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優しい魔王サマ  作者: いつき
本編
16/40

何もいらないほどに

「父から、あなたの話は聞いていました。母の死の真相を、そして父がこれから死ぬということを。それから」

 父が最も愛し、大切にした『賢者』のことを。

「あなたの写真と名前――、そして父とあなたのエピソードだけが手掛かりでした」

 父は、俺に託したんです。あなたを殺す方法を。

「取引成立?」

 このと、私の死と。

 その問いに答えず、ジルは雪乃の体を引き寄せた。雪乃……エリスは嬉しそうに喉を鳴らす。

「父が大臣たちを殺してまで守ったということを、自覚して言っておられるのか?」

「別に頼んでないわ」

 大臣を殺してほしいとも、魔力がほしいとも。

「二百年前ね、体が朽ちたの。そのとき死ねると思った。なのに」

 ダンテはまだ私が死ぬことを許さなかった。

「父はあなたのために少々の魔力を与え、あなたに関する全ての情報を消した」

 それでよく、自分を殺せとおっしゃれる。

 それを聞き、エリスはハンッと小馬鹿にしたように笑った。

「私はもう十分すぎるほど生きた。人にしては、気が狂いそうなほど長く生きてしまったの。いい加減、死にたいと思わない?」

 ただ死ぬために生きた。

 術を解く方法だけを探した。

 『死ぬために生きる』

 そもそもが矛盾した行動だと知っていた。しかしその歪みを正そうなどと考えもしなかった。

「だから、あの吸血鬼が駄目元で私を呼び出そうとしていると知ったとき」

 すごく嬉しかった。ダンテの息子に殺してもらおうと思った。

「このを利用して、死のうと思ったの」

 雪乃の体は自らの胸に手を当てて笑った。

「あなたがこの娘を気に入れば、助けたいと思うでしょ?」

 ダンテの息子だもの。

「俺もノアも、ユキノを見た瞬間、偽者だと分かった。殺すとは思われなかったか?」

「黒髪黒目の娘を殺す? いくら『賢者』でなくても戸惑うでしょ。……まぁ」

 殺されたら、殺されたで別にいいけど。

 雪乃の口で、雪乃の声で『雪乃が死んでもいい』と言った。

「貴殿はっ!!」

「あら。呼ぶ方が変わった。怒った?」

 胸倉をつかまれても、その笑顔は変わらなかった。

「憎い?」

 顔を近づけ、ジルに問うた。そっとその顔に手を添え、まるで愛しい者にでも向けるように優しく微笑む。その顔に雪乃の表情は残っていない。

「死ぬことで、救われるとお思いか?」

「ダンテだって死ぬことでしか、あなたのお母様へ償いができなかったわ」

 ジルが一瞬息を呑み、しかし息を吐いてエリスを放した。エリスは少しだけ残念そうに笑う。

「殺すの? 殺さないの?」

「ユキノはどうされるおつもりか」

「別に、どうもしないわ」

 死ぬときに離れるだけ。それ以上の干渉はしない。

「私を殺してくれるなら、大人しく返すわよ。あっ」

 エリスはそこまで言って、何か思いついたように瞳を輝かせた。自分が思いついた案が、まるで名案であるかのように笑う。

「この子を、この世界へ残しましょうか」

 つまり、元の世界へ帰れないようにしようかと。

「あなた、この子が大切でしょう? 帰したくないでしょう? 元の世界へ」

 笑う。

 哂う。

 すぐに拒否できないジルを。その申し出を突っ張れないジルを。

「ユキノを、返して、くれ。話はそれからだ」

 元の世界へ帰すも、帰さないも、ユキノが返って来てからだ。

 雪乃の、エリスの首を掴み静かに言う。ジルの瞳が冷え冷えと光った。それを見てエリスは笑う。

「じゃぁ、取引の内容を確認しましょう」

 にたり、と気味悪く笑う。

「あなたは私を殺す」

 まるで呪いのように、その言葉はジルを侵食する。

「私はこの娘をあなたに返し、あとは干渉しない」

「本当に、死にたいと?」

 ええ、とエリスは何でもないように笑う。

 それが当然で、生きることの方が不自然であるとでも言うように。艶やかに。その表情の中に雪乃を見出そうとするジルを笑った。

「父しか愛するモノがなかった……。あなたは、悲しい人だ」

 ジルは優しく笑い返した。

 悲しみも、哀れみも混ざったような――しかしそれは優しい笑みだった。その中にエリスはダンテを見た気がした。



 小さな、それは小さく響く言霊だった。

 少女の鎖を断ち切る、刃のような言葉。同時に少女の戒めを解く鍵の言葉でもあった。雪乃の体が青白く光を帯びていく。

 体中からいくつもの文字が浮かび上がり、そして消えていく。

 体が朽ち、それでも消えることのなかった文字がエリスの魂そのものから消えてゆく。

 たとえ生まれ変わったとしても、決して消えないようにとダンテが願った、無謀で純粋な気持ちの塊たち。



「あっ……」

 ホロリと、エリスは涙を零した。

 ついぞ零すことのなかった涙を数百年ぶりに流す。そこにいるのは『賢者』でも何でもなく、一人の男を一途に愛し続けた少女。

 ダンテと会ったときとほぼ変わらない、弱くて、それゆえに強くあろうとした少女。

「ダンテ」

 ねぇ、愛していたの。

 他のものなんて何もいらなくなるくらい。だけど言葉にすればそれはありきたりで、ひどく薄くて軽かった。

 伝えられていると思えなかった。何度口付けても、何をしても。幾度抱きしめても。

 どんな言葉を使っても、どんなに行動で示そうとしても。

 この心を占める気持ちの千分の一も伝えられている気がしなかった。だけど、本当に、本当に。

「あなたが大切だった」

 愛してくれる分……それ以上にあなたを大切にしたかった。


『知っている。お前は、そういうヤツだったと前も言ったろ?』


 ふと声が聞こえた。どこか呆れたような声。そして聞き間違えるはずもない声だった。

「迎えに、来てくれたの?」


『約束しただろう』


 忘れたのか? と笑う声が、懐かしくて――。また涙が零れた。

 エリスに向かって差し出された手を、エリスはそっと掴んだ。感触を確かめるように小さく握り、次いで逃がさないとでもいうように強く握る。


『土産話、用意しているだろうな』


「聞き飽きるほど、用意してるわ」

 ずっと待ってた。このときをずっと、ずっと。誰かが傷ついても、泣いてもいいと思うくらいずっと。

「あなたの息子を、ひどく傷つけてしまったかもしれない」


『大丈夫だ。俺の息子だからな』


 そうね。この子を返すんだもの。

 エリスは名残惜しそうに雪乃の頬を撫でる。

 そのときようやく雪乃から抜け出していることを知った。それと同時に雪乃の体が傾き、がくりと膝から崩れ落ちた。それをジルが抱え込む。

「ありがとう、ユキノ。あなたのおかげよ」

 そして小さな魔王サマ、ありがとう。

「あなたのお母様を傷つけてごめんなさい。お母様が処分される原因を作って、ごめんなさい」

 でも後悔しないくらいには、幸せだった。罰を受けてもいいと思えるほど、ダンテを愛していた。

「あなた、ダンテに似ているわ。だから大丈夫」

 きっと。いい魔王になれる。

「だって大切な人、ちゃんといるでしょう?」

 それが分かってるなら、大丈夫。




 ありがとう、さようなら。――ごめんなさい。




 それがわたしの聞いた、彼女の最後の言葉だった。

 幸せそうな彼女がほんの少しだけ羨ましくて、そんなふうにわたしも人を、誰かを大切にしたいと思ってしまった。

「「ユキノっ?!」」

 そして二人の声で、気がつく。賢者様から返してもらったんだ、体。

 『あなたの体、私にちょうだい』

 そう言われたときはちょっと、いや、かなりびびったけど。

「ジル、ルーク」

 呼びかけると二人とも、少し泣きそうな顔をした。ジルの腕の中はいつもどおり温かくて、だけど酔いそうな血の匂いも微かにした。

「血は、流さないんじゃなかったの?」

 血だらけの二人に、皮肉を込めて言ってやると二人はしゅん、と大人しくなる。

 少しやりすぎたかな? と思わなくもないが、それでも責める気持ちに変わりはなかった。

「あなたたちがどう思おうと」

 魔王であり、勇者である。前の代と比べて劣っていようと、務まらないと思おうと。

「あなたたちしかいないじゃない。条約でも同盟でも結べるのは」

 気まずそうに二人はこちらを見た。しかし何も言わない。動かない体がもどかしくなったが、なかなか上手く体が動いてくれない。

「結んで血を流さないの? 結ばないで血を流すの?」


 どっちなの?


「結ぶ」

 ポツリとジルが言った。

 どこか、何かを吹っ切ったように、こちらを見て笑う。この優しい笑顔が戻ってよかったと思った。その瞳に殺気が映るのを、見ていられなかったから。

「父に及ばなくても、魔王らしくなくても」

 俺はそれでも魔王だから。

「貴殿はどうだ?」

「僕は、初めから戦うつもりでここへきていません」

 ルークも笑って答える。その笑顔を見て、安心して……そしたら意識がとんだ。

「「ユキノっ?!」」

 心配、させたかもしれない。



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