0.40 過日 持っていることを忘れても
「これは、酷いな」
そう呟いたシノさんの後ろで、オレは必死に息を止めてその光景を見つめていた。
工場跡地の倉庫。柵の扉を乗り越えたその先の一番奥に、オレ達はその塊を発見した。
初めそれが何なのか、暗かったし、オレにはよく分からなかった。
けれど、暗がりに目を凝らしながら近付いて。
間近まで来てやっと、それが“不自然な形をした死体”であったことが髪らしき毛の塊から理解できた。
辛うじてオレが見るに耐えられたのは、それがほとんど丹化して、赤黒い色の塊に成り果てて死体らしさが無かったからだ。
奥歯を噛む。
そして思わず顔を顰めた。
怖い、と言うよりも、強い不快感がオレの背中を駆ける。
不気味だ。
「こちら3番。目標を発見した」
ハクさんに報告を入れるシノさんの声を聞きながら、オレは死体にもう一度目を凝らす。
死体の四肢と胴体が折り重なるように積まれている。
それが、切断されて積み重ねられたものなのか、あらぬ方向に折り曲げられたものなのかは定かじゃない。
死体は動かない。
けれど、聲は確かにオレの頭の中心にそっと響いてくる。
地を這うような小さな聲だ。
オレの身体の中心を強く引っ張ろうとする。
心臓が痛い。
ふと。
暗闇に慣れた目が、死体の変な位置から突き出した細長いものを捉える。
薄っすらと目線でなぞったそれが、つま先の、足の指の、輪郭である事を、認識して。
途端。
怖くなって、宙に目線を逸らす。
人だ。
そう、改めて認識させられる。
ゾッとした。
「だめだ。電波が遠い」
シノさんの呟きが聞こえて、オレは我に返る。
「地下に潜ってる」
シノさんはそうとも言って、通信を切ってオレの方を向いた。
「レンはあれを見張っていて。僕は周辺を見回ってくる。終わったらすぐに無害化を開始しよう」
「はい」
オレはしっかりと返事をしたつもりだった。
けれど喉から出た声は、思った以上に掠れていて、おまけに微かに震えていた。
情けなくて、思わず唇を噛む。
「大丈夫?」
シノさんがオレの顔を覗き込む。
優しいその声と表情に、オレは思わず出そうになった涙を目尻に力を入れて必死に引っ込めた。
「大丈夫です」
オレが力を込めて言うと、シノさんは笑って、オレの腕を軽く両手で摩ってくれた。
「3分で戻る。数えててもいいよ。ぴったりで戻るから」
そう言うと、シノさんはオレの返事を聞かずに踵を返して、倉庫の奥に足早に進んでいってしまった。
『ね……ぇ』
聲に呼ばれて思わずそれを見る。
遠い。けれど、近くにいる。
これがもし、まだ人の色をしていたら。
オレはどうなっていたんだろう。
そう良からぬことを考えて、思わず口に唾が溜まる。
胃と喉元の間がつっかえる。そんな感覚がする。
気持ち悪い。
怖い。
吐きそう。
思わず口元を押さえた。
————その時だった。
倉庫の入り口の方から、カツン、カツン、と大きな足音が聞こえてきた。
知らない足音だ。
オレは咄嗟に近くの荷物の陰に身を隠す。
それからそっと頭だけ出して、足音の方を覗き込んだ。
一人、倉庫の入り口から、こちらに向かって歩いてくる。
背格好からして男の様に見える。
手に何か持っているみたいだ。
遠くてよく見えない。
オレは耳の後ろに付けた小型通信機のスイッチを入れた。
「3番」とシノさんを呼ぶ。
「中まで人が入って来た。入り口から1人。多分男。手元に何かある。でも見えない。どうぞ」
『6番、分かった。すぐ行く』
プツっと、通信が切れる。
オレはもう一度入り口の方に目を凝らす。
逆光になって顔はよく見えない。
けれど少しずつ、光が回って、手元が薄く照らされる。
布に包まれた、それは————
「————腕が……」
指の形のシルエットを先端に捉える。
それが、切り落とされた人の腕であるのを理解した。
恐怖で全身が固まる。
心臓が信じられない程速く鳴る。
怖い。
そう思った。
瞬間。
頭の奥に仕舞い込んでいた記憶が一気に蘇る。
思い出す。
母さんが死んだ日。
息が苦しくて。
気を失う。
その寸前に。
腕が。
オレの目の前に落ちてきた事。
赤く変色した。
その腕が。
『おいで』
無意識に息が止まる。
崩れ落ちる光景と。
焦げ臭い、その臭いが喉にこびりつく感覚が蘇った。
あれは、きっと皮膚が焼ける臭いだった。
土埃と、鉄の臭いに混じって、その吐き気のするような臭いが。
気持ち悪い。
感覚がないはずの背中が酷く痛い。
その時の。
光景、臭い、感触、痛み、全ての感覚が、目の前の全てと重なる。
怖くて。
寒くて。
熱くて、臭くて、痛くて。
ダメだ。
恐ろしい。
意識が遠のきそうになる。
心臓が煩い。息も絶え絶えになる。
視界が霞む。
ダメだ。
集中しろ。
オレは手を強く握って腿を叩く。
怖い。
怖い。
ダメだ。
『おいで』
引きずられる。
聲が強くオレを喚ぶ。
『はやく』
『——6番、どうした』
聲がする。
『はやく』
『——状況を伝えろ、6番』
返事をしようとした。
けれど、身体は言うことを聞かない。
頭の芯がオレの意思からすっかり抜け落ちて、オレの手の届かない場所に据え置かれているみたいに。
そして。
完全に、視界が認識できなくなる。
そして。
それは。
オレに思い出させた。
声、姿、名残も。
遥か遠く霞んだと。
そう思っていた。
その全てを————
『ダメだよ一也』




