0.30 雲雀 霞の中虎が煙草を喰んでいた頃
オレは驚いて琉央さんを見た。
「オレにも、そんな力があるんですか」
「ある。だからここに呼ばれた」
「………」
「できることから始めよう」
オレは黙って下を向く。
少し突飛な話で、追いつかないこともたくさんあるけれど。
それよりも。
オレにしかできない人助けだと思って欲しい。
そうおじさんから言われて少し信じていたのに。
これは本当に人助けなんだろうか。
オレの思う“人助け”という概念が間違っていたのかも。
ヒーローみたいに、困っている人や悲しんでいる人を助けるものだと思っていたけど。
“人助け”という言葉を使って“利用”されているだけなんじゃないのか。
オレが考え込んでいると、琉央さんが「そうだ」と思いついたように呟いた。
「魁も言っていたけど、敬語はやめよう」
思わず琉央さんを見る。
「どんな経緯だとしても、これから一也も僕らと一緒に現場に出て、丹を無害化する、命懸けの任務を遂行する事になる。遠慮している暇も余裕もない」
「慣れないんだ」そう琉央さんは付け加えた。
「申し訳ないけど」
「……分かった」
オレが言うと琉央さんが申し訳なさそうに微かに眉尻を下げた。
「今は仕事に集中しよう」
「……うん」
答えたオレに、琉央さんにしては多分珍しく苦笑いをして「不安にさせたなら申し訳ない」と言った。
「やっぱり、この手の話は苦手だ。うまく説明できているか、自信がない。……こういうのは魁のほうが得意だ」
「……」
「けれど、僕も側に居る。だから、何かあったらすぐに言え」
琉央さんはそうとも言って、持っていた瓶を床に置いた。
「これから、委員会に入る能力が一也にある事を確かめる。とりあえずやってみよう」
琉央さんが胸元から首に掛けられていた何かを引っ張り出した。
輪になった革紐の先に、銀色の飾りみたいなものがくっついている。
柄が一本あって、先が長い二股になっている。
「これは?」
「音叉、知らない?」
うん、と頷くと琉央さんがそれを首から外してオレに渡してくれる。
「硬い場所に叩いて、柄を歯で咥えると、骨伝導で音がよく聞こえる。
主に楽器の音調を確認するのに使用する」
オレはそれを受け取って、回しながら眺めてみる。
深緑色の革紐に括り付けられた音叉は、手のひらより少し小さい。
「さっき、僕たちには丹を虐げ、無害化する力があると言った。これを使えばその力を高めることが出来る」
琉央さんは言って、ポケットから紐が付いていない音叉を取り出した。そして紐の付いた音叉と引き換えに、今度はそれを渡してくれる。
「僕と同じ動作をして」
言われた通りに、琉央さんを真似て、音叉の二股になっているところを腕に叩いてから柄の窪んでいるところを歯で咥える。
音が頭に響く。
少し驚いた。
けど、綺麗な音だ。
「この音叉はあくまで一也の力を手助けするだけだ」
琉央さんが言う。
「力を使う為には一也自身が、一也の力を理解する必要がある」
「理解?」
オレが尋ねると琉央さんは頷いてしゃがみ込んだ。
そして、床に置いた瓶をそっと手に取る。
「一也、この塊を見たとき、どう感じた」
「え?」
「思い出せる?」
「……」
オレは押し黙る。
あれは無意識だった。
思い出せるほど、能動的なものじゃなかった。
けれど。
もしかして、あれがその力に関係あるのか?
「その気持ちを思い出して」
そう言われても。
オレは眉をひそめる。
急に言われても。
どんな感じだっただろう。
あの時は、とても心地が良くて。
それでもなぜか。思い出したいのに、体が拒絶する。
おいで、と琉央さんに言われて、オレは隣にしゃがみ込む。
琉央さんが瓶をオレの手に乗せた。
「その時の気持ちのまま、最後まで」
琉央さんが言う。
そして、オレの空いている方の手をとって「僕と同じ動作をして」と言った。
オレは言われた通り、もう一度、今度は音叉を床に叩きつけてからゆっくり口に咥えた。
音が頭に鳴り響く。
目を開ける。
瓶の中のそれはゆらゆら揺れて、まるで脈打っているように見えた。
そうだ。
思い出した。
音叉を思わず口から放す。
「心臓みたいだった」
オレは独り言ちる。
目の錯覚かもしれないと思ったんだ。
だけどオレの心臓も、その心拍に合わせてドクドクと脈打つ。
「怖い」
言うと、琉央さんがオレの肩に腕を回してくれた。
「大丈夫。怖い、その先に一緒に行こう」
「……」
オレは言葉が出なかった。
「どうなっても僕が連れ戻す。それだから怖がるな。僕が側に居る」
琉央さんに促されて、オレはもう一度音叉を床に叩いて口に咥える。
あの時と同じだ。
見てはいけないものを見ている気がする。
とてつもない背徳感を感じる。
けれど、反対に。
どうしても目が離せない。
綺麗と言う言葉で括れない。
引きつけられる。
引力のような何かがオレの心臓を掴んでいる。
確かにそう感じる。
血がオレの体を流れている感覚で支配される。
体が芯から熱くなる。
脳みそが考える事をやめて、感覚の全てがこの鼓動に身を任せ始める。
全てが飲み込まれて。
体の感覚がなくなる寸前まで。
オレはそれに身を任せたくなる。
足も手も感覚を忘れる。
全ての境界が、曖昧になる。
頭の中に残る音叉の音だけが、オレをオレ自身だと伝えてくる。
反対に。
音が遠のけば遠のくほど。
オレがオレでなくなって、何かと一つになるみたいに。
分からなくなる。
目の前が少しずつ。
何かが周囲をかき消して。
赤く染まる。
引きずり込まれる。
心地よいものに包まれたまま。
このまま。
このまま溺れるように。
このまま。
このまま。
「一也」
呼ばれた気がした。
はっと気がつく。
オレがオレであったこと。
曖昧な境界から離脱して、まるで夢から覚めたみたいに。
『「一也」』
聲が聞こえる。
でも、だめだ。
違う何かに、身を任せてしまいたくなる。
その聲が何か思い出せない。
けれど、一緒に別の澄んだ音が聞こえる。
あぁ、さっきの音叉の音だ。
理解して、脳みそが考えることをもう一度始める。
感覚が戻ってくる。
「一也」
聲がする。落ち着いた琉央さんの声だ。
オレが戻ってくる。
目は開いていた。
けれど目の前が見えていなかった。
視界が戻ってくる。
琉央さんを視界に捉えて、オレは安心して。
そして、そのまま目を閉じた。




