関わらず、まばらに人がいる。ハルヒコはコーラとポテトを席料代わりに注文した。四人席に向かい合わせに座る。目の前に置かれたポテトの油っぽい匂いが、オレに空腹を教えた。
ハルヒコはポテトをごそっとつまみ、口の中に放る。おいしそうに咀嚼する姿に、オレは悔しくなった。シャクシャクとした音、ここのポテトは好物だ。ハルヒコはゆっくりと嚥下した。
そして、オレを見る。
「甲斐綾乃は意識不明で入院した。少なくとも重体ではないそうだが、ドラッグプログラムがどんな影響を与えているのか分からないので、当分の間は検査することになるだろう」
「ああ」
オレはほっと息をついた。まだカインは死んでいない。それが重要なことだ。
「ヴァン、君がドラッグプログラムに関わっているのはよくわかった。秋山このみ、甲斐綾乃……。色々教えてくれないか」
ハルヒコが偉そうな口調なのは、こいつが警察官だからだ。オレは両手で頬杖をついた。
「なぁ、ハルヒコ。その前に一つだけ確認したいことがあるんだが」
「何だ」
オレはハルヒコを見返した。
「サイバー課は一体何の容疑で捜査しているんだ? 現行法では、ドラッグプログラムに違法性はないはずだ」
これがわかるまでは、オレは口を割るつもりはなかった。カインとセインはオレにとって数すくないDRの友だ。
ハルヒコはため息をついた。日本人にしては茶色の髪を撫でつける。
「ああ。現状、使用者を逮捕することはできない。麻薬でもないし、ウィルスでもないからな」
「そうだろうな」
タチバナの予想したとおりだった。
「だが、ドラッグプログラムをばら撒いているやつらは、捕まえる」
「どうやって」
「『業務上過失致死』」
殺人の意図なしに人が死亡した場合、監督不届きで裁くことができる罪状だった。一般的に、人身事故を起こした場合に、刑事上の罪で問われる。過去に毒物の混ざった牛乳を販売していた会社のトップが、この罪状で逮捕されたことを思い出した。
「人が死ぬプログラムを配布しているんだ。摘要は可能だ」
オレはポテトを見つめた。ボックスから溢れた小さいポテトが一本だけ焦げていた。
「ドラッグプログラムと死因が関連付けられるのか?」
業務上過失致死は因果関係を証明する必要があった。
「それを調査中だ。俺はドラッグプログラムの死亡者をずっと追っていたんだ。他のチームもサイバー課の中でドラッグプログラムの大元を探しているが、現状、判明していない。生きている使用者すら見つかっていなかったんだ」
だから、甲斐綾乃は貴重な証言者になる。
「そうか」
サイバー課もほとんどドラッグプログラムの情報をつかんでいなかった。ドラッグプログラムの使用者が死亡することがある、というだけだ。
オレは甲斐綾乃と秋山このみの関係を暈して、大まかにこれまでの経緯を説明した。セインこと二宮聖の名前も出したのは、カインの言葉が気にかかっていたからだ。「アレは一回使ったらアウト」、そう言っていた。
ハルヒコはオレの言葉をレコーダに採った。
「つまり、その二宮聖という子も使ったことがあると」
「一回だけな。オレが知っているのはそこまでだ」
オレの持っている情報は出尽くした。サイバー課も手詰まりだ。後はカインの証言が頼りだった。
「ああ、そうだ。ハルヒコ。やけに駆けつけるの早かったよな」
何気なく口にした。サイバー課の本拠地がどこにあるのかは知らないが、東遊園地公園まで五分というのは早すぎる気がする。
「捜査でこっちに来ていたんだ。どうも、ドラッグプログラム関連の死亡者が西よりで」
「は?」
「あれ、言ってなかったか」
明らかに初耳だ。
「今まで使用者と思われる死体が14人いるんだが、現住所がほとんど京都、大阪、兵庫なんだ。それで、サイバー課で地域性があるのではないかという話になって、俺が実体で来ることにした」
DRは苦手だしな、とはにかんだ顔で付け加える。
「なんだそれ」
脳裏に警察の秘密資料が浮かぶ。オレが持っているのは何通だったか。
「おい、ハルヒコ」
オレはハルヒコの童顔に向かってにっこりと笑った。
「一人前のDRにする代償、何だったか覚えてるか」
「あ」
ハルヒコの顔が引きつった。そのくせ、すぐさまレコーダのスイッチを切る周到さだ。
「確か、ドラッグプログラムの情報だよな」
オレはにたりと唇を釣り上げる。
「それは調書も含まれているんだが」
ハルヒコの目の前に手を差し出した。くいっと指を折り曲げる。
「出せ」
何だか自分が悪人になった気がしないでもないが、これは正当な取引だ。このことがバレたらハルヒコが懲戒処分になるとても、だ。ハルヒコはサイバー課の落ちこぼれになるよりも、キャリアをとったのだ。リスクが生じるのは当然だ。そう心の中でつぶやきながら、ハルヒコからせしめたデータをオレのサーバに格納した。
「暗号化しておけよ。パスワードもつけろよ。誰にも見せるなよ」
オレにだって良心はある。多分。
すっかり冷たくなったポテトを、ハルヒコは一本ずついじけながら口に入れていた。オレは萎びたポテトは大嫌いだから、いい気味だと思う。
「で、出張はいいにしても、何で三宮なんだ?」
ハルヒコが顔を上げた。
「あの辺いいホテルが集まってるだろ。せっかく公費で泊まれるなら高いところがいいな、と……。憧れだったんだよな、神戸」
駄目だこいつ。いずれ不正かなにかで免職になるだろう。保証する。
空が明るんできていた。ハルヒコと別れ、オレは東遊園地公園に戻ってきていた。夜明け前だというのに、犬の散歩をしている人もいて、だんだん街が目覚めるのがわかる。小鳥の鳴き声が心地いい。
「さて」
オレは伸びをした。
サイバー課の最新の情報はオレの手のひらの中にある。ルネにこそっと渡すか、永久に閉まっておくか。どちらにしても、これ以上ドラッグプログラムに関わろうという気にはなれなかった。
カインと秋山このみの関係についてはあえて省いて、セインに簡単な顛末を改めてメールで送った。
セインの頼みは、『秋山このみがドラッグプログラムを使用し死亡した』真相を知ることだった。カイン関係は、彼女が生きているから直接聞けばいい。サイバー課も訪ねてくるだろうから、セインの問題も彼らが引き取ってくれるだろう。
ひとまず、調査は終わったことになる。
全てが解決し、清々しいはずの朝だった。だが、オレには何かが引っかかっていて、どことなく気持ち悪かった。何かを忘れているような気がして、それが何かを思い出せなかった。
突然、ぐぅ〜っと間抜けな音が響く。
「そういえば、お腹減ってたな……」
ハルヒコが食べていた熱々のポテトを思い浮かべた。やり残したと思っていたものは、これだ。
すっきりしたところで、オレは思案する。
寝る前のポテトはいかがなものか。いや、今日までオレはよくがんばった。そのご褒美だ。よし。
「喰うぞ!」
オレの宣言は、高らかに朝の空へ響いた。




