0.22 雲雀 遠い記憶に置いてきた
少し奥に金属製のプレートが貼り付けられているのが見える。
『第四研究室』と書いてあるみたいだ。
その丁度下にある入り口まで進んで、琉央さんが磨りガラスのドアの右側に付いた文庫本より一回り大きいくらいの白いパネルに手をかざした。
ピピッと小さい音がしてドアが開く。
広めの部屋だ。
さっきと同じ、薄緑色の床とコンクリートの壁。
左側の壁は全面ガラス張りになっている。その奥は中も暗いし、ガラスに光が反射してよく見えない。
右側の壁にはいろんなモニターや機械がたくさん並んでいる。
そしてその奥に、デスクに座ってパソコンの画面と紙を怖い顔で交互に眺めている女の人が見えた。
明るいグレーの髪を後ろにお団子で一つに纏めている。少し顔が幼く見える。けれど、オレは女の人の年齢に疎くて、歳はよく分からなかった。
「ゆきちゃん!」
魁君が嬉しそうに言って、その人のところへ駆け出した。
「遅い」
言いながらその人がこちらを見る。
「ごめんって〜、今度チョコフォンデュ奢るから許して」
「はぁ……まったく」
魁君の言葉にため息を吐いて、その人はにっこりと笑った。
「チョコフォンデュなどなくとも許してあげるよ、魁君に免じて」
言ったその人は立ち上がって、今度はまた厳しい顔になってこちらを見た。
口調が強いけれど、反対に肌が白くて、白衣を着ているのにとても華奢なのがわかった。
「君が新人の一也君だね?」
尋ねられて「はい」と返事をする。
「卯ノ花結姫です。ここ第四研究室の研究主任してます。何とでも呼んで」
研究主任。そんなふうに見えない。
失礼な事を考えならがら、オレは「はい」と真面目な声で返事をした。
すると、結姫さんは失礼な事を考えるオレににっこり笑い掛けて「よろしくね」と返してくれた。
「ところで」と結姫さんが呟く。
「琉央、どこまで説明してるの」
「まだ何もしてない」琉央さんが答えた。
「はぁ? 今回の世話係はあんたでしょう? 何やってるの」
「立て込んでた」
「最優先事項より重要な仕事って何」
「それについて教える必要はないよ」
琉央さんの答えに、途端に空気がピリピリしはじめて、結姫さんが眉間にしわを寄せる。
この二人、仲が悪いんだろうか。
オレは少し焦って魁君の方を見た。
魁君は、ニコニコしながらその様子を見ている。
デジャヴだ。
少し考えて、ふと、オレが初めてカフェに行った日の琉央さんとおじさんの会話を思い出した。
あの時だって、結局魁君の言う通り、琉央さんは丁寧にオレに説明をしてくれたし、優しくしてくれた。
ふと「立て込んでた」と言う琉央さんの言葉に心当たりがあって、オレは思わず「あ」と声を出す。
立て込んでた、というのはシュンさんの事だ。
それに、オレのことを気遣って説明も後回しにしてくれたのに。
きっと琉央さんはシュンさんとオレの事、庇ってくれてるんだ。
「琉央さん……」
思わず呟いた言葉に、琉央さんが振り向く。
「オレの事庇わなくて良いです」
「庇う? 何の話?」
「だって立て込んでたのって、オレ……と、シュンさんの所為じゃないの?」
すると、琉央さんは心底わからないと言ったような表情をしてもう一度「……何の話?」と呟いた。
「あははは」と魁君の笑い声が聞こえる。
「一也ぁ、優しいね〜。よくわかってんじゃん! でもね、琉央くんに何言っても無駄だよ」
「どうして?」
「それ、無意識でやってるから」
オレは一瞬キョトンとして、それから思わず眉間にシワを寄せた。
無意識ってなんだよ!
心の中で叫ぶ。
つまり。
人のために、と思ってやってるわけじゃないってこと?
え、じゃあどういうこと? 何も考えてないってこと?
よくわからないんだけど。
オレは半ば諦めにも似た気持ちでため息を吐いた。
どっちにしても、琉央さんも難儀な性格なんだな。
もう少し言い方を変えればいいだけなのに。
なるほど。
それもきっと無意識なんだろうな。
ここまでの一連の出来事を、魁君はお見通しだったって事か。
「はぁ、まったく、よく分からないけど……」
結姫さんの言葉に「オレもよくわかりません」とは言えなくて押し黙る。
「一也君、ごめんね。初めての事が多くて不安だらけでしょう。気まで遣わせて……」
「いえ、二人が……よくしてくれて」
「そう、ならよかった」
結姫さんが眉尻を下げて呟く。
そして、デスクに広げていた資料を片付け始める。
「疲れているかも知れないけど、実践しながら説明した方が分かりやすいと思うって委員長から言われてるから。ご指示通り訓練室を開放しておくね」
「委員長?」
オレが尋ねると結姫さんは、そう、と頷く。
「瀧源シュン委員長、兼少佐。あなたのこと、くれぐれもよろしくって言われてるから」
少佐、ということは、シュンさんは国家防衛隊にも所属してる防衛士官なのか。
あの見た目で少佐。思ってたよりすごく偉い人なんだな。
オレがぼさっと考えていると結姫さんに「何をするかは聞いてる?」と尋ねられた。
「か、簡単には」
オレの様子を見て、結姫さんは少し呆れたようにため息をついた。




