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優しい魔王サマ  作者: いつき
本編
12/40

本物の賢者サマと契約を

 ばん、と力いっぱい扉を開けた。

 そして、息を呑む。大臣たちで埋まっていたその場所に、今は二人しかいなかった。『生きている』モノは。

「……ぁ」

 恐怖で喉が鳴った。

 抑えきれない悲鳴が口から零れ出る。そしてそのまま固まった。部屋一面の血の海、むっとするような臭いが鼻を突く。

 壁にべっとりと付いた血も、床に溜まる血も、一人や二人の量ではなかった。


『どうやら、ずいぶん暴れた後みたいね』


 あの軟弱な吸血鬼の坊やが、変に止めようとするから。

 不満そうな声が隣から聞こえた。隣に立つ人は小さく眉を顰めながらも、目を背けるようなことはしなかった。

 この光景を、ただ冷静に見ていた。気が狂いそうになるくらい紅く染まった部屋を。


『あれが、あなたの望んだ魔王様でしょ?』


 白くたおやかな手が示す先にいるのは二人。

 大振りな剣を易々と操り、切りかかる……まだ少年と呼んでもおかしくない顔立ちの人間が一人。細く長い剣でそれを防ぐ――いつもは穏やかな青年が一人。

「ちがっ」

 わたしが望んだのは、こんなことじゃない。

 こんな魔王様になってほしかったんじゃない。こんなもののために、あんなことしたんじゃないのに。殺しあうために、魔王様らしくなる教育をしたわけじゃない。

 二人の剣はぶつかっては離れ、離れては再びぶつかった。

 その間も二人の体をかすり、血が滴る。

 鮮血が、紅い血が、剣が振るわれる度に散る。まるで、紅い花びらのように。怖いくらい美しく、散る。


『でも、魔王らしいわよ?』


「だけど」

 言い訳は喉で消えた。

 何も言えなくなった。だって確かに望んだのだ、自分は。ジルが魔王らしい魔王様になることを。わたしが。わたし自身が。

「どうして」

 ジルは傷つけあいたくないと言った。

 寂しそうに、泣き出しそうに、そう言った。血を流したくないと。優しい、とても魔王様に見えない笑顔でそう言った。

「どうして」

 ルークも言ったのに。血を流さない方法があるのなら、それが一番いいと言った。

 大賛成だと、そうならば条約を結んでもいいと。勇者様には似合わないくらい童顔で、優しい声で。

「どうして闘ってるの? 剣を振るってるの?」

 どうして今わたしは、ここにいるのだろう。


『あなたは無力ね』


 その言葉が、深くわたしの心に突き刺さる。そして、抜けなくなった。

 無力だ。ここへ来て何度思っただろう。わたしは、無力だ。何もできない。思うだけで、どうすることもできない。

「闘ってほしくて、魔王らしく教育したんじゃないのに」

 傷つけあうことを是とするようになるのなら、そうなってしまったのなら。

「それなら、魔王らしくなくてよかった」

 そんなことするくらいなら、あの優しいジルのままでよかった。闘いたくないと言ったジルの方がよかった。

 お茶を淹れてくれて、わたしを気遣ってくれて、みんなの心をおもんばかるジルの方がよかった。

「わたし、ダメだなぁ」

 小さく呟いた。自分の耳にさえ、届くか届かないか微妙な、それくらい小さな声で呟いた。

「賢者なんて、全然務まってない」

 どうしてこんなことも予想できなかったんだろう。

 予想して、止めて――両方が傷つけ合わなくてもいいようにして、それが本当の賢者の役目のはずなのに。

 五百年前は争わずに済んだのに。

 ぎゅっと自分の無力さを悔やむように唇を噛んだ。

 自分を守る言い訳が出てこないように、強く、強く噛みしめる。少しだけ鉄の味と鈍い痛みがして、これが罰ならばどんなにいいだろうと思った。

「どうすれば」

 いいのか分からない。どうすることがいいのか。


『あなた賢者でしょう?』


「偽者よ」

 意地悪そうな顔。まるで、わたしを試すような。


『ねぇ、ユキノ。たった一つだけ、方法があるって言ったらどうする?』


 歌うように滑らかに、笑っているように軽々しく。彼女はその言葉を口にした。


『もし、この二人を止められる力があなたにあって、それをたった一回だけ使えるとしたら、あなたは代わりに何を差し出す? 何を、私にくれる?』


 ニヤリ、と企むような笑顔でわたしに問いかける。

 わたしがそれをねつけられないことを知っていた。どうしても何とかしたいと思っていることを知っていて、それでこの取引を持ちかけているのだと分かる。

 いつものわたしなら、絶対のらない取引だ。

 他人のために、自分の身をどうにかするなんてありえないことなのに。


『ねぇ、どうする?』


 でも、どうしても止めたくて。

「あなたの、望むものをあげる」

 そう言ってしまった。






「そろそろ終わりにしませんか?」

 ルークは苦笑いで言った。

 あちこちの傷から滴る血が顔や手を紅く染めているのにも拘らず、その笑顔はいつもどおり優しくて、穏やかなままだ。

「大臣を何人も殺しておいて」

 そう呟くジルの肌も紅く染まっていた。死んだ大臣たちの亡骸は残ることなく、砂となって消えていった。脱ぎ捨てられたような服だけがあちこちにあった。

「あなた方が、多勢に無勢というに相応しいことをしたんです」

 卑怯だと思いませんか? 僕は闘うつもりなんてなかったのに。

「知っていた。俺も闘うつもりなんてなかった。ユキノに、止められたからな」

 真っ直ぐに向けてきた瞳に、決意を固めたのに。

「でも、俺は立派な支配者じゃないから、どうしても大臣たちの意見に流される」

 苦く笑ってジルは剣を振るった。ルークの頬をかすめ、血が舞う。ルークも高く剣を振り上げた。 

 そのときだった。

「いい加減、止めたらどう?」

 聞きなれた声が入り、二人の剣を受け止める。

 少し長めの髪がゆっくりと肩に落ちた。見慣れたはずの、光景だった。

「「ユキノ?!」」

「あーあ。やっぱりダメね。全部は受け止められないわ」

 ジルとルークの呼びかけに答えず、少女は自分の手の平を見て言った。

 二人の剣を受け止めた手、はまるで火傷したように赤く爛れている。痛々しいその傷に、二人はそっと視線を外した。

 少女は眉を顰めるが、痛みにというよりも、その傷を苦々しく思って眉を顰めているようだ。

 自分のものである体に傷が付いたのが気に入らないらしい。

「ユキノ、どうしてここに」

「ユキノじゃないわ」

 咎めるようなジルの声を遮り、少女は笑った。いつもの少女なら絶対にしない表情と、口から出た言葉に二人は目を見開く。

「エリファレット・メルザスって言ったら魔王様には分かるかしら?」

「まさか、賢者……?」

 『信じられない』とジルの顔が語っている。

 何か別のものを見るように、ジルは呆然とした。一方ルークは事態が理解できないのか、雪乃の顔をじっと見つめる。

「この子はあなたたちの戦いを終わらせるために、自らの体を私に差し出したわ」

 ジルとルークの顔が一瞬にして固まる。

 それを見て雪乃の顔をした『賢者』は笑った。何が可笑しいのか分からないほど、面白そうに笑う。

 クスクスという明るい笑い声が、紅く血に染まった間に不自然に響き渡った。

「あなたたちの愚かな行動が、この子を傷つけた。そんなことも分からない? この子が自身を責めるなんて考えつきもしなかった?」

 自分の胸に右手を当て、『雪乃』が笑う。剣を握り締める二人を嘲笑う。

「ジルベール・リュシラーズ。あなた本当にそっくりね」

 その姿も、あり方も、望むことさえも全て。

「ダンテに似てる。怖いくらいにそっくりよ」

 ゆっくりと、雪乃はジルに近づき抱きついた。

 ジルの首に両腕を回し、ぐいっと自分の方へ近づける。雪乃と同じ顔のはずなのに、受ける印象が違いすぎてジルは顔を背けた。

 その様子さえ面白いのかクスリと笑みをこぼし、そしてジルの耳元に唇を寄せる。そしてジルにしか聞こえない小さな声で話し始めた。

「大切な女の子の体が近くにあるのに、動揺さえしないのね。つまらない坊やだこと」

 馬鹿にしたような言葉にジルは返さない。雪乃の体の賢者は不満そうに眉を上げながらかまわず続ける。

「坊や、取引しましょう。この子の体、返してほしいでしょう?」

 ピクン、とジルの体が反応する。先ほどまで微動だにしなかったのに、と賢者は笑った。

「私を、殺してくれたら、この子を返してもいいわよ」

 笑ったのを気配で感じ、ジルは雪乃を見た。

 いつもと変わらないような顔とぶつかり、慌てて視線を外す。中身は違う。だけど近くで感じる熱も、ふわりと広がる香りも『いつも』の少女のようで。

「この子のこと、大切でしょ?」

 なら取引しましょう?

「あなたのお父様が私にかけた術を、解いて」

 『死なない』術を解いて。同じ魔王であるあなたなら、できるでしょう。

「肉体が死んでも、心までは決して朽ちなかった。――呪いだわ」


 殺して。


「私を」


 殺して。


「ただの人間が、数百年生きることの苦痛がどんなものか分かる?」

 ダンテが死んだのに、なくならなかった『私』という存在。

「父を恨んでいましたか?」

 ボソリとジルが聞いた。賢者は『ええ』と答えて美しく微笑んだ。

「同じくらい、愛していたけれど」



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