賢者の次は勇者サマ
パタパタと、慌しい足音に目が覚めた。
いつの間に眠っていたせいか、微妙に瞼が腫れぼったく感じた。"泣きながら寝たんだ"と他人事のように感じて、少しおかしく思ったが勢いをつけて跳ね起きる。
ぐいっと背筋を伸ばすように手を上げて、両頬を叩いた。
「よし」
気合を入れるために小さく声を出す。
どうやったって帰れないのなら、ここで生きていくしかないのだ。そう無理矢理に納得させようとして、失敗しそうになる。
鼻の奥が痛くなって、泣き出しそうになるところを寸でのところで押さえつけられた。
「ここへ来て、よく泣いてる」
それが悪いことだとも明言できずにいるとき、トントンとドアがノックされた。
「賢者様、いつもより少し早いのですが、入ってもよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
来たばかりのころは高飛車な、というか高慢な話し方をしていたのだが、今はすっかり前と一緒だった。
そもそも初めてのここでの発言は『夢の中』という実現とは何の関わりもない世界だという認識の下、発せられたのだ。
夢でないということを実感し、もしかしたら帰れないかもしれないということを知った今、前のような話し方はできない。
小心者ですから。
結局、前と同じ、あいまいな笑顔と態度がわたしのスタイルになっている。
「申し訳ございません。至急、お呼びするようにとの魔王陛下からのご命令ですので」
そう言うが早いか、わたしの着ていた寝巻きは剥ぎ取られ、新しいドレスを着せられていた。髪もきちんと結われている。
時々思うのだが、ここのメイドさんやたら魔術みたいなものを使っている気がしてならない。
「では、ご案内いたします」
「いつものところでは……」
「今日は大臣様たちもお見えになりますから」
メイドさんはわたしの前に立ち、そしてこちらを見てニコリと笑った。
「皆様、お待ちになっていらっしゃいます」
暗に早くしろと言ってます?
目の前にある扉は何回か見かけたことのある扉だった。
一際大きくて、立派なもの。刻まれているのは『獅子』。百獣の王とも呼ばれている獣。それと目が合った気がして顔を伏せる。
それくらい迫力に満ちていた。
「賢者様がお見えになりました」
そうメイドさんが言った瞬間、扉が大きく開く。それと同時に、何十という瞳がこちらを見た。思わず回れ右をして部屋に帰ろうかと思うくらいには、その視線が怖かった。
そして誰かが一人、ホゥと息を吐いたのを合図にその視線の主たちは言葉を発する。
「なんと見事な黒い髪と瞳」
「あれが、賢者……か」
「人間であの外見ということはまだ年若――二十歳前ではないか。物事の判断はつくのかね?」
「そもそも名も、顔も知られていない賢者ですよ。本物だという証拠はいったい……」
「所詮は人間。我らの敵ではないか。信用に足らんな」
「全く。コレの所為でルーフルル卿は処分されたのか? 魔王陛下はどのように考えられているのか」
いくつもの声が前から、後ろから、ありとあらゆる方向から囁かれる。何を言うか考えず、声を出そうとしたときにジルの声が聞こえた。
「お前たちが何と言おうが、賢者は賢者だ」
きっぱりと、それはわたしさえ驚くぐらいはっきりとジルは言った。
「しかし。ほれ」
「あぁ、賢者が消えた途端、ダンテ様の側近たちは次々と死んでしまった」
あれは自分が選んだ王が死んでしまったからだ。そう大臣たちは囁いた。
幾人もの人たちがわたしの方を向く。居心地が悪くて、身じろぎすることもできずにいた。
しかし。
「今日の本題は貴殿らに賢者の存在を明かすことだけではない」
ジルのその言葉に広間はいっせいに静まった。それが王の力だということが一瞬で分かるほど、言葉に力が宿っているのだと実感した。
「人間側から書状が届いた」
ザワリと広間が騒がしくなった後静まる。
しかし大臣たちの目には焦りが映っていた。これから魔王の言うことが何を示すのか、見極めようとしているようだった。
「領地を侵されたと言っている。侵した者を厳罰にしないのであれば、友好関係も続かないだろう、と」
『何が友好関係だ』
と笑う声がかすかに聞こえる。ジルにも聞こえていないはずないのに、全く反応しなかった。
「六百年同様、勇者を立てたらしい」
今度こそ、一間がシンと静まった。
話の見えないわたしはぼんやりと立っている。文献を調べている途中、何度か『勇者』という文字を見つけたが、私自身と関係がないために詳しく読んでない。
でもぼんやりと『勇者』というくらいだから強いんだろうな、と思った。
魔王様を倒す役回りだし、大体。
魔王を、倒す?
浮かんだ言葉にぎょっとしてジルを見るが、いつもどおりの表情だった。若干無表情で瞳に優しい色が宿っていないのは、『魔王への道』の特訓の成果だと思いたい。
「魔王陛下!!」
一瞬何も聞こえない沈黙が続き、そして次には大臣たちの焦ったような声があちこちに広がった。
「呑気にこのようなことをしている場合ではありませんぞ。すぐさま地方を管理しているものへ連絡し、国境の近くの守りを強化せねばなりません。
六百年前の文献同様、お父上のように命を狙われてしまいます」
一人の男が席を立ち、広間の扉を開く。真っ赤な髪を短く切り、貴族というよりは兵士の気配を感じる。
「モンドレート卿」
「私はこれで失礼いたしますぞ。時間が惜しいゆえ」
颯爽と去っていく人物が扉を閉めると同時に、広間の大臣たちも動き始める。
そして数分もしないうちに広間から人はいなくなった。あまりの展開の早さについていけず、立ったままでいるとジルがこちらに向かって来た。
思わず身構えるわたしに、ジルは薄く笑う。
謝らなくちゃいけない。――ヒドイことを言ってしまったから。
お礼を言わなくちゃいけない。――守ってくれたから。
そう思うのに、まだばれたら殺されるんじゃないかと疑っている自分がいる。怖いと思い、竦んでしまう自分がいる。
「ユキノ」
この手は優しい。そう知っているのに、体がびくりと反応した。
わたしの中にある本能が、怖いと告げていた。わたしとは違うものに。人一人簡単に殺せてしまう力に。
「ルーフルル卿は自分の領地に返した。ただもう登城できない。今、ノアが領地まで連れて戻っている」
ノアは無事なんだとか、あの男が生きているとか。気になることはたくさんある。だけど、どんな言葉を口にすればいいのか迷っていると、ジルはスッと身を引いた。
「随分、恐ろしい目に合わせてしまった、か」
顔を上げれば、寂しいそうなジルの瞳に吸い寄せられた。深い、海の色。深海の清い水の色。思わずマントの裾を掴んだ。
「違うの」
怖いのは本当だけど。
「ジルが嫌いなわけじゃないの」
ジル自身が怖いわけじゃない。わたしが怖いのは、その純粋な力。
「わたしが怖いのは」
賢者の偽者だと分かってしまうくらいに心が弱っているのは。
強気な発言さえできないくらい、ばれるのさえ怖くないくらい、自分の無力さを痛いくらい分かってしまったから。
人ならざる人たちの中でわたし一人。それがどういうことか嫌というほど分かってしまった。
自分がいかにあっけなく死んでしまう存在かということを。
もう話してしまおうかとさえ思ってしまう。わたしは賢者なんかではないと。
かろうじでそれを止めると、笑顔を無理矢理作った。それは以前の世界でも、変わらないわたしのいつもの笑顔。
「大丈夫。わたしはあなたを魔王らしくするために来た。あなたは魔王らしい、魔王だったけど、もう少し訓練が必要みたいだから」
そしてわたしは、その場から逃げ出した。ここへ来て、逃げてばかりだと気付いた。
「勇者……、ゆうしゃ、ゆーうーしゃ、あった」
知りません、何てことも言えず、六百年前の資料を探した。やっと見つけた項目を読みつつ、隣に置いてある羊皮紙に書き写す。
『その昔、魔力を持たない人間は魔物に追われ、住むところをなくし、飢えに苦しみ、喘いでいた。しかしあるとき、人間は魔物から剣を奪うことに成功した。
人間は今こそ領地を手に入れるときだと決意し、魔物の住む国へ攻撃を開始した。その剣はどんな魔物をも傷つけ、殺すことのできるものであった。
しかしその剣には魔力が宿り、手にした者を魔物へ陥れようとする力があった。普通の人間であれば、理性や思考を奪われ剣の傀儡になってしまう。
そのためそれ以来、剣を扱う一族が現れた。もともと武術に優れ、王への忠誠も篤かった一族で、その一族の中で最も優れている人間を剣の守人へ据えた。
そしてその守人の中でも、その剣を扱うに足りうる技術と精神を持っている守人を、人々は『勇者』と呼んだ。
人間が魔物に対して唯一持つ、対抗する術であり、魔物が唯一恐れる脅威であった。
優秀な勇者が現れる度に人間と魔物の間で闘争が持ち上がる。その闘いにより双方は多大な損害をこうむるのだ。
そして六百年前、歴代の勇者の中でも特に抜きん出ていた人間が、魔王を倒すために立ち上がった』
「人間の名はメイソン・エインベルグ。
そのときの魔王、ダンテ・リュシラーズを唯一追い詰めた人物であった。しかしその頃魔王と手を結んでいた賢者の力により、人間と魔物はお互いに干渉しないことを認めた」
わたしが知っていたのは最後の一行だけだったが、それで『勇者』の名前に見覚えがあったのだ。図書館のイスに背を預け、ペンを机の上に置いた。
そして先程の状況を頭の中で再生する。この文献のとおりなら、ジルの身が危ない気がする。大臣たちも言ってたけど。
賢者も前魔王もいない今、不干渉の条約は不確かでどこまで守られているのか定かではない。それに追い討ちをかけるように先程の手紙だ。
外交や政治を知らないわたしにだって分かる。
――ここで失敗したら、たちまちのうちに闘いが起こる。しかし全てを人間の言うとおりにすることもできないだろう。どこまで人間の要求にこたえるのか。
無力なわたしには分からなかった。
ジルのところへ行っても大丈夫だろうか。邪魔にならないだろうか。それよりも……わたしは普通にジルと話せるだろうか。また怯えたりしないだろうか。
前ならばそんなこと気にしなかった。
だってわたし以外は全て、両親でさえも他人なのだから。他の人に何と思われても、どう見られても生活に支障をきたさない程度なら平気だった。
人の目を気にするのも、普通の生活を目立たないように過ごすためだ。人に離れてほしくない。だけど、人との関係は面倒で気を遣うのも嫌だった。
他人がどうなろうが、わたしに関係なければどうなろうがわたしの知ったことではない。
そう思い続けてきたのに。