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第1章と第2章の幕間:幸福の花

~アーガイルが勇者として旅立つ少し前~



 (ふち)の石を踏み抜いたスカーレットは(すん)でのところで足元に突き出た岩を掴んで事なきを得た。

 いつか彼女の腕を掴んだアーガイルの姿はここにはない。誰にも内緒で夜の山にやって来たのだ。


 戦いの準備は整えてあるが、魔除(まよ)けになるシャニダールの花から抽出したエキスを全身に振りかけてある。


 立ち上がったスカーレットは頭上を見上げる。雲ひとつない夜空に無数の星が瞬いていた。


 ──早く〝願いの(くちばし)〟へ……!


 今夜が星が降ると知り合いの占星術師に聞いて、スカーレットは準備を進めてきた。

 山の中腹にある〝願いの嘴〟と呼ばれる突き出た崖には幸福の花が咲くらしいという噂があった。

 もう今夜しかチャンスはない。スカーレットは微かに息を切らせながらも、山の斜面を勢いよく登って行った。


 幸福の花は星降る夜に咲くと言われている。かつてはそれを求めて多くの人が夜の山に分け入ったらしい。昨今では、魔物が活発化し、そういった人々を見ることも(まれ)になって来た。だからこそ、幸福の花は高値で取引されるようになり、今や庶民はお目にかかる機会さえなくなってしまった。


 それでも、スカーレットには諦めきれない思いがあった。


   ***


「俺、勇者に選ばれたんだ」


 アーガイルはそう打ち明けるように言った。その深刻そうな顔にスカーレットは笑ってしまった。


「街のみんなが知ってるよ。おめでとう。すごいことじゃん」


 ここ数百年見ることのなかった傑物(けつぶつ)

 アーガイルはそう評されていた。


「でも、びっくりしたよ。アーガイルにそんな才能があったなんて」


「なんだ? 嫌味か、それ?」


「違う、違う! ずっと一緒だと思ってたのに、なんだか遠い人になっちゃったなと思ってさ」


「俺は変わってないと思うけどな……」


 スカーレットもそう思っていた。

 彼女の前でアーガイルがまじまじと自分の両手に目を落としている。まるで、自分の力を他人事のように感じているかのように。


「無理はしないでね。すぐ帰って来たっていいんだから」


「ああ、少しずつ魔王城に進んでいこうと思ってるよ」


 ──必ず生きて帰って来て。


 スカーレットはその言葉を飲み込んだ。あまりにも大袈裟なんじゃないかと思ってしまった……いや、心の内を晒すのが急に気恥ずかしくなったのだ。


   ***


 どこかで大型の獣か魔物の声がした。

 息を潜めて身を低くし、〝願いの嘴〟へゆっくりと()うように進み出た。

 そこに立つと、夜空の全てが見えるようだった。すでに幾筋(いくすじ)かの流星が天球に軌跡を描いている。

 そよ風の中、嘴の上に敷き詰められるように生える草の中に、その花は凛として花弁を星に向けていた。


 ──幸福の花だった。

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