90 悪人の居ない世界とエミリー先生の能力
腫物に触れる様な眼。
ボクが修行時代に最も晒され続けていた視線がそれである。
次期当主であるボクに無礼な態度を取れば痛い目を見る事は当然だし、自身の精神力が耐えられない。
この世の人間のほぼ全てが、野心など持たず『普通』の生活をしていきたいだけなのだから当然とも言える。
そういった背景も考えるとケルマは傷つく事も失う事も恐れない無敵の人だったと言えよう。うざいけど。
そして、目の前に座る隻腕の老人も、また別の意味で勇者だと言えた。
周りのメイドさんが文字通り畏れ多い視線でボクを見る中、彼だけ変わらず、飄々を笑みを浮かべるばかりなのだから。
それは決して彼一人で得た胆力ではないと断言できる。
アセナや部下達、そして裏切られ続けて得た身分が今の彼を支えている。
身分は人を作るという事だ。
ヴァン氏は、慣れたように一言の謝罪を投げかける。
「我が民族としてお恥ずかしいところをお見せしました。必要とあらば、若様を不快とした者どもを処罰する用意が御座います。
なればこそ、一族の安寧にご協力を……」
「いいや、それには及ばないよ。
家族を奪われ続けた君達にだって、父親を亡くしたエミリー先生の気持ちは分かっている筈だ。
それでもやってしまうという事は、君たち成りにどうにかしようとしている努力は認める所であるね」
彼は長い髭を更に垂らし、深々と頭を下げる。
「寛容な処置、有難く存じます」
一見彼は厳しい博打に出たように見える。
しかしこれは、単にボクがどう認識しているかの確認作業。且つ、周りを安心させる為のポーズだ。交渉の定型である。
この交渉をよりハッキリさせる為、彼の経歴を考えれば『処罰』の部分を『首を差し出す』にも代える選択肢もあっただろうに。
歳を取ってマイルドになったようで何よりだ。
と、言うのも部族として、そして亡命してからの実質的な代表として政治に長くかかわってきたヴァン氏。
彼はボク単体にルパ族を追い出すだけの権力が無い事を分かっていた。
実際にお金を出して維持しているのは父上だしね。
勿論、仮にボクに権力があったとして、そこまで酷い事をするつもりなんて無いけどさ。
故に彼としてやる事と言えば、ボクが彼らの安寧を脅かすつもりがないという事実を、ボク自身の口からキチンと周りに伝えさせる事。
即ちわざと酷な言葉を放り、否定させる事にある。
後は互いの立場が対等である事を示す為に紅茶の一杯でも飲んでおけば良い。
故にボクも一口、啄む様に紅茶を含むのだった。
今度はボクが聞く番だ。
「それにしても、よく周りの方々はエミリー先生を本人と認識出来たね。
半年くらい一緒に居たけど、その頃と大分印象変わってたし、君達自身、一日も関わっていなかった筈じゃないかな」
「実は彼女には恩義がありましてな。
我々がハンナ殿の協力の元、パノプテス家に反乱を起こした事は伝わっていますかな」
おや?
ハンナさんはそんな所にまで関与していたのか。
「いや。ボク知っているのは結果だけさ。
伝わっているのはハンナさんが君達を拾ってきたって事程度でね。まあ、薄々予想は付いていたけどさ」
そこでシャルはボクを見る。
「お兄様、強がっとる?」
「……少し」
正直な話、ボクがそれに気付いているならパノプテス家に行き当っている筈だしね。
顔も思い出せなかった事は心の内に留めておこう。
しかし追い打ちをかけるのは白い目をするアセナだ。呆れた様子で頬杖を付いている。
「書類仕事で苗字をパッと出せなかった時点で色々アウトだと思うぜ?」
「うっ、それも処世術かい?」
「うん。後、顔に出過ぎでなあ。ハッタリにもなんねーよ」
やめて、ボクのライフはもうゼロに近い。
するとアセナは雑にお菓子を指で摘まんで、ボクの口へ渡す。
それをボクはひと齧りし口内に広がった甘味で調子を整えると、相変わらずヴァン氏が、白髭を撫でつつ微笑ましい物を見る様な顔をしていた。
アセナはメイドから貰ったお絞りで、シロップ塗れになった指を拭いている。
「……と、恥ずかしい所を見せてごめんね。それじゃ、詳しい話を聞こうか」
彼は苦い紅茶を淹れさせ、それを少し飲む。
そして感傷の籠った瞳で中央の花をボウと見ていた。口を開く。
「そうですなぁ……ワシがハンナ殿にはじめて会ったのは、パノプテス家に『保護』されていた時の深夜の事でした。
ワシを含め一般的なルパ族は家畜小屋のような寮で、すし詰め状態になり寝るのですが、そんなある日、気付くと柱の影に立っていたのがメイド服の彼女でした。
どうしても普通でない状況で、彼女は自分の身分を打ち明け、ただ『移民をどう扱っているかの視察ですわ』と囁いたのです」
まるで子供に、昔の笑い話でもするかのような調子で軽く言った。
でも実際に、ありえなさ過ぎてそのように言うしかないのかも知れない。
まあハンナさんだしなあ。ボクは信じるよ。
そして後は、義眼型のオーパーツとエミリー先生の臭いの付いたハンカチなどを頼まれた事なども含め、反乱の打ち合わせを繰り返した事を話してくれた。
ついでにハンナさんから聞いた、エミリー先生の義眼の能力も教えてくれる。
外部の者には秘密ではあるらしいが「ボクが聞いたら答えて」と言われているらしい。何の意図で教えるかは分からないけど、ハンナさんだしなあ。
さて。
単なる義眼としてだけではなくて、視界に収めた精密機械の構造をある程度分析したり、目から放った強力な光を浴びた機械のコントロールを掌握したり、視神経を介して脳に干渉し高速演算を展開させて幾つかのパターンを組み合わせる事で未来予知に近い事も出来るそうだ。
後は細々と望遠鏡のような拡大縮小機能、暗視、温度センサー、赤外線ポインタ、重量計算、懐中電灯などなど。
前々からとんでもない人とは思っていたが、そこまでぶっ飛んでいるとは思わなかった。
かなり性能の高いオーパーツだが、此処まで行くと父上から渡された物かな。
確かにそれだけ強力なものがあれば、強い見張りが居てもアセナを連れて逃げられるかも知れない。
「あ、高速演算という事はもしかして、頭が異様に良くなるとか?」
「いえ、それがハンナ殿に聞いた話ですが……オーパーツが出来るのは『入力された情報から演算した複数の答えを導き出し、選ぶのは本人』程度で、エミリー殿の頭脳そのものは元々あんなものだったそうです」
あ、そっちの方がやばいわ。
確かエミリー先生ってまともな教育受けていない筈なのに、過去問も練習せずに学園都市に一発合格したよな。
そう考えざるを得ないボクなのだった。
まあ、それはそれとして全貌を聞いたボクは思う。
エミリー先生は自分を汚いって思っていて彼らを突き放してしまった事。
ルパ族も、奪った立場にも関わらずエミリー先生を利用してしまった負い目がある。
互いに遠慮してしまって、お互いに気まずいのがややこしい。
これがアセナの時みたく個人の問題だったら楽なんだけどなあ。
読んで頂きありがとう御座います。
宜しければ下の評価欄をポチリとお願いします。励みになります。




