空にとける言葉
振り下ろされた前足が木々をへし折り、岩を粉砕する。
シアは辺りを走り回りながらそれを回避する。
黒豹は・・・いや、あの”獣”は、すごいことになっていた。
体の大きさが倍になっている。しかも早い。今までは人のように立って戦っていたのが、まるで獣のように俊敏に襲い掛かって来る。
「・・・んっ」
シアが蛇腹槍を振るう。獣はそれを豪快に避けていく。
完全に獣だな。まるで今までの形態を完全に捨てているかのような動きだ。
ただ、そのせいかはわからないが動きが単調に思える。
単純ではあるが、ただただ威力がすごい。
直撃をさけているが、さっきからシアが跳んできた岩や木片で体を傷つけられている。避けるたびに傷つき、どこかから血を流す。
「シア様っ」
ディーアの声が聞こえて獣の周りに炎の壁ができる。
獣はひるんだらしく足を後ろに下げた。
「ギャンッ」
獣が飛び上がった。
右の後ろ足に刀が刺さっている。
クラウニードの刀だ。
へへっ、という笑い声が聞こえた気がした。
あの獣がいる場所は・・・そうか、一矢報いたか。
ディーアが獣の頭に火球を飛ばす。
獣は素早い動きで避けようとするが、さっきとは違ってうまく避けられない。飛んできた火球の一つを首に受け、頭の近くに火が付いた。
体を倒し、前足で火を消そうとする。けれど手の使い方を忘れてしまったかのように、獣は火をうまく消すことができなかった。
シアは振り回されている四肢に気を付けながら近づき、無防備に広げられている腹にオレを振り下ろした。
「グギャァアアッ!」
獣はのたうりまわる。
腹から血を臓物をまき散らしながら。
シアから逃げるように距離をとり、立ち上がろうとして――後ろ足から崩れ落ちる。
前足だけで体を引きずり、どこかへと動く。
その動きもゆっくりと遅くなり、とうとう前足からも力が失われた。
シア・・・とどめを
「・・・・・・」
シアはもう動くことができず、荒い息だけを吐いている獣に最後の一撃を与えた。
クラウニードは目を閉じたまま、満足そうに笑っていた。額や頬は汚れ、体も獣に踏まれたのか、ひどいありさまだったが。
それでも笑っていた。
笑ったまま、逝ったらしい。
ラザン将軍もあちこちに怪我や矢傷があったが、今はポーションで大分回復している。
「・・・・・・わしより先にいくとは・・・軟弱者め。次に会ったときは特訓だな」
そう言ってクラウニードを持ち上げ、荷馬車まで運んでいた。
襲撃してきた魔族の兵士はあらかた掃除され、残ったのを騎士たちが追いかけていった。
護衛騎士と王子はクラウニードを囲み、そして言葉をかけていた。
「シア様は、もう声をおかけになりましたか?」
王子たちを少し離れた場所から見ていたシアの所にディーアとエステラがやって来る。
「ん。・・・ありがとう、って。もっと武器を交えたかった、って。」
「そうですか。クラウニード様もきっと・・・。・・・シア様、さっきの黒い豹は、《獣退行》を使ったと言いましたよね」
「ん。」
ディーアは納得する。
「そうですか。では、あれは魔将ビルグロ・ヒュリオンでしょう。《獣退行》は”魔将”になると得られる特殊なスキルですから。まさかこんなところに魔将がいることも驚きですけど」
魔将だったのか。クラウニードを簡単に下していたのにも納得がいく。
シアの《龍変化》より劣るが、《獣退行》もかなりの効果のあるスキルなようだ。
「《獣退行》は、重ねがけができる?」
「わかりません。おじい様は使いませんから。ただ、スキルを使うのに知力を消費するスキルらしいです」
知力を、か。
魔獣から魔族に昇位するのには力や耐久を捨て、知力や魔力を得る。けれどその逆。知力を捨てて魔獣だったころの強靭さを得るスキルなのか。
多用すると知能がひどいことになる。そして結果的に簡単に倒されてしまった。
魔族になっても昔の強さを忘れられなかった、魔族たちの願望が込められたようなスキルなのかな。
もし、と思う。
もしクラウニードではなく、シアが黒豹にあたっていれば。
もしもう少し早くナイフ遣いを処理できていれば。
もしシアが回復魔術が使えていれば・・・。
結果は違っただろうか。
それともシアが黒豹に傷つけられていただろうか。
・・・・・・後悔してもしかたない。
いくつ『もし』を連ねても失ったものはもどらないのだから。
シアは空を仰ぎ見上げた。
さよならは言わない。