王子の婚約式典
ツキワは、ゴブリンを知性的にするとどんな結果になるのか、という研究から造られた、知性強化目当ての実験の産物だったらしい。
ずっと知能テストをさせられていたツキワは、世界を見たくて逃げ出したんだという。逃げる前に彼はグラフェン・テスラーがずっと抱えていた、一冊の本に興味を持っていた。その本を、逃げる時に開く機会があったのだという。
そこに書いてあったのだ。
世界を終わらせる方法を探している、ということを。
さて、中央方面の戦線とイズワルド王国の中間に位置する街、クレイアラード。
そこに急ぎ人を呼び、王子主催による婚約式典が行われた。
お相手はベルティナ・ロスクート様。イズワルド王国の中央貴族ロスクート公爵の御令嬢である。
華々しい式典の終わり、ベルティナ嬢が親しい友人を送るために式典会場から離れていた間。
王子は自分の側近たちから祝いの言葉をもらっていた。
シアは警護の任務で王子の側に控えていたので彼らの声を聞くともなしに聞いていた。
「おめでとう、ダリウス。まさかこんなに電撃的な速さで婚約を決めるとはな」
「ありがとう、クラウニー。まぁなんだろうな。成り行きってやつだよ。結局は自分の好きな人なんてみつかりはしないってことさ」
「ダリウス。そうは言うが、お前さんはエルグレシア様が亡くなられてから、本気で恋人を探していたようには見えなかったぞ。まるで情熱を失った老紳士のように枯れていた」
「それは・・・そうかな。しかし、シシール。彼女を亡くしてまだ2年ほどだぞ。すぐ次の婚約者を、と言われても、私には気持ちの切り替えができなかったんだよ」
「一途なことだね。でも取り結んだ僕が言うのもなんだけど、本当にベルティナ様で良かったのかい?。彼女は実に貴族らしい貴族の令嬢だよ」
タルティエが王子たちにワングラスを渡している。
王子は貴族があまり好きではないのかな。だとするとベルティナ嬢との婚約も、あまり乗り気ではなかったのかもしれない。・・・まぁ、ベルティナ嬢がどうこう以前に婚約に乗り気では無かったような気もするけど。
「・・・いいさ。どのみちいつか婚約しなければならなかったんだ。なら、私たちの戦場に理解のある者を妻に迎えるのは悪くないさ」
遠いところを見つめる王子の目は、あきらめきったような哀愁を帯びていた。
「そ、そうかい?。まだ婚約なのだし、恋を探すことをあきらめるには早いとは思うけど。・・・何か協力できることがあれば言ってくれよ。君の望みが叶うようにするために、僕らがいるんだからね」
「あぁ。ありがとうタルティエ、それにシシールにクラウニーも。君たちがいなければ、私は頼りない子供のままだったろう」
「十分立派だよ。おれの自慢の主さ」
王子はありがとう、と答えた。彼らが主従の絆を温めていると、見送りの終わったベルティナ嬢が会場に戻ってきた。
「ほら、ベルティナ様がもどってこられたぞ。行ってこい」
「あぁ。行ってくる・・・そうだタルティエ、例の話は・・・」
「うまくいっている。いや、いかないはずがないよ。あとで集計して報告するよ」
にやりと笑うタルティエに王子は嬉しそうにうなずきかえした。
表情を整え、王子はベルティナの元へ歩いていく。婚約が決まって終始上機嫌のベルティナ嬢と違い、笑顔ではあるけれど何かを押し殺したような王子の様子は、護衛としてもやはり気になるようだった。
シシールが警備として立っているエステラに声を掛けた。
「エステラ様、あなたにこんなことを聞くのはお門違いかもしれないが・・・・・・グラッテン王国の第一王女、エルグレシア様は本当にお亡くなりになってしまったのだろうか」
それはエステラではなく、グラッテン王国の第二王女、シエストリーネに対する質問だった。
どうやら側近はシアたちのあれこれを王子から聞かされているようだな。こっちから説明する手間が減っていい。
「・・・エルグレシア様は、グラッテリアの王城の広間で石になっておりましたわ。完全に石になった者を元に戻す方法は・・・ありませんわ」
「石に・・・なんということだ。そうか、本当に亡くなられていたか・・・」
シシールが壁に手をついて崩れ落ちそうになる体を支えている。その表情は苦悶に彩られていた。
「シシール、王子は王女のことを?」
シアは王子が今も王女に恋をしているのでは、と聞いた。
「・・・そう、だ。いや、今のは聞かなかったことにしてくれ。婚約の場でしゃべることではなかった」
・・・つらいな。
助けられるなら助けてやりたいが、天使の聖剣は壊れてしまった。
いつか石化をとき、蘇生させる方法を手に入れられればと思っているが、きっとそのころには王子と王女の間には大きな差が広がっているだろう。
「・・・・・・わかった、言わない」
シアはシシールに答えた。
けれど、聞かなかったことに、との頼みを承諾してはいない。
シア。シアもいつか、あの石化した人たちを解放してあげたいと思っている。
解放されてほしいと願っている。
シアはシアとして再びみんなに紹介された。
ディーアはディーアとして紹介され、ついでにディーアの祖父ディー・ロームも紹介された。
先日の最上級魔術の活躍もあり、ロームの二人は騎士たちに大人気だった。
その二人の魔術もあり、ベルティナ嬢を囮にしながら中央戦線は快調に前線を押し上げていた。
シアとエステラもたまにベルティナ嬢の護衛に駆り出されるのだが、ベルティナ嬢は頑張っていると思う。
盾の兵士達から少し離れた後方100メートルの位置に白い馬車が置かれ、ディーアたち護衛が周りを囲んでいる。
戦闘が開始されると空、陸、たまに地中から、その馬車を狙って魔物たちが群れを成してやってくる。
それを守り、返り討ちにしていくだけの簡単な作業だった。
ゆっくりと、だが確実に前線が魔族領へと近づいていく。
・・・流石に、これほど相手が引いていくのはおかしいのではないか、魔族たちの策謀ではないかという声もあるが、堅実に戦力を削ぐことができている現状で立ち止まる必要性を感じない。
中央方面軍指揮官は進軍を指示した。
5月の終わり、春が過ぎ、新緑の季節へと移ろうころ、魔族領との境にあるグラスマイヤー領の西砦が見える場所へと、同盟軍が到着した。
なつかしのグラスマイヤー邸はこの東だ。砦を落とすことができれば、今度は館のある町を解放しに行くことになるだろう。
ようやくここまで来た。
あともうちょっとだ・・・と。
ここまで順調に来ていたシアや、兵士たちは思っていた。
先行して偵察に出ていた兵士が青い顔をしながら戻ってきた。
指揮所に駆け込んだ後、隊長や王子たちが招集される。
「何かあったみたいですね」
騎士団の天幕からその様子をコソコソとうかがいながら、指揮所の動きをうかがう。
「この先の砦とはどんな場所なのだ」
ラザン将軍がそんな質問を天幕にいる騎士たちにしている。が、そもそもがイズワルドの騎士なのでグラッテンの砦の詳細を知る者はいないのである。答えようが無かった。
「見たことならある。大きくない川の横に建ってて、2階くらいの壁があって、もう1階くらいの塔が壁のところに二カ所建ってる。わりとおっきい」
うん。
シアにしては大分頑張ったほうである。
しかしそれだけで十分イメージが伝わったらしいラザン将軍は、シアになるほど、わかった!と答えた。
「魔族軍が本気で砦にこもったなら、かなりの長期戦を覚悟せねばならぬな。時期的にも兵糧攻めとも行かぬし、最悪は川に毒を流すしかないやもしれん」
川に毒を流されては下流の農地が大打撃を受ける。
けれどこちらの兵士の犠牲を減らすには悪手ではないのだろう。
正直そういった手はやっては欲しくないのだが、ここはずっと魔族軍の領域だった場所である。
ここで生きて、農地を守り育んでいた民はもういないだろう。今は田畑がどうなっているか、さっぱりわからない。毒を流しても困る農家はいないのである・・・。
「もっとも、あの兵士のあわて様はそれだけではないのだろうがな」
むふーと思案気な顔のラザン将軍だが、結局は王子たちが出てくるのを待つしかない。
そして指揮所の天幕は、それほど時をおかずに開かれることになった。
「巨大竜が、3頭いる」
それが騎士団の天幕にきて主要メンバーを集めた王子の発言だった。
「巨大竜とはな。扱いやすい地竜か?」
「大きさでいえばおそらく古い地竜だと思うと言われたのだが、その大きさの”火竜”、”水竜”、そして”溶解竜”らしい」
”溶解竜”の名前が出たとき、天幕内がざわざわとし始めた。
聞いたことのない名前だけど、何だろうか。
「あの、”溶解竜”とは何ですか?、聞いたことがないのですけど」
盾の護衛騎士、ジェフリーも知らないらしく王子に質問してくれた。
答えたのはタルティエだった。
「”溶解竜”とは言っても一般的な”竜”種ではないよ。ただ、”竜”種と同じくらい古代から生息している生物だから”竜”の名前がついているけどね。”溶解竜”は古代のスライム。あらゆるモノを呑み込み、溶かしてしまう危険なスライムだね」
スライムか。
この世界のスライムはほぼ無害である。片手で投げるには大きいが、両手で扱うには小さいくらいの大きさで、コロコロプニプニしていて柔らかく、ちょっと力を籠めると割れてしまう程度の生物だった。
大昔から今まで種族を繁栄させるなかで、害のあったところを無くして角が取れて丸くなったらしい。
そもそも”スライム”と言えばまとわりついて服を溶かしたり人を呑み込んで溶かしたりと、溶かす専門のモンスターのはずだけど。
有名ゲームの影響か、カワイイ生物としても一定の地位を得てしまった。
この世界でもそのカワイイ路線へと進化?してしまったらしい。
「”溶解竜”はその体内に魂を包んだ核というものがあるらしく、核を壊さなければ倒すことができないそうです。・・・けれど、体が大きいということは、核にたどり着くまでに体を作っている溶解液に長く潜らなければいけないわけで・・・・・・。倒すのが困難な相手ですね」
一同が頭をかかえていた。
シアも効果のあるスキルがない。いや、《虚無弾》で少しづつどっかの異空間に体液を削ぎ取って行けばいつかは倒せるだろうけど。させてくれるとは思えないしなぁ。
「それと、大きな火竜と言ったが、どれほどの大きさなのだ?。”火竜”や”溶解竜”はおいそれと手懐けられない生き物のはずだが」
「大きさは建物2階分くらいだ。手懐けるのは難しいと言うが、魔獣使いであれば可能ではないか」
王子がそう答える。
「・・・いいでしょうか」
「シ・・・ディーア様、どうしました」
ディーアがちょっと挙手していた。
「おそらくそれは、錬金魔術が得意な魔将の造り出した生物です。手懐けやすい”地竜”を基に、”地竜”と”火竜”・”水竜”・”溶解竜”を合成して造り出した合成生物だと思います」
錬金魔術が得意な魔将ってグラフェン・テスラーだよな。なんちゅう面倒な研究をやってくれているのか。
けれど軍としてはやっかいな生物を味方にできるというのは有用だろう。
こっちからしたら勘弁ねがいたいが!。
「なるほど。”地竜”の気性と大きさを兼ね備えた竜たちということですか。・・・・・・やっかいですね」
王子が言うことには、砦には3匹の竜だけではないらしい。砦自体にも駐留している軍がいるが、それとは別に平地に陣を張っている別の軍がいるらしい。
砦、3竜、平地の軍
このすべてを相手にしなければいけないらしい。
無理無理。
少なくともいくつかに分断しなければ話にならないだろう。
しばらく同盟軍は散発的に敵の戦力を削りながら、こちら側の高台に陣を作って長期戦の構えらしい。
打開策を随時募集中とのことだ。
・・・どこまで本気かわからないが。ひとまずは騎士団・護衛騎士隊共に、時々戦場に呼ばれる程度の戦闘をすることになるようだった。
「角のとれたスライム・・・ぷっ。」
微妙なところがツボっているシアだった。