第8話 住み分け
そろそろ日が暮れてくる。胃もたれを起こした親父達はバーベキューコンロの前で陣を取る。モクモクと焚かれるタバコの煙と寒い親父トークに花が咲く。大人になれば多少は話に入れそうだが、愚痴り合いと揶揄の飛び交う人間関係は正直苦手である。
炭は白くなり火は今にも消えそうだ。もう誰も食べようとはしない。朝から食べ続きでお腹に何も入らないのだ。食材はまだある。クーラーBOXの中に食べきれずに放置されている。集まった仲間がこぞって持ち寄ると凄い量になった。しかし小腹が空いても男達の吸い殻がぶち込まれた火の上で食材を焼くなど考えられない。
「パパ達楽しそうねぇ」
フォールディングベンチを二つ並べ、夕暮れを見ながら姫と横になり雑談している。母親達は忙しなく働き全員でキャッキャウフフしながら片付けをする。一方、父親達は準備はすれど後始末は手伝わない。流石にキャンピング用品は大事に仕舞うだろうがそれまでだ。
「男と女って何処もそうなのかなぁ」
「ん?僕はずっとトモちゃんのそばにいるよ」
僕は少し勘違いをした。父親と母親でグループ分けされて別々に離れて過ごしている。それの事を言っているのだとこの時思った。家と庭の中間地点。この位置にいるからこそわかる。お互いにお互いの悪口を言い合っているのだ。だから僕もいずれそんな男になって誰かの悪口ばっかり言う大人になんかならない。そんな気持ちが込められていた。けれどそれは違っていたようだ。
「何それウケる。アンタとずっと一緒なんて…まぁこの話はいいわ…」
急に耳を真っ赤にして勝手に照れ始めた。ようは家での役割を夫婦で線引きして男は台所に立たない!みたいなスタンスが気に入らなかったのかも知れない。何故赤くなったかは今も不明だ。
「トモナ!!アンタも手伝いなさーい!!」
お勝手から顔を覗かせて彼女の母親は叫ぶ。どうやら子供時代からでも女子男子で棲み分けが始まっているらしい。
「はーい!今行く!」
渋々と起き上がって女のテリトリーへ行こうとする。僕はその手を掴んだ。「僕も手伝うよ」そう言って引き留めた。
「…やっぱアンタって普通じゃないわ。変わってる。でもそれはやめた方が良いかもね」
姫は元々別の場所に住んでいた。当時通っていた小学校は一学年が数百人。一クラス30人以上だったらしい。僕には信じられない世界観だ。それを「楽しそう」と言っても彼女は「そうでもない」と言ったきり詳しい事は教えてくれなかった。
この後すぐに彼女が言った忠告の意味を理解する。勝手口から一緒に入り、姫のお供として現れた僕を母親達は「あらあら僕ちゃんも着いてきたのかい?」と途轍もないアウェー感を醸し出した。
「男の子は良いのよぉ〜」
「向こうでお昼寝でもしてのんびりしてなさい」
「男は台所に立っちゃダメなの!ブッブー」
他の奥さん方が腕でバッテンを作り、明らかな拒否反応を示した。それでも納得できなくて「何で?」と聞き返してしまう。慌てて母さんが駆け寄ってくる。謎の大事に発展している事を当時の僕は教え込まれていくのだ。
「ダメでしょ!ほら!」
若き日の母さんは外に顔を出して父さんを呼んだ。
「あなた〜!この子をおねがーい!!」
「おぉ?コラ!ダメじゃないか。台所は女の縄張りだぞ!」
何故か凄く怒られた。掟を破った者の末路である。農家同士の戯れが過ぎ去ると、子供だけの時間がようやく訪れる。彼女は家に帰りたくないと駄々をこねた。今日は土曜日で明日はまだ日曜日。
「やだ!お家に帰りたくない!今日はここで泊まるの!」
「うーん。どうしましょ」
お互いの両親が目を合わせる。姫の父親が珍しく肯定的だったのが功を奏したのか。その無茶なお願いは、無事許可される。
「迷惑かけちゃダメよ。お手伝いもちゃんと出来る?」
「大丈夫!出来る!」
意外に強気だ。けれど僕の両親の前だと確かにいつも良い子である。そう言った社会性を彼女は身につけているのかもしれない。
仏間の隣の和室。そこに布団を敷いて一緒に寝ることになった。つまりお泊まり会である。何故和室が二間で繋がっているかと言うと、法事やお寺の坊さんが来た時に二間を開放して村中の住民が手を合わせに詰め寄るのだ。そしてお経を読む習慣があった。
仏教には様々な宗派がある。大きく分けて浄土宗と日蓮宗がある。前者は「南無阿弥陀仏」と唱えるが、後者は「南無妙法蓮華経」というお経を読む。僕の家はその後者であった。
「なんか怖いね」
仏間の隣はやはり薄気味が悪い。お化けが現れるとすればそれはご先祖様と相場が決まっている。曾爺ちゃんと曾婆ちゃんが僕らを見下ろしているのかと思うと少し緊張した。
「大丈夫だよ。居たとしても悪いものじゃない。」
「居るとか言わないで!やっぱ怖いから眠くなるまで話そ?」
意外としおらしいじゃないか。大人になった僕なら我慢できなかったかも知れない。けれどこの時は純粋無垢な少年である。間違いは起こさないのだ。
そして込み上がる不安から様々な未来への想像が膨らむのであった。