第9話 都会の悪魔たち
都会という名のコンクリートジャングル。一度は言ってみたいフレーズである。それだけキャッチーな物言いであり、真に迫る勢いを持っている。逆に言えば無知な田舎者を都会から遠ざける為の威嚇行為にも感じられた。
しかし若さとは無謀だ。同時に勇敢でもある。エネルギーがプラス方向に溢れ出るうちは好奇心が恐怖心に勝ってしまうのだ。けれど恐れが無くなるとは話が別だ。
「いつか東京とか行ってみたいよねぇ。渋谷とかさ…」
目を爛々と輝かせて将来を語る彼女は希望に満ち溢れていた。布団の中に篭り懐中電灯の光だけが頼り。声のボリュームを抑え秘密の夜会が開催される。
その蒸し暑さはむしろトークを盛り上げる。臨場感が増すのだ。大自然の安らぎから都会に建ち並ぶ高層ビルの殺伐とした環境。それに堪えるための修行なのだ。汗は頬を伝って布団に染み込む。それでも話は止まらない。
「そうだね。できれば日本中を旅したいよ…」
「日本中?それも良いけど、うちみたいな田舎は嫌よ。楽しい所に行きたい…」
僕らの無知を満たす施設はこの村にはない。学校内にちょっとした図書館があるが最新の情報を仕入れる予算なんてないに等しい。
周りの大人達はまだガラケーが主流の世代だ。彼らにとってスマホは遠い見知らぬ世界のことである。実家に唯一あったノートパソコンは埃が被らないように可愛い布が被され、その上に招き猫の置物がある。それは微動だにせず、もしも位置がズレようものならポルターガイスト現象意外に考えられない。そんな小学校時代だ。
2人が得られる最大の情報源はテレビだった。全国放送から垂れ流されるマスに向けた情報群。そのどれもが役に立たない。知りたいのは流行の最先端ではなく。そもそもどうやって東京に行くか。そんな基本的なことすら情報統制が為されているのである。
つまりまだ幼い2人にとって田舎とは独裁国に他ならず、亡命以外に真の自由は得られないという事だった。
「夏休みになったらさ、電車に乗って何処かに行かない?」
「それ本気?」
「もちろんよ。私に良い考えがあるの。協力してね」
拒否権はない。けれど僕は彼女の勇気にとても感謝することになる。今にして思えば何のこともない、ただの移動だ。それでも当時の僕らにとっては大冒険だった。
それから僕らはちょっとした遠出の為に両親を説得する事になる。凡ゆる手段を駆使し、駄々をこねたのはもちろん。何のために電車に乗るのか。そしてそれを達成する為のプロセスと目的を熱く語ったのだ。
作戦の首謀者は姫であった。けれど僕はそれ以上に情熱を費やしたと思う。別に彼女が根負けしたとかそういうわけではない。単純に自信満々に語った「良い考え」に中身が無かった。そんな悲しい現実が待ち受けていただけだ。
僕らはバカだった。彼女が考えた案は大人の前ではただの茶番でしかない。「電車に乗る練習がしたい」と説明しても「まだアンタ達には早い」の一点張りで話は終わってしまうのだ。
大人達は聞く「じゃぁ何でそんな事をする必要があるの?」と。そこで「いつか都会で暮らしたいから」何て正直に答えようものなら理不尽な説教が待っている。
彼らは大自然の篤信者であり、都会に住む人間は皆、悪魔であるかのように語るのだ。しかし大好きなアーティストや芸能人は別である。田舎者は往々にしてテレビっ子の習性を持っているのである。そして僕と姫は作戦を練り上げ、矛盾だらけの大人達を納得させる方法を模索したのだ。
「電車に乗る練習は理由としては薄いみたい。否定から入るから困ったなぁ」
「パパもママも信じられない!別に良いじゃない電車に乗っても!理由がないと乗っちゃダメなの!!」
「多分そういう事じゃないと思う」
「じゃあ何とかして!」
姫はご立腹のようだ。けれど頼られていることは間違いない。彼女の心を掴むためなら何だって頑張れる気がした。
「多分ね。何で乗るのかの前にどうやって乗るのかを説明してないからだと思うんだ。僕が父さんならそこを説明してほしいと思う」
その通りだ。あの時の僕は冴えていた。今ならそれが人の心を掴む為に必要なプロセスである事を知識として知っている。けれど素からそれを編み出すとは流石である。自己肯定感の塊みたいなことをつい考えてしまう過去の場面だ。
「何それ?何でいちいちそんな聞かれてもない事を言う必要があるの?」
「それはね。信用される為だよ。父さんも母さんも不安なんだ。僕らが行き方もわからないのにとにかく行きます!!じゃあ、心配でダメってなるよ」
「…確かに。そっかぁ…うーん…」
そして僕と姫は電車に乗る為のリサーチ作戦を決行するのであった。