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優しい魔王サマ  作者: いつき
オマケ・短編
38/40

迷う必要はない

 桜ちゃんバージョン。こいつらは何と言うか……ウジウジしないです。

 卒業式が終わった次の日だった。

 学校に行くこともなく、雪乃のように大学のことで悩むこともなく、ただ惰眠を貪っていた。というのも、すでに進学先は決まっているからだ。

 推薦で決まった進学先は、行くかどうかも分からないまま、ただ何となく『決められていた』。気付いたら、そこの大学に行くようになっていて、新大学生としての準備をしていたのだ。

 意思はあった。親の押し付けでも、先生の言いなりでもない。だけど、『気付けば』だった。どうしてもそこの大学に行きたいというわけでもなく、その学科が学びたいというわけでもなく。

 信じられないことに、そんな状態でずっと過ごしていた。

 ……雪乃に知れたら、首を絞められてしまうだろう。

 そんなことをぼんやりと考えつつ、自分の部屋からリビングに降りてきたときだった。両親はすでに仕事へ行っており、活発な兄は今日もバイトかなんかだろう。

 適度に狭い家は静まり返っていて、誰もいるはずはなかった。なかったのだが。

「おはようございます。サクラ」

「え、あ、えっ?!」

 一瞬普通にスルーしそうになったけど、再びその人物を見て目を見開く。と、同時に部屋から出て自分の部屋に逃げ込もうとした。しかし、それを許してくれるほど相手も甘くない。

「朝の挨拶をした人間に、随分な仕打ちですね」

「おはよう、ノア。じゃぁ、そういうことでっ」

 部屋に入って扉を閉めようとするも、相手は片手でそれをはばむ。扉を挟んでの束の間の攻防戦は、やはり彼が勝者だった。

「まったくあなたは、何をそんなに」

「……誰が好きこのんで、男に寝起きの姿見せたいと思うっ?!」

 こちらはあちこち跳ねた頭に寝巻きである。そう、パジャマなんて可愛らしい表現ができない、テロテロの情けない姿だ。誰がこんな姿を人に見せたいと思う?

 恋人とか、彼氏彼女とか、そんな甘ったるい言葉が似合わないあたし達の関係だけど、そのくらいの気遣いはしようよ、せめて。

 今ので心の何かが折れましたけど。ええ、音を立てて盛大にな!

「今更でしょう?」

「なっ、あっ。っ!!」

 悔しくて口を閉じた。そうだ。あっちにいたときは、寝起きの姿を見られるのは日常だった。ほぼ毎日と言っていいほどだ。が、しかし、誤解のないように明言しておけば、それはこの男が原因だ。

 あたしに非は一切ない。

 気を失うまで血を吸われて、部屋に自分で帰れずにいるのが原因。つまり不可抗力、仕方のないことなのだ。

 毎日のように痛いのか、気持ちいいのか分からない感覚に晒されて、気を失うように眠り、次の日ぐらぐらする頭を抱えて起きる。

 そのときには、こいつはもうしっかりと支度を整えていて、寝起きのあたしの頭を一度撫でてから、『ご馳走様でした』と笑うのだ。――今思い出しただけでも赤面する。

 なんという生活を送ってたんだろう。

 最初は騒いでいたが、そのうちそれが無駄な行為だと気付いて諦めていた。その余波が、こんなところに来るなんて。

「い、今の状況とは違うのっ!」

「そうですか、ですが」

 気にくわないですね。この状況。

 にっこりと紅い瞳が細められる。ぞくっと背筋に電流が走った。その言葉が体を縛りつけ、自由を奪っているのだ。分かっている、こいつのいつもの手だって。

「近づくな、怒る」

「無理な相談というものですよ」

 帰りましょう、あちらへ。

 手を引かれれば、あたしの体は何の躊躇いもなく彼のほうへ傾く。咄嗟に壁へ手をついて、バランスを保とうとするのだが、するりと壁は消えて体を支える術がなくなる。

 部屋が一気に崩れ去った。

「っ」

 息を呑み、来るべき衝撃に耐える。落ちるような感覚は毎度のことなのだが、慣れることはない。早い話、ジェットコースターに慣れないのと同じ原理だと思う。少なくともあたしは毎回怖い派だ。

「あなたは、…………ですか?」

「え?」

 飲み込まれていく風の音が煩くて、彼の掠れるような呟きを聞き逃した。慌てて聞き返すが、ノアは緩やかに笑ったまま再び言ってはくれなかった。

 いつもより穏やかな落下は彼のおかげなのか。それともただの気まぐれなのか。


 すとん、と地に足が着くと、彼は何も言わずあたしの手を引っ張って、『あの』自室へと連れて行く。何度も通い慣れた道だった。

 もう今ならば、目を瞑っていたって行けるだろう。

「えっ、ジルさんに挨拶しないの?」

「魔王陛下は今取り込み中です」

 あ、そうですか。取り込み中ってことは、雪乃も来てるってことかな? どうでもいいけど、魔王様が泣かなければいいけど。

「あ、の。ノア?」

 部屋へ引き込まれ、投げるようにソファへ倒された。柔らかい感覚が背中へ当たり、慌てて体を起こそうとするが、上から圧し掛かられて肘を付くことさえできない。

「何するの」

「決まっているでしょう?」

 ここへ来て、あなたは他のことをしましたか? 血を飲まれる以外に。

「そう、だけど」

 寝巻きなんだよね。首元が大きく開いている。脱がす必要もなければ、ボタンを外す必要もない。言うなればすごく、吸いやすい服装なんだろう。

 くっと衿をひっぱられ、首元が開かれる。手で押し返そうとするのに、彼の片手で呆気なく掴まれて上に纏め上げられた。目を細めて怒りを表すが、彼はどこ吹く風だ。

 こいつ、とことんドSだな。鬼畜だな。このモノクル鬼畜めっ。

「あなたは、どうするつもりですか」

「あっ」

 ぐっと無遠慮に歯を埋め込まれて、びくりと体が跳ねた。痛みを上回る感覚が、体を浸食する。飲み込まれて、訳が分からなくなって、頭が真っ白になる。

 血を啜られるその音でさえ、わたしを脅かす材料だ。耳に付くその音は、耳に入り込み脳を溶かす。甘い、どろりとしたモノが体を駆け巡った。

 気持ちいい、なんて可愛らしい表現では言い表せない。過ぎた快感は毒にしかならず、涙を流してそれに抵抗した。

 何もかも流される。どうでもよくなる。だけど、流されるわけにはいかなかった。

「どうするって、何がっ。っ!」

 ちろりと舐められた肌が熱い。流れる血が熱い。頬を滑る涙でさえ、熱い気がした。自らの口から出る吐息は異様に熱くて甘い。その吐息を止めようとする前に、彼はあたしの唇を封じた。

「やっ、め」

 弱々しく抵抗をしてみせる。

「あなたはっ、どちらを取りますか?」

「へ?」

 どちらって、どちら?

「あちらの世界と、こちらの世界。あなたにとって、本当の世界はどちらですか?」

 あっちの世界はあたしが生まれた世界。

 こっちの世界は彼が生まれた世界。

 どちらも、本当の世界じゃないの? どちらかが、偽者だとでも言うの?

「そんなの、わかっ」

 分からない、と答える前により一層強く吸われた。ぐっと血が抜き出される感覚がして、手の先が冷たくなっていく。視界が揺らいで、くらくらとした酩酊感に酔わされる。

 もう気持ちいいと言えない。吐いてしまうような、気持ち悪さ。

「分からない、なんて言わせない」

 ユキノは未だ決められていないようです。なら、あなたは?

「あなたは、どちらの世界で生きていくおつもりですか?」

 その言葉は、聞いているようで、聞いていない。答えは初めから出ているだろうと言うように、あたしの口から『それ』を聞き出そうとする。

「どっちかを、選ばなくちゃ、いけない、わけ?」

「どちらも、選ぶと?」

 切れ切れに問いただすと、彼は楽しそうににやりと笑った。嘲笑の含まれたのその笑みは、苛立ちを湧き上がらせて最後の力を振り絞って起き上がった。

「いい加減にっ、してよ!!」

 血が重力に沿って肌を滑る。熱さは体を巡って口から抜け出し、体温を奪う。熱に魘されていた頭はむしろ冷え切って、ただ吐き出すように言葉を出した。

「サクラ」

「もしも『道』が切れて、どっちかの世界しか選べないって言うんなら」

 悩む必要もないから、本当の世界なんて考えたこともなかったんだ。そんなの、考えるだけ無駄なんだから。最初から、答えなんて決まってる。

 もしも、のとき、どっちを選ぶかなんて。だけどその『もしも』は、まだ来ていない。

「それならあたしはっ」

 悩むことなんてない。雪乃みたいに選べない、と泣かない。

「あんたのいるこっち側を選ぶに決まってるでしょっ?!」

 そんなことも分からないのか、こいつは。

「あたしは、雪乃みたいに相手のためを思って、とかできないから。たとえあんたが苦しむって分かってても、おいて逝くって分かってても」

 それが、残酷な決断だって言われても。

「もう、ノアがいない世界で生きれないっ」

 嫌味ったらしい口調。

 プラチナブロンドの髪に、血のような紅い瞳。

 人形めいたその顔立ち。

 人を馬鹿にするような視線を寄越すくせに、時折見せるその眼差しはひどく甘くて熱い。

「全部、忘れられないの! ほしいの、誰にも取られたくないの。あたしだけのものにしたいのっ」

「あなたはっ」

 ぐっと引き寄せられて、再び首筋に顔を寄せられた。また血を吸われるのかと思ったが、首筋に押し当てられたのは唇だけで、それ以外は何もされなかった。

「馬鹿ですね」

「なっ」

「どうして、そんなに簡単に今まで生きてきた世界を捨てられるなんて、言うんですか」

 捨てるんじゃないんだけどなぁと思いつつ、彼の背に手を回す。どうすれば、こういうのを上手く伝えられるんだろうと思う。

 あたしは、ただ雪乃みたいにしっかりと考えれないだけなのかもしれない。

 相手の幸せを考えて、手を離したりできないだけかもしれない。

「捨てるんじゃなくて、選択しただけなんだけど」

「馬鹿ですね」

 ……でも愛してますよ。

 そんなことを言う彼を得るためだから、迷う必要はないのだ。

 こっちの方が甘く仕上がった不思議! 色物っぽい気がしないでもないけど、この二人の関係性ってこんなものかなぁと思ってます。

 唯一報われないジルが可哀想で可哀想で。

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