0.03 浮上 てまねきをする
「……能力って?」
オレが声を絞り出すと、おじさんは困った顔をした。
「君が協力をしてくれると決意したなら詳細を話そう」
「協力しないって言ったら?」
「君にプライバシーはなくなる」
「トイレまで監視されんの?」
「君の一般的な生活に口出しをしないことは約束できる。けれど、想像できる範囲の事は全て国に把握されると思ってもらって構わない」
「答えがズルくない? というか選択権なんてあってないようなもんじゃないっすか」
「そうかもしれないね」
「オレと同じような人間は他にいるんですか?」
「いない事はないはず、とだけ言っておこうか」
おじさんは空笑いをした。
全く理解が追いつかない。
オレはかろうじて聞き取れた単語を思い出して尋ね返す。
「戸籍を捨てるって言うのは……具体的にどう言うこと?」
「暁星一也という人間がこの世から居なくなる。君は誰でもない誰かになる。
わかりやすく言えば、私達以外の人間が君自身を探し出すことは非常に困難になるという事だよ」
「……そう」
「協力してもらえるなら生活の全てやそれにかかる金銭については、こちらが一生の面倒を見るから安心して欲しい。
もう少し具体的に言えば、こちらが用意した偽名で生活をし、こちらで指定する学校に通ってもらう。
大学まで通って貰うつもりだ」
「普通に生活は送るってこと?」
「“君の姿をした君ではない誰か”が学校に通っていることになる。
それと君には悪いけれど、学校へ行きながらこちらが用意した場所で働いてもらう事になる。
いわゆるバイトだね。
これが本題といったところだけど、ここから先は機密事項だ。
大学を卒業した後は、バイトからいわゆる正社員になってもらう。
協力して欲しいというのはこの仕事のことだよ」
「……」
押し黙ったオレに、おじさんは優しい顔をした。
「仕事の内容について、YESorNOならギリギリまで答えられるよ」
じゃあ、とオレは呟く。
「みんな知ってる仕事?」
「NO」
「仲間はいる?」
「YES」
「勉強は必要?」
「YES。教材はすべて用意するから安心して欲しい」
「大変?」
「申し訳ないけどYES。
その分君に不要な苦労はさせない」
「肉体労働?」
「半分YES」
「楽しい?」
「うーん。主観的な問題だからね、これはなんとも言えないな」
「やりがいはある?」
「YES。君にしかできない。人助けだと思って欲しい」
「軍事的なこと?」
「機密事項だ」
「危険な仕事?」
「悪いけどYES」
「……死ぬこともある?」
「これも悪いけど、YES」
「あ、そういう」
オレはため息をついて傍によけていた枕を抱きかかえた。
そういう、とわかったフリをしたけれど、正直なんにもわかっちゃいなかった。
さっきより理解が深まった点といえば、望んでいた死が近くにやってきた事ぐらいだった。
普通に生きていたって、きっといつか苦しくなって死にたくなるのは分かりきっていた。
生きがいだって、今の所見つける気力なんかない。これからだってそうだ。
まるで図ってきたかのようなこの現状に、オレは心底納得感を抱く。
きっと、端から逃す気なんかなかったんだ。
何者かの意思さえ感じる不甲斐なさを。
おそらく。
人はこれを“運命”というのか。
忘れていた呼吸を取り戻す。
オレは息を深く吐いてから目を閉じた。
「どうぞ、オレの事は好きに使えば」
オレが言うと、おじさんは困ったように「そうか」とつぶやいた。
「本当にいいんだね?」
「うん」
返事をする。
適当だったと思う。
心を押し殺すのに必死だったからだ。
いいも何も。
答えなんか聞いてないくせに。
自暴自棄なオレに漬け込んでいるのも分かりきった事だ。
それでも、全て捨てられるのなら。
絶望感だって一緒に手放せる気もした。
全ての気持ちがない混ぜになったこの感情を、オレは言葉にできるほど大人ではなかった。