魔王らしい魔王サマは誰?
「魔王陛……」
「答えよ」
自分に向けられていないにも拘らず、ぴくりと体がはねた。
喉笛にナイフを押しつけられた感覚が部屋中に満ちる。そこへまた一人、部屋へ入ってくる人がいた。
「魔王陛下、お待ちください」
先程までわたしを見下していた人と同じ髪色、同じ瞳。いつも人を見下しているような表情が、今はひどく張り詰めた表情に変わっている。
「この行為、俺への謀反と考えていいな?」
「決してそのような……!!」
そう言う男に何か言ってやりたかったが、口の挟めるような状況ではなく大人しく口を閉じた。
「では何故、こんなところへ賢者殿といる?」
「魔王陛下」
コツン、と男に歩を進めたジルの前にノアが跪く。ジルが冷たくノアを見つめた。
どこか温かささえ感じられた深い蒼の瞳は冬の水面のように揺れている。澄んでいて、波紋を広げて、凍るくらい冷たい。
その視線が、まっすぐにノアを射抜いている。
「ノア、どけ」
ノアの体が大きく震えた。その一言がどれだけの力を持っているのか、わたしにははっきりと分からない。言われた本人の方が、よっぽど怖いだろうに、わたしにも十分恐怖を与える。
「お言葉ですが、陛下」
「どけ!!」
強いその一喝だけで、空気が震えノアの体が中を舞う。
あ、と思うまもなく、その体は壁に叩きつけられた。魔力、というものが軽々と彼を吹っ飛ばしたのだ。思わず目を瞑るが、ドン、と重く鈍い音がその威力を語っていた。
あんな力で壁に叩きつけられたら、人間は生きていれないだろう。
「答えよ、ルーフルル卿。
答えようによっては貴殿はここで死んでもおかしくない」
ノアに目も向けず、ジルは問う。
バチンと空気が弾けそうになるのを感じながら、わたしはそれでも何もできなかった。
ぐったりとしているノアにも、真青に顔を硬直させた男にも、激しい怒りを押さえつけているジルにも――わたしの姿は見えていなかった。
「魔王陛下!」
「貴殿に――。弁解の余地が与えられていると思うか?」
ヒンヤリとした言葉が空気を凍らせていく。
身動きが取れない中、どくんと心臓が大きく動いた。わたしの日常に、『人が殺される』ということは入っていない。
いくらここで、"ソレ"が普通だとしても、わたしの『普通』には入らない。
わたしの中で、裏切りは死に繋がらない。だからだろうか、初めてここへ来て自主的にわたしは行動を起こした。
「ジル。ころさ、ないで」
凍りついた空気に響く自分の声はやけに落ち着いている。
騒がしく鳴る心臓など、微塵も感じさせない声はまるで自分が発していないかのようにも感じられた。
あの不思議な声と同じトーンのようでいて、でもやはり違う、わたし自身の声。
「その人を殺して、どうするの?」
「ユキノ」
少しだけ、声が緩んだ気がした。それでもまだ、冷たかった。
「俺を偽る。それはこの国で、死を意味する」
それなら、わたしもだ。わたしもジルを偽っている。騙している。
それが、ばれていないだけだ。ジルを騙している自分自身に腹が立っているはずなのに、その矛先はジルに向かった。
「わたしが、『人』として助言しているとでも、思ってる?」
どうして、偽りがそのまま死に繋がらなければいけない? 嘘を吐かずにいられる人なんて、ほんの限られた人しかないのに。
そんなの、どこまでも幸せで、何も考えていない人にしかできないのに! 生きていくためには、吐かなければいけない嘘だってあるのに!
どうして、それが罰せられるの?
「違う、わたしは『人』として言ってるんじゃないよ」
どうして、それを死に繋げてしまうの?
「わたしは『賢者』として魔王のあなたに、言っているのよ?」
正当化している自分に嫌気が差す。
嘘を、偽りを当然だと言ってしまう自分が心底嫌になる。それでも『偽ったから』という理由で男が殺されるのが嫌だった。
だって――。それを認めてしまえばわたしは、きっと自分が生きていることを恐れるようになる。
ジルを騙していることを、心苦しく思ってしまう。そんなの、仕方ないのに。
もうどうやったって、それは変えられないのに。それを、後悔してしまう。
嘘なんて、吐かなければよかったと。彼に、偽りなんて、言いたくなかったと。自分が、殺されるかもしれないのに。
「そうやって、すぐ殺して……。それは性質の悪い独裁者だ。それならわたしは、そんな王いらない」
多分わたしは言ってはいけないことを言ってしまった。その気配を空気で感じ、言葉を止める。
「わたしは無事だったし、この人にも適切な処置をすればいいと思うの」
先程の落ち着いた口調が崩れた。
とりなすような言葉を言うも、その場の空気は変わらなかった。縛られている手足も痛みを訴え始め、大人しくなるとジルが動いた。
「ユキノ」
近づいて声をかけるジルの声に、肩が震える。その声は、傷ついていた。それが自分の身勝手さの結果だと知り、震えは大きくなる。
『ごめんなさい』と謝るべきなのに、それを言ってしまえばその言葉と一緒に全てを話しそうになって止めた。
「解いて……」
僅かに出たその言葉はひどく弱く、冷えていた。
ジルはどんな風にこの言葉を受け取るのかとぼんやりと考える。血の止まるような感覚がなくなり、手と足が自由になった。
痺れるような痛みが続く手を握ったり開いたりしながら、わたしはジルと視線を合わせられずにいた。
「ありがとう」
本当に言わなければいけない言葉の代わりを呟きながら、顔を見ずに立ち上がる。そして足早に扉へ向かい、部屋から出た。
新鮮な空気と、部屋より少しだけ多い光を感じ、慌てて周りを見渡す。
図書館に程近い、入ったことのない部屋だった。ここからなら自分の部屋へ帰るまでに迷うことはない。
そう気付いた瞬間、走り出した。重いドレスの裾を気にせず、ただ自分の部屋へ向かった。
かすかに、後ろから呼ばれている気がした。
「最低だ」
身勝手な自分に腹が立ち、自分の部屋に入ると同時に扉へ寄りかかる。頭を抱え、泣きそうになっている自分に言い聞かせる。
「言わなくて、正解なんだ」
だって死にたくない。
「偽り続けなきゃ、生きられない」
そう仕向けたのはわたしだ。それに気付いて、また泣き出しそうになった。
コン、とそのとき、遠慮がちに扉が鳴った。
小さく、本当に小さく一回だけなったが出る気にならず、じっとしていると声がかかった。
「ユキノ」
また勝手に肩が震える。抑えようとして両手で肩を抱き、体を縮めるが効果はなかった。
小さい声だから、少し離れてしまえばすぐに消えるはずなのに、わたしは立ち上がることができなかった。
「図書室に置いたままだったものを、ここへ置いておく」
羊皮紙とペン、それが残ったままだったから、わたしに何かあったと分かったのだろうか。そう疑問に思うも、問いかけることができなかった。
「ユキノ」
何度も名前を呼ばないでよ、と泣き出しそうな声が出た。当然のようにそれは相手に届かず、自分の耳朶を震わせただけ。
「俺は、謝らなければいけないな」
どこか自分に言い聞かせるような響きを持った声。
「裏切り者を生かしておけば国は必ず滅んでしまう。だから俺はあの時しようとしたことが全くの間違いだと思うことはできない。
――だが話も聞かず、ただ殺そうとしたことは、間違いだと思う。……だから、謝る」
どうして、そこで謝るという発想になるんだろうか。
それは、わたしに謝るべきことではない気がした。少しだけ身じろぎすると、背を預けていた扉がギシリと鳴る、それだけでおびえている自分がいた。
「ユキノに、ああいうことを言わせて悪かったと思う。ユキノは言いたくなかったはずだから」
それを聞いて、思わず怒鳴りそうになった。
使い古されている台詞だけど『あんたにわたしの何が分かるの?』と。それと同時に涙がこぼれてしまいそうだった。
一回修正された堰はいとも簡単に崩れ去ろうとしていた。
たった一週間と数日。たかだか日に数時間、時を共に過ごすだけなのに、この人はまるでわたしが本当にそう思っているかのように言う。
当たり前のように、それが本当であるかのように、口に出す。
いい人なんかでないのに、いい人だと言われたようで。罪悪感がわたしを幾度となく責める。幾度も、幾度も。
どうしてわたしは、この人に嘘をついているのか――と。
ジルがわたしの部屋から去った後、わたしはベッドに体を横たえた。
「わたしは間違ってない」
ポロリと涙が出た。首だけで扉のほうに向け、目を瞑る。わたしは自分勝手だ。でも、だからって。
「何でわたしが、ここにいるの!?」
何もかもに負けてしまいそうだった。
『あなた、意外に脆いのね。もっと、強い子かと思ってた』
自分勝手なわたしが、弱くて悪いって言うの?
『ふぅん。でも強くあろうとはするのね。それ、辛くない?』
辛くなんて……。
『ないって言い張る?』
言い張れない。そんな自分が情けなくなった。
『でも、そうね。そういうところは私に似ている』
『私』は誰?
『私、はわたしであり、わたしでない。あなたのようで、あなたでない』
どういう、意味か分からない。
『分からなくてもいいのよ』
――今は、ね。
いつか分かるというの?
『ええ、いつか、はね』
そのいつかは何時?
『それは、あなた次第』