第6話 逃げた後の世界
神輿はその名の通り、神をかつぐ輿の事をいう。姫が女神なのは皆も納得だろう。僕はそのお供か何かだ。大人達がワッショイ!ワッショイ!と練り歩き、床は揺れる。
爺婆は畑仕事を止めて手を合わせる。「ありがたやぁ」と拝まれる気分はそう悪く無い。緊張はピークを過ぎるとアドレナリンが精神を狂わせて堂々としたものだ。
向いに座るノリノリの彼女は、華麗な音色を奏でる。少しアレンジも加わって来た。もはや独壇場である。何もかもがどうでも良くなってひたすら太鼓を叩き続けた。平均年齢60歳以上の大観衆がこの熱い野外フェスに酔いしれる。僕はそんな妄想でこの場を凌ぐのであった。
「いやぁ〜。ご苦労さんねぇ。はい紫蘇ジュース」
紫蘇ジュースだ。そこら辺に生えている。敢えて栽培する必要もないが畑の隅に大体植えてある。そのエキスを抽出した液体をサイダーなどで割る。美味い。てか喉が渇いたら何でも美味い。てかサイダーが美味い。田舎はそういう世界観だ。
休憩が多い事。何せ若者は皆、都会に引っ越して行った。限界集落と呼ばれる日も近い。現在は実際にそう呼ばれている。とにかく体力のある漢がいないのだ。もうヘトヘトである。村を一周する頃には日が暮れていた。
食べ物と飲み物には困らない。時間になれば、おにぎりだの天ぷらだの煮物だのとひっきりなしに差し入れが入ってくる。夜ご飯がお腹に入るわけがない。けれど祭りの後は皆で集まって飲み散らかす。
「トモナちゃん!こっちにも酒をくれぇ!」
「はーい!ただいま」
村の紅一点。おばちゃん連中には目もくれず親父達は注いで貰おうと必死で叫ぶ。皆、この為に頑張ったのかもしれない。姫も疲れているはずなのに他のおばちゃん達と一緒に働かされている。
僕は何故か男だからという理由だけでその場から動く事を許されない。男は汗水流して働き女は尽くす。それが古くからの決まりらしい。
おかしい事だと思っていた。それは後に証明される。けれど過去に生きる人々に幾ら訴えかけても意味がない。社会教育を変えなければ…。僕の価値観はそうして形成されていったと思う。
「ちょっとトイレに行ってくる!」
「おぉおう!うぃっ、イって来なぁ!!」
完全に出来上がっている。抜け出そう。そう思った。そして奥のキッチンから姫が出てきた。笑顔を作り必死に振る舞っている。けれど僕にはわかる。
「トモちゃん!」
「え?なに何?!」
彼女の手を掴み。玄関に一直線。
「コラぁ!!トモナ!どこ行くの!」
駆け落ちしたカップルの気分だ。僕は楽しくて大声で笑った。そんな姿を見せた事はない。だからきっと暑さでおかしくなったと思ったかもしれない。
「あはははハハハ!」
「ちょっと!アンタ!不味いって!戻ろ?ねぇってば!!」
何故か世界が広く感じた。簡単な事だ。無理して我慢なんてしちゃいけないんだ。1人では生きていけない。ならば大好きな人とだけ生きていけばいいんだ。それが真実だ。
その後、夏野菜ハウスに籠り、プチトマトを盗み食いをしているところを現行犯逮捕されてしまう。無念である。こっ酷く叱られた。結局、大人の力には敵わない。子供というのは絶対的に無力だ。それでもわかったことがある。
嫌なことからは逃げてもいいのだ。文句を言われようが、嫌味を言われようが、必死で走ればそんな人々など簡単に振り払えるのだと。
「…ありがと。怒られちゃったけど、何だかスッキリした!アンタいつか大物になりそうね。フフ」
自慢じゃないが実際にそうなる。姫の目利きは中々に鋭い。僕はその「大物になりそうね」と言うフレーズが擦り切れるぐらいに縋り付く事になる。彼女は僕に宝物をくれたのだ。
「トモちゃんはさ。将来何になりたいの?」
僕は無性にそれを聞きたくなった。何故なら未来のヴィジョンが大きく膨らんだ気がしたのだ。きっと姫も同じ気持ちのはず、だから一緒に支え合い、高め合える存在。恋人より上の関係になれると思った。それを確認したかった。
「将来…」
姫は一言めで黙り込んだ。その後も返事をくれる事はなかった。この時にもっと彼女の悩みを聞き出せれていたらと思う。深く抱え込んでいた事はを知るには時間が経ちすぎたのだ。
僕もそれがシコリになって今でも良くないイメージとしてフラッシュバックする。その度にメモを書き殴り、心を整理するのだ。大人になった僕の情報処理能力はずば抜けている。
それでもこのやり残した感が完全になくなる事はなかったのだ。だからこそもう一度、彼女に会いたいのかもしれない。今の僕なら救える。塔に囚われた姫を救うのに根拠など必要ないと知っているのだ。つまらない大人になっても心の中で勇敢な少年が少し残っていた。