蓮の花
いつの間にか足元の地面を見つめていて、気分が前頭葉の辺りにギューッと黒く凝縮して行く気がする。
疲れているのかも知れない。今日は早退して帰って寝ようと思う。
そんな日の物語。
第一章 観念世界の悪魔
開き切る前の蓮の花を見ていると、その清楚なピンク色が心の中を照らし、確かに苦のない世界があるように思えてくる。
その時は具合が悪く横になっていたのだが、なんだか髪の毛の焦げるような臭いがした。
目を開けてみると私は真紅の世界の中に立っていて左の頬が熱い。そちらを見ると身長ほどに井桁に積まれた木が大きな炎を立ち昇らせ、それは低い雲を照らしまた地面をも赤く照らしている。先程の臭いが強烈に鼻に入ってくる。
【死体を焼いているんですよ。】
左耳に声が聞こえる。短い髪がバサバサの小さな人間のような物が私の肩に乗っている。
【へっへっへ、俺はあんたに取り憑いている悪魔ですよ。】
【そしてここはあんたの心の一番底だよ。
からみついたいくつもの不安が錯綜としてほどけなく凝り固まっているんだね。】
【だけど、あんたは考え違いをしているよ。あんたの地獄はね、まだまだ青いもんさ。】
「そうですか、でも僕は時に長い旅に出たくなるんです」
【それはね、意識下のごちゃ混ぜになった不安で、疲れ果てた脳が自分をひとつの人格として保てなくなり、その混乱した脳の状況から抜け出したくなり死にたくなるのさ。】
【確かにどこか遠くの街に行きそれなりに適応できて時間が経てば、まるでゆすられたコップの中で濁っていたものが静かに沈殿して上澄み液が出来てくるように心も落ち着いて来るかも知れない。】
【だけど、あんたはあんたの経験した世界しか判断材料として持っていないんだ。
ごちゃ混ぜになった不安、実は対応できていない心配ごとの集まりだけれど、それらの心配ごとをつらいと思うことがまだ甘いんだよ。】
第二章 地獄めぐり
【なんなら俺と一緒に地獄めぐりをしてみるかい。
とはいってもホントの地獄はこの世あるんだけどね。】
【ほら、そこに杖をついて足を引きずって歩いているおじいさんがいるじゃないか、あの背中は只もんじゃないよ。
ちょっと声を掛けて来よう。】
【おじさん、おじさん、ちょっといいかい。】
『誰じゃ、誰じゃ、わしの頭の中で、喋るのは。』
【俺ですよ。あいつに取り憑いている悪魔ですよ。
ちょっと、おじさんの人生の地獄をあいつに話してやってもらえませんか。あいつは甘ったるいんですよ。】
『おう、地獄はよう経験しとるで。呼んで来いや!』
「すみません。希死念慮のある中年Aです。この悪魔が私の心の地獄はまだ青いって言うんです。それで皆さんの地獄を拝見させて頂こうと思いまして、おじさんの地獄体験を話して頂けませんか。」
『そうよのう、ギリギリの連続じゃったが、ヤクザに海岸の砂浜に埋められたときは終わりか思うたのお。』
【砂浜に埋められたんか!おじさん。何で。】
『いや、わしは悪うないんじゃ。
ヤクザが、まだら認知症のわしの知合いに貸してもない金を返せ言うてその知合いの娘のところまで押しかけたんじゃ。
わしは色んな連中を知っとったからボディビルで鍛えて半袖から筋肉隆々の腕の見える若い衆を四・五人娘の所に当分おらしたんじゃ。
そうしたらヤクザは金が取れんかったもんじゃけん腹を立ててわしを首から上だけ出して海岸に埋めたんじゃ。
潮が満ちるのは早いぞ、みるみる押し寄せて来てだいぶ海水を飲んだぞ。
そのうえ潮水で砂が固とうなるんじゃ。ほんまあの時は往生したぞ。』
【それでどうして出れたの。】
『もがいてもがいて、どうにか出れたんじゃ。』
【そりゃあ面白い。】
『面白うないわい!死ぬかと思ったぞ。』
『ほいじゃか、わしはもう一回埋められたんじゃ。』
【おじさん、マジかよ。今度は何なんで埋められたの。】
『若い若いオネェちゃんと金を払ってよう遊んどったんじゃが、そいつがどういう訳かわしを埋めたヤクザの女になってしもうて、オネェちゃんがわしとのことを喋ったんじゃのう。わしもオネェちゃんを殴ったこともあるけんのう。
ヤクザがパチンコしとるわしを見つけて肩をたたくんじゃ。
ヤクザは女の前でええカッコしてわしはまた砂浜よお。
じゃが、わしも二回目じゃけん、埋められるとき足を曲げとったんじゃ。
ヤクザが帰ったら、すっと立って砂から出れたわ。ハッハッハ。』
【おじさん、ありがとね。
思い出になったら笑い話だね。こいつも違う世界をちょっとは見れたかなあ。】
『おい、ちょっと待てやもうひとつ地獄を教えといてやるわ。女の地獄じゃ!』
【ほう、それは‥】
『ヤクザはのう、女を殴りまくってからSEXをするんじゃ。そうしたら女はヤクザから離れられんようになるんじゃ。
わかるか、女は殴り続けられると恐ろしいじゃろうが、恐怖は一種の緊張じゃ。
その後でやさしゅうされると、マイナス1000の極限の緊張から0を通り越して一気にプラス1000の安堵まで行くんじゃ。
そこで男が、オレはお前に幸せになってもらいたいからお前の悪いところを直そうと思って殴ったんだ、というと頭の悪い女は一挙に押し寄せた緊張の解放とSEXの快感を愛情と勘違いするんじゃ。馬鹿なことよ。
そんな男に愛情なんかありゃあせんのじゃ。
そもそも女も自分が頭が悪いことは分かっとって今まで何回もの恋愛がうもういっとらんのじゃ、そしてこの男は自分の金が目当てで本当の愛情じゃないことも分かっとるが寂しく自分自身が頼りない存在で糸の切れた凧のようにどこへ飛んでいくかの不安もあってかりそめの愛に生きとるんじゃ。』
「おどろおどろしい話ですね。怖いですね。」
『世の中にはろくでもない人間がおる。男も女も生きるのは並大抵じゃないぞ。』
「気持ちが悪くなったから、よそへ行きましょう。」
【あれ、あそこに焼け落ちた家があるじゃないか。】
『よう焼いてくれた。万々歳じゃ!』
【おじさん、なに喜んでんの。】
『何じゃお前は、気持ち悪い奴じゃのう。しっぽがあるんか、先が三角じゃないか』
【すみませんね、俺はあいつに取り憑いている悪魔なんですよ。】
『そうかい、それならそれでええわ。
わしゃあ、うれしいんじゃ。あそこに夫婦がおろうが、あいつらは土地を借りて自分で建てた店で小料理屋をやりよったんじゃが三年も地代を払うとらんのじゃ。
取り立てを頼まれたんじゃが、こいつらはホンマしぶとうて払わんのじゃ。
焼けて屋根が落ちとるけん全焼で建て替えは出来ん。
よう焼いてくれた。
地代は取れんが、あいつらが居座っとったら土地も売れんけんのう。』
「しかし、泣いてるじゃないですかあの夫婦は。」
『あいつらはあいつらで生きて行かんといけんのじゃ。
終戦後わしはヒジキを海水で煮て醤油じゃいうて売って大儲けしたんじゃ。
あいつらも少々のことはして生き抜かんといけんのじゃ。
この世で一番大事なのは、自分が生きることじゃけんのう。
ひとしきり泣いたらあいつらも何をしてでも生きて行くんじゃのう。』
「今の話を聞いて氷がとけるように気持ちが楽になりました。
真面目に頑張って頑張って生きて行こうとすると、私は息が詰まって死にそうでした。
ひどく迷惑を掛けなければ、何をしてでも生きて行けばいいんですね。」
『ほうよ、今は大きい顔をしとるが終戦後軍隊の置きっぱなしの機械や沈みかけた戦艦の一部を取ってきて大きゅうなった会社はようけある。』
『わしゃ、お前らが気に入ったわ。わしの家は近くじゃけん来てみいや。』
【面白い、行ってみようか。】
「うーん、なんか大丈夫ですか。」
【大丈夫、大丈夫、何かあったら俺がたたり殺すから。】
「大きい家ですね。立派な玄関ですね。」
『おい、おい、そこは入り口じゃないんじゃ。
こっち、こっち。』
「そうですか、勝手口から入るんですね。」
『そうじゃないんじゃ、そこは前は玄関じゃったんじゃが、今の入り口はここ。
出入りがあるじゃろうが、ほいじゃけん入り口は時々変えるんよ。』
「出入り…」
【ヤクザのケンカだね。】
『まあ、入れや。』
「入り口狭いですね。
おおっ、般若の面が…こわいですね。
階段も狭くて急で息が切れますね。手すりもないんですか。」
『馬鹿たれが、こうしとかんと敵のヤクザがいっぺんに上がって来るじゃないか。
それだけじゃないぞ、ここに置いとる鉄条網を下へ投げ落として、階段の上にもフタをするんじゃ。』
『まぁ、こっちの部屋へ来いや。』
「部屋が沢山あって廊下も迷路みたいですね。」
『そうしとるんよ。』
「あっ、奥様ですか。失礼します。」
『お前、何回言うたら分かるんなら。
家の中でタバコを横ぐわえにして歩くなゆうとろうが。』
『お茶ときのうの半殺しを持って来いや。』
「半殺し…ですか。」
『おはぎ、やね。なんでかわしらは半殺し言うで。』
[もち米をね、半分くらいつぶすから半殺し言うんよ。]
『ほうか!今まで知らなんだ。』
[まだまだつぶしたら皆殺し、言うんよ。]
『お前、ほんまかそりゃあ。』
[ほんまようね!]
「この半殺しは美味しいですね。」
【美味しい。】
[ありがとう。私、料理好きだから。]
『こいつは、わしの家へ便所の窓から来たんで。』
「…よく分かりませんが。」
[やめてぇや、そがいなこと言うのは。]
『ええじゃないか、ほんまのことじゃけん。』
『こいつが昔やりよったキャバレーとわしが前住んどった家とは背中合わせじゃったんじゃ。
キャバレーの便所の窓とわしの家の風呂の窓がちょうどおんなじ位置にあったんじゃ。
わしが六畳の間で四十ワットの電球の下で花札のイカサマの練習しよったらこいつがうちの風呂から出て来て
[本妻が来たけん通してね。]言うんじゃ。たまげたで。』
[愛人にはならん事よ。
パトロンは今日来ても機嫌をそこねたら明日来るとは限らんけんね。]
【面白い。人生さまざまだねぇ。】
「うーん、生命力がすごいですね。」
『お前も食うんか、やめとけや。糖尿じゃろうが。』
[ええんよね、食べたいもんは食うわいね。
きのうも病院へ行ったら、もうちょっと気を付けられて言うから、それを治すんが医者じゃろうが、と言うちゃったんよ。]
「…」
『まあ、わしらの生活いうたらこがいなもんよ。』
「少し疲れました。
今日はありがとうございました。」
『おう、ほうかい。
それじゃ最後にわしがどう思うて生きとるか教えといちゃろう。』
『わしは反省はせんのじゃ。反省したら元気がなくなるけんの。
学校の先生なんか日に三省すれば過ちなし、なんか言うとるがやかましいわい。大失敗すりゃ同んなじことはせんわい。
元気が一番。』
『それから反省というか、過去の行動を後悔するのは、現在の自分に満足しとらんけんじゃ。まぁ、金があったけん言うても幸せとは限らんよ。
みんな苦労しとるから、いま食えていたらこれもまあ良かったと思ったほうが幸せじゃないんかのう』
『じゃあのう、元気で暮らせぇ。』
「いろんな人がいるもんですね。勉強にもなりましたが、疲れました。」
【まあ今度はまともな世界の話を聞こうか。】
【ここは静かでブロンズの像が何体もあって上品な坂道だね。】
「ええ、この先に美術館があってこの道を高校生の時は毎日通いました。暗い高校時代でしたが。」
【時計台のてっぺんだけがあるね。近いからか札幌の時計台より大きく見えるね。】
【この戦艦みたいな大きな建物は何なの。】
「ここは元の海軍病院です。」
【ふうん、ちょっと見物に行ってみようか。】
【ああ、今は面会禁止だね。
コンビニでコーヒーでも飲もうか。】
「コーヒーのMを2つお願いします。」
『恐れ入りますが、ペットを連れてのご来院はお断りさせて頂いています。』
【俺はペットじゃないよ。こいつに取り憑いている悪魔さ。】
『あっ、そうですかそれなら結構です。
ただ今は面会禁止ですのでご入院の患者様には取り憑かないようにお願いいたします。』
【分かってるよ。こいつ以外には取り憑かないよ。】
「あのソファーに座りましょう。」
「この先はレントゲン室ですね。」
「点滴スタンドを押しながらおじさんがやって来ましたね。」
『だいぶ少のうなったがこの点滴液も金のうちじゃけんのう。』
【おじさん、そんなこと言って社長さんか。】
『いゃー、溶接工 兼 事務員 兼 掃除夫 じゃのう。』
[すみません。車椅子を通して下さい。]
「あっ、看護師さんすみません。」
「車椅子全体がビニールでおおわれていますね。」
『無菌室からじゃろうね。』
「それほど年じゃないのに腕も足も骨の形が分かりますね。肌の色もまだらに紫で凄い迫力ですね。」
『うーん、まあなあ。凄いなー。
そうは言っても、わしも病気が長ごうてなんか前世で悪い事したんかと思うで。』
【社長!悪魔のオレが言うんだから間違いないがそんなことは絶対ないぞ!】
『いやぁ、そうでも思わんとやっとられんのじゃ。なんにも悪い事しとらんのに、いゃちょっとはしたが、これほどの目に合うようなことはしとらんぞ。』
【うーん、世の不条理だな。】
『あっ、わしは呼ばれたから行ってくるわ。』
「行ってらっしゃいませ。」
「あれ、今度は子供が来たね。」
『おじさんは悪魔なの。
尻尾の先が三角だけど。』
【うん、そうなんだよ。こいつに取り憑いている悪魔さ。
まあ、座れよ。
ジュースでも飲むかい。】
『病院で出されるものしか食べちゃいけないの…』
【そうか、それは悪かったな。
顔が丸いけど、それが病気なのかい。】
『これは薬の副作用なの。
飲んでる薬は強くて骨に悪かったり風邪を引きやすくなったりするので減らさないといけないのだけれど、減らすとまた病気が再発してまた薬が増えるの。
それを何度も何度も繰り返すの。
悲しい。』
【大丈夫だよ、心配するな。
おじさんは悪魔だけれど未来のことも少し分かるんだ。
ボクの飲んでいる薬はもう少ししたら薬の減らし方が工夫されて、薬を減らしても病気がまた悪くなることはほとんど無くなるんだ。
安心しな!】
『ホントなの!そうなの!』
【本当だよ。希望を持ってろよ。】
『うれしい!天使の悪魔さん、ありがとう!ありがとう!』
「よろこんで、行きましたね。」
【ああ良かったな。】
「…だけど、あの子はもしかしたら三十年前の僕じゃないのか。
いや、確かに僕ですよ!
こんなことがあった気がする。」
【うーん、まあなあ。大きな病気はこの世でつらいもののひとつだからな。】
「大病は百メートルを全力で走っても、ヤクザの人が恫喝してもあなたが僕にくっついているように離れてはくれませんからね。
愛してくれる人がいて祈ってくれても治る治らないとは関係ありませんしね。
病人の孤独は体験した者にしか分かりませんよ。
他人を見ていて、普通の困難だとまわりに強く出て相手を黙らせて無理を通して自分が利益にありつくこともできますが、病気はそうは行きません。」
【まあ、その通りなんだか、病気が最大の苦労でも不幸でもないぞ。
戦争で負傷して行軍について行けなくなり荒野に置いてきぼりにされた軍人なんか、まだ意識があるのに狼に噛まれて亡くなったりしてな。
限りなく不幸はあるよ。】
第三章 もしかしてアウフヘーベン
【この病院の前はバスが通るのかい。乗ってみるか。】
「いつの間にか、狭い道になって来ましたね。よくこの道をくねくねと登りますね。
家の軒に当たりそうですよ。」
【おや、終点だと車内放送しているぞ。】
「バスは別の道を降りるみたいですね。」
【今の道はさすがに離合できんだろう。】
「坂道が急になりましたね。」
【家も少なくなって来たな。】
「そこに見える砂防ダムで休ませてください。」
【海こそ見えないが、街が一望出来るな。】
「山の匂いがしますね。」
「今、トンボが右からスーッと来てくるっと来た方へ帰って行ったでしょう。
あの自然なトンボの動きを僕はとてもうらやましく思うんです。
切迫感を常に持っている僕は、解放された心のありようをあのトンボの自然な動きの中に見る気がするんです。」
【おや、雨が降ってきたな。】
「あの大きい木の下に行きましょうか。」
「けっこう降りますね。」
【でも見ろよ西の空は明るいじゃないか。じきに上がるぞ。】
「そうですね、そういえば雨脚が少し弱まったかも知れませんね。」
「ええ、小雨になってきました。」
「いつの間にか夕方になっていたんですね。
向こうの山に夕陽が真横から当たって、山ひだの明るいところとその陰の暗いところがくっきりと見えますね。」
【俺が言うのもなんだか神々しいな。】
「そろそろ降りましょうか」
【おじいさんが、ぶつぶつ言いながら近づいてくるな。】
【おじさん、何を言ってるの。】
『私でございますか。南無阿弥陀仏と念仏を唱えているのでございます。』
「念仏を唱えると良いことがあるのですか。」
『念仏こそが心に平安を得る方法でございます。
念仏は南無阿弥陀仏でも南無妙法蓮華経でも、宗教にこだわらず、外国の言葉でさえも構わないのでございます。
ただただご自分で決めた言葉を繰り返し唱えれば心に平安が得られるのでございます。』
「うーん、理解しようと思うのですがもう少し噛み砕いて教えていただけませんか。」
『これは失礼いたしました。
大きい悩みがありますと、何をしていましてもいつの間にか心はうずの底の悩みへと向かうのでございます。
ところが人間の脳は同時にふたつの事は考えにくいもので、四六時中念仏を唱えておりますと、脳内に浮かぶ本来の悩みはうずの底まで深まらず少し上の辺りにとどまっているように私には感じられるのでございます。』
「…」
【ヨガにもそんなものがあるな。】
「おじさんは神様がいると思っているのですか。」
『いえ、神も天国も地獄も存在しないのでございます』
「なのに、念仏を唱えるのですか。」
『そうでございます。念仏は心に平安をもたらすテクニックなのでございます。
もっと言いますと、誰かが作った神などに頼ってはいけないのでございます。頼っても現実は変わらないのでございます。
千里の道も一歩から、と申します。頼るべきは自分自身で、まず一歩踏み出さないと現状のままなのでございます。
とは言いましても、心は動揺いたしますので念仏を唱えて落ち着かせながら一歩ずつ歩くのでございます。
なお、仏教はこの世における様々なことに対する心の持ちよう、考え方、対処の仕方を説いているのでございます。それを身に着けて自分で正しく判断ができ正しく行動ができるようになることを、知恵によって清らかになる、と申します。すこぶる現実的なものでございます。』
『それでは、失礼いたします。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、…』
夏の終りの蝉が遠くで一匹だけ鳴いていてその声に目を覚ますと、胸苦しさはまだ少しあるものの開け放していた窓からは涼しい風が吹いていた。
長く自分の人生は同級の人生以下だと思っていた。
ところが60歳になって高校の同期会に出てみると(あまり出たくもなかったのだが、まぁ出てみた。同期会に出てみようと思う人は自分の人生を否定していない恵まれた人だと思ったのだが…)思いの外みんな苦労していて、自分はそんなに屈折した思いを持たなくても良かったのかも知れない、と感じられたのは何よりの収穫という以上に幸せで心の中の塊がひとつ氷解した。
若い人は自己否定せずに生きて良いと思う。人生にはその人の努力以外のことで左右される部分もあるから。
文中に御経を唱えると心が救われるような話が出てきますが、日本の禅を世界に広めたといわれる鈴木大拙といわれる方の日本的霊性という本にそういう風に書かれているし、事実そうだと思います。
個人で宗教を参考にするのは良いのですが、教団には弊害もあると思います。
なお仏教は本来は生きるうえで起こる事柄の対処の仕方を教えるもので神が奇跡を起こすというようなものではないです。
現存する最古級の仏教経典の一つのスッタニパータ(岩波文庫より「ブッダのことば」として出版されています。)をお読みになることをおすすめします。