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優しい魔王サマ  作者: いつき
本編
6/40

誘拐された賢者サマ

 変なこと言って、自分自身に被害が及ばないようにしているだけだ。

 自分が一番大切なくせに、人に嫌われたくないからかぶっているいい子の仮面。この世界に来てからもそれは一緒だった。変わらなかった。


 ――変わるはずないのだ、結局。だってそれが、わたしが十六年間生きてきたということだから。

 そういうふうにしか、生きてきたことがなかったから。自分勝手で、それでも離れていかれることが怖かった。ただそれだけだから。

「結局どこに行っても変わらない」

 そんな自分の性格。知り尽くしている、どんなに自分が嫌な性格をしているかということぐらい。でも。

「自分が大切だって、思うの」

 人間って、そういうものでしょ? それって当たり前でしょ?


『そうね』


 優しい誰かの声がした。知っているはずの……誰かの声。しかしその余韻はすぐに消えて、残らなかった。やがて声を聞いたことさえ、記憶から遠ざかっていった。

 手元にある本を捲ると、六百年よりもう少し前の歴史書だった。一番、人間と魔族たちの争いが激化していた時代。殺し、殺され、血で血を洗う。


 魔族は寿命が長い分、人口は少ないらしい。人間の約三分の一にも満たないと書いてあった。生む必要を感じないということだろうか。

 人間であるわたしには、少々理解できない事情ではある。

 人間よりも長寿で、不思議な術を使って――それで人口が少なくても人間と戦うことをやめなかった『人』たち。

 犠牲者は人間よりずっと少ないと書いてあるが、それでも少なからず、血は流された。


 何のために?

 何を守るために?


 きっと理由なんてないのだ。

 人間は魔族からもともと人間の地だった土地を取り返すため、なんて言いつつ、魔族が恐ろしいから。魔族は本能的に、人間を蹂躙するのが好きだから……たぶん、それだけ。

 ノアを見てるとその本性がとてもよく分かる。つまり心の底で楽しんでいるのだ。何かしら理由をつけつつも、その本性は変わらない。変わりっこない。

 だから今だって、いつ戦いが起こってもおかしくないような状況に陥ってる。

 双方が狙っているのだ。戦う、正当な理由を。

「馬鹿らしい」

 そう思うのは、その本性自体を愚かだと教えられ続けているからだろうか。

 自分の国に戦争はない。戦いがあったとしても、それは『外国よそ』でのことで、自分たちには関係がないことだ。

 どこか他人事で、関係なんてなくて、どこで起こっていようと影響がない以上、自分にとっては『起きていない』のと同じ。しかし自分にもまた、その本性があるのかと思う。

 この人たちと同じように、血の匂いに酔い、快楽に身を任せて人を傷つけることがあるのだろうか。

 殺すことへの抵抗もなく、悲しみも感じず、ただ『愉しい』と思うのだろうか。そう思いながら、首を振った。全員がそういうわけではない。現に戦いを好まない人が、身近にいるじゃないか。

 人が、魔族が、大好きだといったあの人が。それでも、あの人もいつか人を殺す日が来るのだろうか。知りたくもないことだった。


 わたしは人を、物理的に壊したことはない。刺したり、殺したりしたことはない。多分、これからもすることはないだろうと思った。

 だいたいそこまでして、どうにかしたいと思うような、そうやって強く思うような人はいない。殺したいとか、憎いとか、そう思うこと自体面倒だから。

 自分の感情をそんなに裂いてもいいような人物はいない。


 だからその感触がどういうものかを知らない。知ることもない。

 ただふとした瞬間に出た言葉で人を傷つけたことなら、多分自分が思っているよりたくさんあるのだろう。

 ああ、面倒だな、と思って、そのまま出した言葉たち。

 気づいたときの、あの後ろめたさと、ほんの少しの後悔と、それから自分に対する苛立ちと……。

 人の体を傷つけるとき感じるのは、どんなものなんだろうか。もしかしたら、あの人たちはそれさえも感じないのかもしれないけれど。


 そう思ったとき。


 かたりと後ろで物音がした。何だろうと後ろを振り向きかけたとき、とても甘い香りが鼻を掠める。

 紙の匂いがするこの図書館では違和感でしかない、気分の悪くなるくらい甘い花の香り。

「えっ」

 口に出した言葉が酷く遠くから聞こえる。

 どうしてだろうか。ぐらぐらと視界が回る。車なんかに酔うのと同じだった。気分が悪くて、でも不思議と体はふわふわして気持ちいい。

 目がチカチカして、足に力なんて入らなくて、倒れているのか立っているのかも分からなかった。

 だけど体を支える手があることに気がついて、自分が支えられている事実に行きついた。

 でも、頭に置かれたジルの手の方がよかったかなって思っている自分がいることに驚いた。暗くなっていく意識の中、最後に見えたのは。


 目に眩しいプラチナブロンド。


 すごくキレイで思わず触りたくなるような色だった。

 『誰』なのか、分かった気がした。そして感じるのは吹き上がるような嫌な予感。残念ながら、この手の予感はよく当たるというのがお約束だけど。

 まさか殺されたりはしないでしょ? いきなり、そう自分に言い聞かせながらも冷たい汗がにじんだ気がした。



「これで」

 そう言った人が誰だとは分からず、雪乃は意識を手放した。それを抱き上げる男は美しいプラチナブロンドと、紅い瞳を持っていた。

 その男は雪乃を持ち上げるとニヤリと笑う。

 美しさの中に、どこか狂気さえ含んでいるようだった。そしてそのまま図書室を出る。雪乃の持って来ていた羊皮紙たちに気付かぬまま。





 目が覚めたら机の上で、いつもどおりの学校に言って、いつもどおりの日を過ごす。

 つまらない授業を受けて、気の遣う友達と何となく一緒に帰る。――そんな夢を見ていた。

 そう、夢だと分かっていた。だけどそれでも信じたかった。だってそれが、わたしが存在することに疑問を持つことのなかった世界だったから。





「……ん」

 自分の声は未だに遠くに聞こえたが、何かに引っ張られるように意識が浮上した。

 白靄のかかったような、はっきりとしない意識の中で、ただぼんやりと目の前に広がる室内を見ていた。

 まだ甘すぎる花の香りが残っている気がして、頭を振る。

 甘い香りは不快感を増すだけで、少しも慣れることはない。同じ花の香りでも、ジルの淹れてくれたお茶はただ安心するだけだったのに、と頭のどこかで考えていた。

 そこまで考えて、自分が柔らかいものの上に寝かせられていることに気がつく。

 慌てて体を起こそうとするが叶わず、首をもたげるだけだった。

「え、ちょっ……!!」

 なにコレ。やっぱり殺されるわけ?

 そして思い出す。気を失う直前に見たプラチナブロンドと鮮血の色に染まった瞳を。ぴたりと動きが一瞬にして止まった。その色合いには覚えがありすぎる。

 その可能性を否定できるような証拠はどこにもないし、何よりこの前の一件を思い出して体が震えた。あれは――ノア、だった?

 そう思ったところでガタン、と扉が音を立てて、次いでギィと重たげな音と同時に扉が開く。薄暗い部屋にオレンジ色の灯火が入ってきた。

「お目覚めですか? 賢者殿」

 丁寧な言葉遣いなのに、はっきりと下に見られていることが分かった。

 嘲笑うような声がひどく気に障る。オレンジの光がプラチナブロンドを明るく照らした。

「我が甥がいつもお世話になっています」

 見知った顔によく似た、しかし全く違うことが分かる顔が見えた。チラチラと光が顔を照らし出し、顔の影を作る。

 同じ髪と瞳なのに初めてノアを見たときのような感慨は何も感じなかった。

 キレイな顔立ちだとさえ、思わなかった。

 返事をする気にもなれず、横を向く。殺されるかもしれないという思いが残っているはずもない。

「随分と、気の強いお嬢さんだ」

 男はゆっくりとこちらへ歩いてくる。足取りは軽く、優雅だった。

 隙なく着たスーツが揺れている。ぐいっと男がわたしの顎を掴み笑った。

「黒髪と瞳――。なんと美しいことか」

 くつくつと笑う男を睨みつけるが、『気が強いのは結構』と答えるだけだった。

「どういう、つもりですか?」

 かろうじで出た言葉を聞き、男は満足そうに目を細める。しかし何も答えなかった。

「わたしは、どう利用するつもりですか?」

 力を入れて尋ねると、男は笑いを止めた。

 持ったままだった私の顎から手を外し、わたしの顔をまじまじと見つめる。

「利用されるのが分かっているわりに冷静ですね」

 冷静というよりは、いまいち状況を飲み込めていないだけなのだが黙っていた。捕まっていて、よくないことに利用されそうなことくらいしか分からない。

 男は何も返事をしないと分かると、視線を外しソファに身を沈める。

「さて、面白い話をしましょうか」

 腕を組み、わたしを見下ろし、口角を上げた。

 ノアには悪いが、その顔は血の繋がりを証明するには十分だった。

「私は、現魔王は魔王にふさわしくないと考えています」

 手を組み合わせ、その上に顎を乗せる。その笑顔は先程とは比べ物にならないくらい不気味だった。

 ノアに謝らなくてはいけない気がする。この人、ノアより性格悪い。

「しかしあなたが現れたために、ジル様を擁護する一派が力を増しましてね? 

困っているんですよ。我が一族の癖にジル様側に立つ甥っ子もつくづく邪魔だ」

 ふぅ、とわざとらしく息をつくと、ノアと同じ色のプラチナブロンドが揺れる。

「でも、今日ほど魔王の――ジルさまの性格に感謝したことはありません」

 わたしの髪を引っ張り上げた。それに従ってわたしの顔も上がっていく。わたしの顔に男は同じく顔を近づけて言った。

「あなたと交換に……王座を空けていただくというのはどうでしょう?」

「そんなことっ!」

 思わず声を上げるとさらに強く髪を引っ張られる。

 痛みに首を仰け反らせると『失礼』と髪を離す。その白々しさに腹が立った。

「そんなことできないと、言いたいのですか? 

ですが相手は『あの』心優しい我らが魔王陛下だ。ありえないと、あなたは断言できますか?」

 男の呼ぶ尊称に尊ぶ心なんて含まれていなかった。どこまでもジルを見下して口に出した『魔王陛下』という呼び名。

 ノアが呼ぶときはいつだって尊敬の念で一杯なのに。

「ありえない」

 もっと強い声で言わなきゃ。

「ありえるわけないでしょ」

 あんた本当にそんなこと思ってるわけ?

 ジルがやると言ったって、ノアがそんな愚行許すわけないでしょ。あんたの甥はいつだって魔王第一。わたしの命なんて勘定に入るわけない。

「そもそも、わたしを人質にしてでしか空けられないような玉座、誰が座るわけ?」

 まともに争って勝てないくせに、魔王が務まるとでも、本当にこいつは思ってる?

「あんたは誰だったら納得するのよ」

「それは――」

「ジル以上に力があって、人を統率できる人がいるの?」

 人が図書室で勉強してたのに、こいつはそんなことも考えないでわたしを誘拐したわけ?

「わたしを誘拐して、次代の魔王にわたしが協力するとでも?」

 バカじゃないの?

「その魔王の時代になった途端、わたしが姿を消さない確証はどこから出てくるの?」

「黙れ」

 男が静かな声で言うと、開きかけていたわたしの口がぴたりと閉じた。

 もちろん、わたしの意思に反して。

「賢者は人間だと聞いた。ならば言いなりにする術などいくらでもある」

 痛みでも、快楽でも、魔力でも――。

「人間は脆いからな」

 すぐに使いものにならなくなる。

 そう呟く男に言い返そうとするのに口は開かず、体も動かなかった。

 ノアのときと一緒だ。こういうとき、わたしはここの人でないことを実感する。そして、自分の愚かさと弱さに歯噛みする。

「さぁ、どうやって言うことをきかせようか」

 弱い者をいたぶる快楽に酔う紅い瞳とかち合い、思わず喉が鳴った。

 本能が感じる恐怖からわたしは逃れられずにいる。必死にもがいているはずなのに、体は全く動かなかった。

 こいつの言いなりになんて、絶対にならないと心に決める。だけどそう考えている時点でわたしは自分の負けを認めていた。

「安心してください。今の魔王とそう変わりませんよ。性格以外はね」

 それが一番の違いなのに。

 民も人間も好きだと言ったジルがひどく遠くに感じた。

 ノアが玉座を譲るなんて絶対に許さない。確信しているのに、不安を拭い去ることができなかった。

 どこまでも優しいジルが耐えられるかどうかなんて、一週間程度しか一緒に過ごしていないわたしでも分かる。

 彼には、耐えられない。優しい彼が、耐えられるはずがない。彼の玉座の代わりにわたしが死んだと知ったら、わたしなんかのために、彼は一生後悔し続けるだろう。

 それが、簡単に分かってしまう。たった一週間と少ししか一緒に過ごしていないわたしでさえ分かるのだ。この男はもっとはっきり、分かっているのだろう。

「可愛い人形になって、次代の魔王様こそが賢君だと、民に知らしめるのです」

 首を振りたい。イヤだ、と。否定したい。



 ここへ来て、この世界に来て初めて――涙が零れた。



 どんなに不安でも、心細くても、ノアに何か言われても、賢者の偽者だとばれたときでさえ出なかった涙が頬を伝い、流れた。

 寝た体勢のままで、涙が髪の毛に吸い込まれる。

 声を上げることもできず、涙を流した。悔しかったのかもしれない。その理不尽さに腹が立ったのかもしれない。自分でもどうして泣いているのか分からなかった。

 そのときバンッと小さくて、でも耳に響く爆発音がした。

 涙の溜まっている瞳には人影しか映らず、それが敵なのかどうかさえ分からない。部屋に入ってくる光はもう仄暗く、涙を拭ってもはっきりとしなかった。

 体が、動く?

「ルーフルル卿。どうして貴殿がここにいる?」

 顔は全く判断できず、誰かも分からなかったのに、声が聞こえて体が震えた。

 その声さえいつもと全く違うものだけど、それでも分かった。

「ジル」

 どうしてここにいるのと続く言葉が出てこなかった。

 感情を押し殺した声が、余計に怖く感じた。いつも柔らかいとしか感じなかった声は硬くて、冷たい。

 まるで見知らぬ魔王のようだった。――少し前に見た前魔王、ダンテ・リュシラーズ様のようだった。


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