2:異形の血に溺れる
頭の上に二本の角をあらぬ方向に生やした七本足の異獣は、徒に生えたような三本の腕を巧みに使って街を破壊している。異形のものだ。
私たちは人の流れに乗って、通学路に近い避難シェルターを目指す。だが、目的地が近づくにつれ、人の密度が高まる。
「夏彦!」
人波に飲まれ、掴んだ彼の手が離れていく。どういうつもりなのか、夏彦は人を掻き分けるようにシェルターから遠ざかる。
──あのバカ。
私は身を低くして方向転換すると、夏彦の後を追った。
人ごみを抜けて、歩道の端に彼の姿を見つけた。そばでは小さな女の子が泣いている。
「この子、親とはぐれたみたい! 放っておけないよ!」
「だから、シェルターに行かなかったのか」
向こうの方には、満員のシェルターから遠ざかっていく人々の姿が見える。
夏彦は女の子を宥めて手を握ると立ち上がった。
「駅の反対側にもシェルターがあるから、そこまで行こう!」
気乗りしなかった。
「近くのビルで身を潜めた方がいい。動き回って異獣に見つかったら終わりだ」
「この子の親がシェルターにいるかもしれない! 安心させてあげなきゃ!」
夏彦は聞く耳も持たずに女の子と走り出す。
「バカ! むやみに走るな!」
物凄い轟音がして、少し離れたビルの上半分が吹き飛んだ。大質量の構造物が車道に落下して地鳴りがする。
異獣から夏彦たちを遮るものが消えた。異獣の意識が手を繋ぐ二人に向いたのが私にも分かった。
異獣が地面を蹴って飛び上がる。夏彦たちを追って私も走り出したが遅かった。
地震のような揺れと大音声と共に異獣が着地して、その巨体で夏彦たちが見えなくなる。
「夏彦!!」
轟々と風を切る音がして、少し離れたところにまた大質量のものが落下した。
異獣が音の方向に意識を向ける。その巨体の向こうで夏彦たちがこちらを振り向いていた。
「早くシェルターに行け! 私も行く!」
夏彦が親指を立てて女の子の手を引いて走って行く。
その時だった。鈍い衝突音が街中に響き渡った。異獣の顔に拳を叩き込む骨ばった巨人──骨骼兵器・建御名方だ。
──いつも来るのが遅いんだよ。
巨体をものともしない素早さ。振り上げた踵で角の一本をへし折る。数メートル先のアスファルトの道路に角が突き刺さる。
ここは戦場……危険だ。
メキメキメキ……と巨木が折れるような音がして、建御名方が異獣の腕を一本引き千切った。赤と白の色合いの巨人が千切った腕を投げ捨てる。
近くに落ちた腕から迸った青い血が私に降りかかる。髪も身体も制服もバッグも、青くベトベトした血で汚れてしまった。悪臭に包まれ胃の中をぶちまけそうになる。
前後不覚になっていると、頭を失った異獣が雷のような音を立てて崩れ落ちた。
見上げると、私と同じように青い血を浴びた建御名方が所在なげに立っていた。
複数のヘリの音がして、軍の戦闘服に身を包んだ人間たちがロープで降下してきた。
「民間人を確認!」
「汚染されてるぞ!」
私はあっという間に銃を構えた連中に取り囲まれてしまった。条件反射で両手を挙げてしまう。私は何も悪くないのに。
ドシンと音がして、建御名方が両膝を突いた。糸の切れた操り人形のようだ。その胸に亀裂が入って、奥から華奢な少女がズルリと滑り落ちた。そのまま動かない。
「朝霧と汚染者を確保しろ!」
防護服に身を包んだ連中が現れる。
銀色のシートで乱暴に包まれる間、私は何も分からないまま身を任せていた。ストレッチャーに寝かされ、ドクターヘリに運び込まれてしまった。建御名方から出てきた少女が私の隣に並ぶ。
「朝霧と民間の汚染者を収容」軍人が無線で連絡している。「五分で帰投する。除染準備を頼む」
グンと身体に重圧がかかる。ヘリが飛び立ったのだ。身体にこびりついた悪臭に包まれて、私は眠りに落ちていった。




