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優しい魔王サマ  作者: いつき
本編
14/40

死ぬか生きるかも決められず

 いきなり後ろから抱きつかれる。

 小さく込めれる力は抵抗すれば逃れられるほど弱く、小さく感じる温かさは抵抗できないほど優しかった。

全てが彼らしい、とエリスは思いながら、座ったまま後ろを振り返った。

「ダンテ」

 返事の変わりにぎゅっと力を強くされる。

 エリスはふぅと息をつきつつ、後ろから回されている手を数回叩いた。それでも伏せられている顔は上がることながないので、エリスは下から覗き込んだ。

「どう……」

 言葉は相手の唇に呑み込まれる。

 そのまま数回、軽く肌の表面だけを合わせるような口付けが繰り返された。

 抵抗する余地さえ与えず、繰り返し唇を求められる。いつもならありえない行動にエリスは戸惑った。

「ダンテ!!」

 一瞬だけ、ほんの一瞬わずかに唇が離れた瞬間、エリスはダンテを押しのける。はっと息を吸い込むが、逃れられたのはその間だけだった。

 次の瞬間にはイスを回され、今度は正面から唇を合わせられる。

 少しだけ強引で、それでも優しく……。

 エリスはついに抵抗することを止めた。抵抗したところで受け入れられないことを知っていたし、ダンテがそうする理由を聞き出したかった。

 触れ合って、離れて、また触れ合う。

 それだけの口付け。それ以上求められることなく、ただ執拗にそれだけが繰り返される。

「どう、したの」

 息切れが治らぬうちに、エリスは聞いた。手の甲で唇の端をぬぐい、再度ダンテの顔を見ようとした。

「エリス」

「何?」

 ひどく心細そうな声に優しく問いかけた。それしか自分にはできないとエリス自身が一番よく知っている。

「お前がいなくなった後、俺はどうすればいい?」

 今まで一度だって聞かれたことはなかったし、これからも聞かれないだろうと思っていた問いだった。

 聞いたとしても無駄だと、お互い知っていた。知っていてなお、どうして聞くのか。

「どうすればいいって――」

 そんなこと考えたことがなかったエリスは答えに窮した。

 自分は絶対、置いて逝く側だから、妙に安心していた。自分が嘆き、悲しむことはないと。最初で最後の『大切な人』をなくす痛みなど、エリスは知らないし、知るつもりもなかった。

「ダンテは魔王なんだから」

「お前がいないのにか?」

 ダンテの言葉に、エリスは返す。

「私は人間だから、よかったと思ってる。ダンテが死ぬとこ見なくていいって」

 でも、そうだね。私が見たくないものを、あなたは見るのね。

 『大切な人』の死ぬところを見なくちゃいけない。そしてその悲しみを抱えたまま、生きなくちゃいけない。

「だけど、ダンテは生きなきゃダメでしょ」

 魔王なんだから。

 エリスが言うと、ダンテはまた唇を奪った。先程より荒く、どうしようもない痛みと苛立ちをぶつけるような動き。

 仕方のないことを否定するように、肯定するエリスを黙らせるように、奪い続ける。

「お前は残酷だ」

 自分が感じないと分かっているから、『生きろ』と言えるんだ。

 痛みもある、苛立ちもある、しかしその瞳に一番強く映る感情は悲しみだった。どんなに抵抗しようと覆せない人間と魔族の違いに苦しんでいる瞳だった。

「俺はいつも、お前がいなくなることを恐れているのに」

 さっき、大臣に聞かれたよ。人間の寿命はいくつくらいなのか。

 ダンテはそう言い、そして離れることが惜しいとでも言うように、唇の端をなめられた。

 そしてゆっくりと唇を離す。エリスはその痛みを分かち合おうとするようにダンテに抱きつき、その背を二度、三度叩いた。

 それからエリスはダンテから手を離し、立ち上がる。そろそろ大臣たちとの会議が始まる時間だ。

「先、行ってて。大臣た……」


 トスリと、それは軽く音を立てて突き刺さった。


 まだ二十歳をいくつか過ぎるか過ぎないかという、幼ささえ含むその体に、それは刺さったのだ。遠慮も何もなく。

 柔らかく白い布は一瞬それを包み込むように揺らめき、次いでじわりと染み出した血を含んで赤い斑点を作る。

「……ぁ」

 声が零れ、ダンテの方へ倒れこむ。

 少女の体を刺し貫いたのは、細身の矢だった。

 狩りをするときに使用されるようなものではなく、何かしら呪術的な意味を持つ矢。

 背中にあるそれを見ることなく、エリスは『毒矢』と呟いた。息のような声はエリス自身にも届かない。

「抜い、て」

「出血が」

「いいから……!!」

 深く刺さったそれに手を添えると、エリスが唇をかみ締める暇もなくダンテは引き抜いた。

 エリスの手がダンテの腕を強く握り締める。その力の強さはそのまま痛みの強さだと思った。

「ダンテ」

 そしてだくだくと流れ始める血も気にしないまま、エリスはダンテの顔を引き寄せた。死期がすぐそこに迫っていると、エリスは何となく分かった。

「エリス。先に謝っておく。俺には無理だ」

 エリスの背中の傷を見て、ダンテは小さく笑う。

 これからすることへの謝罪はエリスの耳を通り過ぎた。エリスにはその意図が分からず、顰めている眉を少しだけ引き上げる。

「俺は弱いから、お前を死なせることができない」

 そう言ってダンテはエリスを引き寄せた。

 仰向けにさせ、そして胸元の中心に指でいくつかの記号を記す。そうしつつ言葉を紡いだ。聞き取りにくい、まるで歌のように心地よく響く言葉だった。

 しかしそれは鎖だ。一人の少女をこの世へ留めておく鎖だった。

「何、するの?」

 ゴボリと零れ出た血が口元を、顎を、首をぬらしていく。


 それでも鎖は鎖で、エリスはダンテが何をやっているのかようやく悟った。十数年前、たった一回だけ文献で見たことがあるものだった。

 幼い心であっても、倫理に反することくらい分かってしまうくらい、それくらいの術。

 それをもし、ダンテも知っていたとしたら? 使える者もいない、ましてや使えるだけの力を持たなくなったからこそ、使われていない術。

 すなわち『霊縛たましばり』。人の生命いのちを、魂をこの世に留める術。

 生命の倫理さえ危うくなる術。

 エリスはそれをおぞましいとしか感じられなかった。ことわりを曲げてまで生きようなんて思ったこともなかった。


「やめて」

「無理だ」

「……恨むわよ、ダンテ」

「知っている。お前はそういうヤツだ」

 許せとは言わない。納得しろとも言わない。これは俺のわがままで、自己満足だ。だから俺が言うのは唯一ただひとつ。

「生きろ。生きて俺の死を見届けろ」

 俺に生きろと言ったんだ。俺が死んだ後も生きてもらうぞ、エリス。

「最っ低」

 荒い息が口から零れ、そして血が止まった。エリスはぐっと目を閉じ、そして目を開いた。

「ダンテ」

 もう声は震えていない。

 ダンテが惹かれた、何をも見通すような鋭い瞳が強い光を宿していた。その光に、ダンテは一瞬だけ慄く。しかしその光を受ける瞳もあくまで真剣だった。

 責めるような声も、怒りで煌く瞳も、エリスがエリスであるがゆえに持つものだ。

「解いて」

 術を解かれたら死んでしまうと分かっていても。

「解いて!!」

 エリスは叫んだ。

「魔王だから、人の命の長さまで思いどおりにしてもいいと思ってるの?!」

 治った傷が僅かにうずく。しかしその程度の痛みだった。その程度の痛みしか感じられないほど、傷が治っていた。

「今すぐ解いて」

 しかしその声にダンテは答えなかった。

 『できない』とはっきり言わなかった。そしてエリスを見て笑う。諦めの混ざったような笑顔にエリスは言葉を止めた。

 抑えきれない怒りだけがゆっくりとエリスを蝕んでいく。その感覚が、エリスをさらに苛立たせた。

「エリス」

 なだめるような声で、懇願するような声で、そして恐れるように手を伸ばした。エリスは逃れられず、大人しく捕まる。怒りのせいで吐いた息は熱かった。

「お前は人間だから、恐れたこともないだろう」

 想像さえ、しないだろうな。

 苦笑いのダンテはエリスを抱く力を強めた。


 『人間はどんなに長く生きても、置いて逝く側だろう』

 ――何を示すのか、分からなかった。


「俺はいつも、恐れていた」

 人間は弱く、すぐ死ぬ生き物だ。

「どんなに大切にしたところで、一緒にいれる時間なんて限られている」

 どうにか、離れる手を掴もうとした。すり抜ける手を、離したくなかった。

「生きろ、エリス。俺を」

 俺を置いて、一人で逝くな。

「私は、あなた以外に大切なモノなんてないのに?」

 その言葉に今度はダンテが首を傾げる番だった。それが示すものが分からず、エリスの顔を見つめるとエリスは小さく微笑した。

「でもダンテは違うでしょう?」

 これが答えだ。

「あなたには王妃も王子もいる。何より守りたい民がいる。これ以上に何が大事なの?」

 私は賢者という地位以外、何も持っていない。守りたいものさえない。

「ダンテを失ったら、私は存在理由もなくなるの」

 エリスは血で染まるドレスに目を向け、そして斑点に指を這わせた。

 どうしようもないくらい、彼女は今悲しかった。今まで誰にも必要とされなかったという事実を突きつけられた。

 そしてダンテが死ねばまたそうなるのだろうと、簡単に分かった。……分かったことを、真正面から突きつけられたのだ。

「あなたは、大丈夫でしょう。私が死んでも、皆がいる。息子が後を継いで、そしてその子供の顔を見て――。

魔王として生きれば、独りになることもない。王妃様だっていつもあなたの側にいる」

 エリスは苦笑した。これではまるで王妃と王子に嫉妬しているように聞こえてしまう。

「いずれ、あなたは私を忘れるはずだったのよ。私が、死んだ後」

 長い、永い一生の内のほんの数年の出来事だから。

「でも私は、あなたしか必要じゃないし、あなた以外に必要とされたくない。私はっ!!」

 私の寿命では、あなたを忘れられない。

 泣き出したくなるほど優しくされたことなどなかった。誰からも『大切だ』と言われたことなどなかった。

 どういうときに、抱きしめてあげたいと思うのか知らなかった。

「あなたが死んだ後、私は何のために生きるの?」

「エリス」

「どうして、私は生きてるの……」

 嗚咽が漏れて、それから幾時泣いたかエリスには分からなかった。

 ただダンテは何も言わず、落ち着かせるように時折背中を叩くだけだった。そして初めて感じた。取り残されていく、その恐ろしさを。

 何時間そうしていたか、あるときダンテは口を開いた。

 未だ涙の枯れぬエリスに小さな口付けを落とし、安心させるように笑う。そうするといつも厳しく見える顔がとても優しく見えてしまう。

「エリス。死ぬために生きろ」

 何時いつか来る、そのときを探して生きろ。

「死ぬのを、目的にしろと言うの?」

「そうだ」

 そうすれば、いつかきっと迎えに来てやろう。

「生きる者には等しく死がある。だから」

 お前がそれまで目的を持って生きたのであれば、俺はどんなことをしてでも迎えにいく。

「お前は俺が唯一、欲した女だからな」

 初めて手に入れたいと思ったのは国の領土や宝石などではなく、一対の強い光を宿す瞳の少女だった。

 民が幸せならそれでいいと思っていた自分が、唯一誰よりも幸せにしたいと思ったのはこの少女だった。

 置いて逝かれるのを恐れるくらい、愛したのもこの少女だった。

 その恐れを相手に押し付けることでしか、その恐れを取り去ることができなかった。それでも謝罪の言葉は出てこない。

「土産話は飽きるほど用意してろよ」

 そしてそのとき、二人で笑って会おう。でも。

「あと数百年は一緒にいてやるさ」

 だからお前が独りになるのは当分先だ。それまでに、決心はつくだろう?



 『数百年は一緒にいる』 ――その約束は破られることはないはずだった。


 

 しかしそれは思いがけない形で破られる。エリスでさえ、予想し得ない形で。




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