10:奪い奪われ
俺の中で〝アイツ〟が泣き叫んでいた。
魔王の手に握られた湾曲した剣は別の人間が持っていたものだ。その意味するところはひとつしかない。
〝アイツ〟も俺も魔王への怒りを抑えることができなかった。だが、心と裏腹に身体は思い通り動くことはなかった。力を発することができず、地面へ落下していく。なす術なく墜落して身体を打ちつけるのを目を閉じて想像すると、芯から凍える思いがする……。
「おっと」
聞き慣れない声がして、俺の身体が何かに支えられた。目を開けると、奇妙な顔が三つ、俺を見下ろしていた。
灰色の肌。切り傷のような目。人と同じようにある顔と、左肩から発達した枝のようなものの上に小さい顔が二つ繋がっている。
異形の者は俺を地面にゆっくりと下ろした。顔まわり以外は人と同じ構造だ。俺はこいつに両腕で抱き止められたのだ。
「ちょっと気をつけててネ」
そいつは俺に向かってニコリと笑いかけた。と言っても、左肩の二つの顔は怒りを露わにして、もうひとつは眠っている。
三つ顔は右手を胸の前に掲げて、手首から分銅のようなものがついた絃を垂れ下げた。その手を上空の魔王へ向けた瞬間、剣を持った方の彼女の腕が刈り取られた。
魔王が反応を示すよりも先に、切断されたその腕が三つ顔の左手に握られていた。
「こいつは君たちにはまだ〝早い〟から、ウチが預かっとくネ」
腕を捨てて剣を手に取る。
「何者だ、貴様!」
魔王が叫ぶとその身体がバラバラに砕け散る。と同時に、捨てられた腕から魔王の身体が生えて、鎌の切っ先を三つ顔の首に向けた。
「ごめん。今は戦う気ないからサ」
「質問に答えろ──」
魔王が鎌を引くと、三つ顔の身体は無数の粒に姿を変え、蠅の大群のようなそれが少し離れたところに再び集まって元の形に戻った。
「じゃあ、ウチはもう行くからネ。頭冷やしなヨ。ただでさえ役立たずなんだからサ」
三つ顔が空間に裂け目を作る。
「逃がさん」
魔王が急加速しようとするその瞬間に俺のそばにパープルブロンドの男が瞬間移動してきた。俺の手首を掴むと、聖女とのその従者の方を振り向いてそちらへ簡易転移魔法を発動した。
魔王がその赤い眼でこちらを睨みつけている。
身体がチリチリと爆ぜる。転移魔法の発現が始まっているのだ。パープルブロンドの男は従者の手を掴み、聖女へ手を伸ばした。
瓦礫の上に立っていた聖女は突然のことでバランスを崩していた。だから、差し出された手を掴むことができずに身を仰け反らせた。
「レヴィト様!」
従者が叫んだ時には、俺たちは別の場所に転移していた。辺り一面焦土と化した山間の街。ここがどこなのか考えを巡らすよりも先に、遥か彼方の空が轟いた。空間を引き裂くような音の尾を引いて、魔王の小さな身体が信じられない速度で飛来してきた。
「転移魔法に追いついた……?!」
パープルブロンドの男が絶望の表情を浮かべる。その全身に亀裂が入って、魔力が光を伴って噴き出した。
手にした鎌を振るって、魔王が怒りに燃える眼をパープルブロンドの男に向ける。
「アーガイルは私のものだ!」
パープルブロンドの男は膝を突くかと思われたが、そのまま魔力を放出して顕現した。一本の角に大きな羽根……禍々しい姿だ。
「第七魔王は引っ込んでいろ!」
魔王が開いた手のひらを握りしめて拳を作ると、第七魔王の身体の至近距離で無数の魔力の塊が爆発した。鈍色の身体からバラバラと外皮が砕けて飛び散る。
これだ。この圧倒的な力に、俺は抗う気力を削がれたのだ。立ち向かう心が挫かれる。
聖女の従者が叫びながら、どこからともなく長剣を抜き出して魔王へ突撃していった。
「邪魔だ」
魔王が片手を翳しただけで従者は襤褸切れのように吹き飛ばされた。それでも彼は剣を地面に突き刺し、立ち上がろうとする。
第七魔王が傷を再生し、魔王へ突っ込んでいく。両者が激突するその一瞬──
二つの力を真ん中で受け止める燕尾服の人影が突如として姿を現した。
「お二方、争っている場合ではございませんよ」




