93 こどもの夢の中の英雄
「お、お兄様……何故それをっ!」
耳まで顔を赤くし、馬の上にて頑張って上半身のみで身じろぐ妹。
横では、それ以上に強張った表情で硬直するアセナ。
はじめから疑問はあった。
シャルは少し常識外れな部分があるが、大きな我儘も言えないような良い子だ。
なので普段からボクのベッドに潜り込む時は必ず迷惑にはならないよう、事前にトイレを済ませる習慣がある事をボクは知っている。
そんな彼女が珍しくオネショをしたのは、怖い何かがあってトイレに行けなかったという可能性が高い事には至っていた。
「今日、ケルマと初めて会ったというのに、なんか怖い物を見る様な様子で眼を合わせないように一心でクッキーを食べてたし」
「バレてたのかや」
「うん」
次に商会での事。
普段のシャルは好奇心のまま周りを見渡す筈。
ところがケルマと一緒に居る時だけは、どこか怯えた様子で、クッキーを食べる事を口実にするかのように、眼を合わせていなかった。
そして此処に来る途中で聞いたミアズマという悪の秘密結社だかマフィアだかのヤクザものの存在。
ミアズマの所有するらしい『改造人間』の技術は、頭だけが生身の存在であった筈だ。
つまり、頭だけで脱出して動き回る機能があってもおかしくはない。
エミリー先生の右眼も、自律した動きの触手で眼の中に侵入してくるしね。
ここでボクはシャルを撫でた。日常の通りに。
「シャルがケルマを見た時に怯えているのが心残りになっちゃってね。
そして、ケルマの兄のアルゴスは、改造人間を作れるミアズマとかなり深い繋がりがあった」
「あっ。確かに朝、お兄様と一緒に書類仕事で見たアルゴスの顔はケルマにそっくりな顔写真じゃったのじゃ」
「でしょ?そういえば、あの時はシャルってアルゴスの顔に反応してなかったのは理由とかあるの?」
「いや、違法風俗業って話題でドン引きした直後じゃったし」
「あー……」
何故か照れて後頭部を掻いていた。
そりゃ二つの事を同時に考えさせろとか、中々難しいものだ。
うんうん大丈夫、シャルは悪くないからね。改めてサラサラの金髪を撫でた。
「まあ、そういう訳で……」
「そういう訳で?」
撫でる手を仰々しく上に掲げ、太陽を背景に人差し指だけ立たせると、一気にアセナを指し示す。
ビシリとかピシーンとか、効果音が出ないものか。
「実は、シャルが見たのはケルマじゃなく、その兄のアルゴスの方で、アルゴスっていうのは悪の秘密結社ミアズマの改造人間で、正義のヒーローアセナはそれを追って来たのだ!」
「な、なんじゃってえええ~!ホ、ホントなのかやっ⁉」
演技でもなく素直に驚いてくれるシャル。片手をワタワタ動かす様は実にかわいい。
アセナは全員という名前のボク等二人に見つめられて、なんとも気まずそうに下を向く。
彼女は下を向いて口を尖らせると、一言だけ呟いた。
とても気恥ずかしそうである。
「……うん」
「うおおおおおっ!アセナかっけええええっ……なのじゃ」
大興奮するシャルの陰で「余計なことを言うな」と憎々しげな視線をボクに向けるが、まあ、もうちょっと付き合ってくれよ。
大切な姉の事を心配しない弟がいるものか。
敢えてシャルに話しかけた。
「でも、シャルが見たって事は、まだウチに悪の改造人間が入ったまんまって事になるね」
「はっ!それもそうなのじゃ!大変なのじゃ、お兄様!」
口を押さえてワナワナ震えて此方を不安げに見るシャル。
しかしボクはアセナを指していた手を平手にすると、彼女の頭をポンと軽く叩く。
「まあ、それは大丈夫さ。
アセナが此処に居るって事は、大丈夫な手筈が整えられているだろうから。ねっ、アセナ!」
「ソ、ソウダナ……」
彼女は油の切れたカラクリ細工みたく口を動かす。
「そ……それで手筈とは何なのじゃっ⁉」
「す、すまんな。ヒーローはそう簡単に手の内を見せられん物なのだ」
「ちえ~、でもそれもそうなのか~。なのじゃ」
シャルは薄い胸を張って上を向いた。
まあ、今の段階で聞き取れる事実はこれくらいか。
アセナが正義のヒーローなのかはどうでも良いけど、父上から自転車を貰ってアルゴスを『追跡』していたのは本当だろう。
つまり初めから、アセナがここ一年居なかった本当の理由は『知見を広める為』ではなく『アルゴスを捕らえる為』という事だ。
そうじゃなきゃ馬を使っているしね。
理由は……復讐の為かも知れないな。
まあ、そこら辺はどうでも良いっちゃどうでも良いけど。突然確証も得ていないボクが出てきて、「復讐なんて止めるんだ」なんて言えた事でもない。
どうして今なのか。それは逆の可能性が高い。
つまり、父上辺りが前々から探していたが、最近になって情報を掴んだ。
それを誰が捕らえに行くかと言う事で、アセナから立候補したという事だ。
エミリー先生はアルゴスの所で子宮を摘出されたと言っていた。
つまり、彼の違法風俗街というのは表の顔で、その実は改造人間製造プラントだった筈だ。まあ、違法風俗街に表の顔って言葉もおかしいんだけどさ。
と、いう事は領主であるアルゴスは、ルパ族を受け入れた時点で既に人間を辞めていた可能性が高い。
そしてルパ族の反乱で彼は逃げ延びていて、父上の指示で因縁あるアセナが捕らえに行ったという構図になる。
アルゴスとしても失敗からミアズマに狙われる身だろうし、逃走時の戦力は低い筈だ。
族長を務めて迂闊に怪我をさせる訳にもいかないアセナにも比較的『安全』な探索だから父上も許したんじゃないかな。
彼女は一年かけてアルゴスを探し求め、此処まで追い詰めたという事だ。
それは凄い事だと思う。
しかし、それならなんで態々領主館に入れた。
シャルに見つかる程度の性能では、あの館の警備網は突破できない筈。
そもそもシャルに襲い掛からなかったのも妙な話だ。
「……ん?」
ここで閃きがひとつ。
もしかして、アルゴスは『侵入』した訳じゃない?
一旦アセナに捕らえられて、連れていかれた館から『脱出』しようとしたのでは。
そうすればシャルに易々見つかった事も、アセナが翌日に現れた事も、捜索願いがボク当てに来たのも辻褄が合う。
まるで『此方に危害が出ない範囲でワザと泳がせて、何か別の物を炙り出そうとしている』ような構図だった。
まあ、間違いなくミアズマ関係なんだろうけど。
ボクは尋ねる。
「どうした?」
「いやさ。アセナ、少しくらいボクを頼ってくれても良いんだよ?」
「ふん、察しの良い事だ。ヒーローだって色々縛られて生きなきゃいかんのさ」
一拍ついて。
「……でも、ありがとな」
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