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606 空想科学読本

「WOOOOO!」


 高速。

 人間の動体視力には留まらぬ銀の軌跡が夜に舞う。

 まるでインフレしたバトル漫画の世界から飛び出して来たかのような身体能力だ。

 そこから来る必殺の攻撃を、エミリーは『予測』して一足早く身を翻した。

 ローラースケートを使ったその動きは、フィギュアスケートの踊りにも似る。


 刹那、彼女の身体をトレカの身体が横切る。

 そうして生まれた風が、エミリーの肌を叩きドレスの布地に圧がかかる。

 『恐らく』すれ違いざまに爪で攻撃してきたのだろう。

 ドレスの袖が深く斬れるが、液体として元に戻っていく。


 服は戻っても、幾つも出来た切り傷は戻らない。

 避け切れなかった部分もある。

 地面には血の水溜まりが出来つつあった。

 布地を包帯の様に変形させ、医学の知識で傷口を圧迫し失血死は防いではいるが応急処置に過ぎない。

 しかし避け続けられているという事は、決して出鱈目の回避ではないという事でもあった。


「ふう、ふう……君がはじめてだよ。

戦闘で私に傷を負わせたのはね……」

「そうか。それは光栄だ。

だが、それが反省となる時は来ないだろう」


 既にエミリーの間合いの外に立っていたトレカはそう言った。

 銃でも当たるか分からない距離に、一瞬で移動しているのだ。


 エミリーにトレカの攻撃は全然見えていない。

 ドレスの裏地に身体を覆う人工筋肉を形成し、操り人形よろしく予め決めた動きに沿って、己の意思とは関係なしに身体を動かさせているだけだ。


 エミリーは武術の専門家ではないが、アセナの友達である。

 武術の訓練でデータを取る時もあるので、アセナの流派の体術モーションは全て暗記していた。

 つまりトレカの流派の基本的な動きは分かっていたのだ。


 故に、これまで取ってきたトレカの行動パターンにアセナのモーションデータを合わせて、スーパーコンピューター並の処理能力である義眼を使って瞬時に回避プログラムを組んだ。

 そして攻撃が来るであろう場所に流体の動きをさせて、銃相手にやった時のように表面で受け流す。

 人体の複雑性からそのモーションは数億パターンもあるが、エミリーは天才なのだ。


 残像を残し動くトレカの速度は人間の眼で捉えられないが、オーパーツである義眼はそうでもない。

 ストップモーション風に捉えたトレカの姿から、攻撃の形を絞る事が出来るのである。

 いわゆる、100%ジャンケンに勝てるロボットの理屈だった。


 ともあれ傷付いているのは、トレカの動きにエミリーの入れてない要素があるからだった。

 物理の都合上、最高速度で死角からやってくる攻撃の瞬間に予想外の動きがあった場合、緊急回避が不十分になる欠点もあるので、そこで何かをしている可能性がある。

 動きを把握できない彼女は見る事は出来ない。

 けれど考える事は出来る。

 彼女はブツブツと呟いていた。


「反撃を考えず回避に専念すれば死を遅らせる事は出来る。

でも、こうして傷が出来続けている都合上何時かは削られて死ぬ。

さて、私の予想が正しければだ……」


 彼女はクロユリを回転させて、片手であるが剣術における正眼の構えを取る。

 どのような攻撃にも対処し易い型。

 光速の世界の住人であっても、クロユリに削られれば命を落とす。

 これでトレカの動きを制限出来し、攻撃の範囲を限定させる事が出来る。

 ポタポタと血が少しずつ出るが、気にしない。


「まさか私が武術をするなんてねえ」

「生兵法は大怪我の基だぞ」

「なあに、これもひとつの実験さ」


 そんな小細工にトレカはフンと鼻息を鳴らし、毛を逆立てると再び姿を消した。


 月夜の照らす、しかし敵の見えない明るい暗闇。

 トレカは光速の世界で身体を前に動かし、噛み付く動き。

 それをエミリーが紙一重で避ける。

 だが、トレカもプログラムの動きには慣れていた。

 ここで四肢を動かし身体を捻って、上から爪付きの蹴りを振り下ろす。


 しかしこれはアセナの得意技。

 回避。同時にエミリーは、クロユリを前に出していた。

 剣ではないので置くだけで良い。

 仮定の元に追加した『回避』モーションである。


「……ッ!」


 声は無い。

 トレカの動きは音よりも速いのだから。

 しかしエミリーの見えない世界で、彼は確かに驚きの声を上げていた。

 彼は、『宙に浮いた状態から突撃』をしようとしていたのだ。

 地面に脚をつけない状態からである。


 しかしクロユリの存在によりやろうとしていた攻撃を邪魔され、後ろに跳び体勢を立て直さざるを得なかった。

 そしてエミリーは、空中のトレカを見て笑みを浮かべる。

 角度の都合で、単なるジャンプでは行けない場所だったからだ。

 己の仮定が正しかった事を確認した。


「あはっ、やっぱだ。

君の不思議パワーは速度を上げるだけじゃ無かった。

空中に見えない足場かなんかを作っていたんだね。

二段ジャンプみたいな事をしていたんだ」

「よく分かったな。やはり貴様は賢い」

「なんかリーチが微妙に予測と合っていなかったのは、回避されたら空中を移動して辻褄合わせをしてたからなんだろうねえ。

飛び道具も考えたんだけど、それにしては軌道も微妙におかしかった。

なんかジグザグっていうかね。

軌道を読まれた時にカウンターを受けない為の対策なんだろうね」


 エミリーは自信を以て言った。

 自分の予測と違っていた事を、計算ミスではなく大胆な別解と考えたのだ。

 トレカは感心した表情を浮かべると、答え合わせとばかりに、落ちている最中に空中に立つ。

 足の裏をエミリーに見せながら、エミリーを見下ろした。


「神代の時代、狼は天を駆けたと言われている。

徳を積む事で神代の能力を月から借りる事が出来るのだ」

「ふ~ん、ローカルな神話だね。

昔、鱗に魔術式を刻んで能力を上げた例はあるけど、能力アップはそれが毛皮で行われているのかなあ。

ただ、それだと足場の説明が付かないんだよねえ。

重力系か空間系か……う~ん、私は天才だけど世の中って分からない事だらけだね」


 エミリーは困ったように頭を掻いた。

 そしてえくぼを浮かべて深く笑う。

 その眉はハの字に曲げられていた。


「君が協力してくれれば、これからの技術は間違いなく発展するだろう。

悪い人じゃ無いしこれといった因縁も無い」

「しかしはじめたからには辞める訳にもいかない」

「ああ、全くその通りだ」


 今のエミリーの立場は、様々な運の良さが積み重なって出来たものに過ぎない。

 アセナとだって、ひとつボタンのかけ間違いがあれば今も敵対していただろう。

 アダマスと会わなければ、彼女の気質上『悪の博士』になる可能性も高かった。


 ならばこれも運命の巡り合わせ。

 仲良くなれた未来もあったのだろうが、倒すしかないのだ。


「残念だなあ」


 エミリーは空中に向かって針を撃ち出すが、姿を消す事で回避。

 再びトレカは射程外に姿を現す。

 空中の足場では、強度の問題で十分な速度を出せないからだ。

 現に先程の回避で、トレカが立っていた足場は崩れてしまっていた。


 そしてエミリーが待っていたのはこの瞬間。

 生物である以上、何かをした瞬間に別の事をする事は出来ない。

 彼女は前傾姿勢を取って、中腰の体勢になっていた。

 クロユリを居合のように構えて、身体で見えないようにしている。


 こういう時は面積のある服が役に立つ。

 普通の剣術なら待ちの構えだが、ローラースケートで動くエミリーにとっては能動的な攻撃の構えでもある。


 決着が近付いていた。

読んで頂きありがとう御座います。


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