68 プロのフリーター
館の食堂は、高級貴族用に中々の広さがある。
冒険者達の集まる酒場というものを実際に見た事がないけれど、冒険譚の挿絵で知った限りではこの程度の大きさなんじゃないかな。
出来れば膝に矢を受けてしまったベテランの冒険者が隅っこで情報の売り買いをしていたり、カウンターの美人店主が仲間として遊び人を紹介してくれたら満点だ。
どこまでが正しいかは分からないが、結構なすし詰め状態なのは違いない。
そんなボクの妄想とは正反対に、目の前の光景はすっきりしたものだった。寧ろ実際よりも部屋は広く見えているかも知れない。
と、いうのも此処は小さなテーブルが複数置かれる酒場と違い、中央に一台、とても長いテーブルが置かれる配置をしているからだ。
そして窓には薄い色のカーテンが掛けられていた。
機械で作った方が質の良い布が作れるが、手作りに拘るのは父上のセンスである。
カーテンの隙間からは朝日が覗いてテーブルクロスの純白の布地は光に反射し尚テーブルの存在感を際立たせる。
テーブルには幾つも椅子が並んでいる。
その内のひとつ手前に、アセナの小脇に抱えられてボクはやって来た。
彼女はボクを適当な席に座らせると、その隣に座った。シャルは何も言わずにボクの膝の上へ座る。
反応したのはアセナだった。紙ナプキンを弄りながら聞く。
「それは良いの?」
「良いんだ。ご飯になったら隣の席に移動するから」
「ふーん」
言ってボクはシャルの頭を撫でた。
彼女は気持ち良さげにゴロゴロと顔を寄せてくる。
この流れはアセナも馴染んだようで、顔付きが心なし緩んでいるのが読み取れた。
そんな表情で暫くシャルを眺めていたからだろうか。
アセナはふと閃いたような、今まで忘れていた何かを思い出したかのような顔をしている。
「アダマスがそう言うなら良いけど……あ。そういえばシャルって元々は何処の子?」
「気になるかい?」
シャルのツインテールを指で絡めながら返す。
「そりゃそうさ。アダマスの妹って事はアタシの妹って事でもあるんだから。
それに、この一年で見解が広くなったから役立ててみたくてね。新しい武器は試してみたくなるって言うだろ?」
言いながら紙ナプキンを畳んで手の平に出来上がったのは折り鶴だった。
出来上がったそれをシャルの目の前のテーブルに置くと、シャルは興味深そうに手に取って羽根を羽ばたかせた。
この館を出て行く前は持っていなかった技術である。
ボクは再びシャルを撫でる。ただし今度は、生暖かい視線を下に向けて。
多分、アセナは真実に辿り着いちゃうんじゃないかなあ。
「フランケンシュタイン子爵家、さ。シャルは元々そこの一人娘だね」
「ああ。なんか嫌な予感しかしね~ヤツだわ」
アセナは豪快だが、『なんでも力で解決!いわゆる脳みそ筋肉!』といった考え方を好まない。寧ろ情報には人一倍鋭い部類である。
その背景にここ一年、アセナは見聞を広めるとの理由で自転車を使い、王国中を見て回ったというものがあった。
収入は冒険者業。
冒険者といっても、剣を振り回して魔物退治なり山賊退治なりしていれば良いという訳ではない。
魔王が居なくなって数世紀経ち、泰平の世になった今では公的警備が全国に行き渡り、武力の需要が大幅に減ったからだ。
現代のニーズに合わせて煉瓦積みや船の荷運び、酒場のホールスタッフ等の低賃金な仕事が主な訳だが、器用なアセナは専門技術でそれなりの路銀を得ていたようである。
こう見えて絵画の技術があるので似顔絵屋。ルパ族に伝わる旋律をミニギターで奏でる吟遊詩人。
ボクと一緒に文学の正式な勉強もしてきたので代筆文・コラム・エッセイを冒険者ギルドに買い取って貰うライターとしての活動も。移民として苦労してきた為に法律にはやたら詳しく、論理武装がしっかりできていると評判も良いらしい。
後は、サバイバル術や狩猟免許などを活かした害獣駆除や採取といった昔ながらの冒険者クエストなど。
人呼んで『プロのフリーター』。
所属しているからフリーターではないのでは?と、ツッコミをいれてはいけない。
日銭を得るのも見聞を広げるに必要な事なのだ。
なので民衆の噂話と政治の動きを同時に見る事が出来る立ち位置だったのである。
彼女は顎に手を当てて眉に皺を寄せ、ブツブツと独り言を呟き出した。
「ウチの当主様がミュール辺境伯と関係を深く……いや、それはありえねーな。
だとしたら子爵夫人の葬式で何かあったかな。
繋がりは同期……そして家族持ち。しかし家庭は対極。
ん、対極?まさかこれは政治というよりもっ……!」
アセナが何かに気付いた、その時だ。
結論は後ろからの言によって遮られた。
「あらあら、アセナちゃん。久し振りね」
「うひっ!」
突然の事に毛を逆立たせて振り返ったアセナは、背中に居る姿を見て引き攣った笑みを浮かべた。
そこに在ったのは昔から印象深い崩れない微笑み。
下は存在感のあるグラマスな身体であるのが分かり、クラシックなメイド服に包まれている。
なのに背後へ近付いた事に対しては、ボクとアセナの二人とも気付けない。
それが、乳母のハンナさんだ。
ボクとアセナの武術の師匠でもあるので、アセナは大分痛い目にあった事を思い出しているのだろう。
というか、汗の臭いから個人を特定するような獣人の鼻から隠れるって凄いな。
「あ~、そうね。ヒサシブリ。タダイマ~」
「はい、お帰りなさいませ」
楽しそうに返すハンナさん。
そして気付くのは、引き攣った顔のアセナが嘘を付いている事。とはいえ、もしかしたら本当はお風呂に行く前にでも会っているのかも知れないしね。
「それはそうと、どうしたんだよハンナ、朝稽古かなんかか?
アタシってば風呂に入ったばっかなんだけどねー」
「オホホ、それには及びませんわ。只、朝のご飯をお持ちしましただけですから」
ハンナさんは背後から銀のトレイを取り出した。そこに乗っているのは、朝に食べるに丁度良いトースト料理である。
生ハムが印象的だ。
背後にずっとトレイを隠していたのにどうやって零さずにいたのは気にしてはいけない。だってハンナさんなのだから。