547 殴っていいんだ。この人は殴っていいんだ
「リン族族長、【フォウ・リン】。
誘拐婚の慣習に則り、ルパ族族長アセナを花嫁として頂きに参った!」
フォーリン・ラブ?
あ、いや、フォウ・リンっていう人の名前か。
漢字で書くと『封・輪』あたりだろうか。
如何にも狼らしい蒼銀色の髪と、ボクと対照的な青のチョハがよく合っている。
手には遊牧民特有の、反りのある剣。
確かシャムシールといったか。
近代の軍刀の原型とも言われている。
そんな【フォウ】と名乗った、ボクと同じか少し下くらいの少年が、馬の上で『立って』大声で宣言した。
馬の頭に片足を乗せて、もう片足でバランスを取っているのだ。
相変わらず遊牧民はバランス感覚が良い。
突然の事だが、ボクは意識を戻し、冷静に状況を見定める。
馬の重さは兎も角、花嫁を頂くとは穏やかではない。
晴れの日の結婚式。
夫に前で彼は堂々と、勇ましく、寝取り宣言をしてきたのだ。
こういう時に夫はどういう行動を取るべきか。
彼が英雄であるアセナに勝つような実力は持っていない、ほぼ無謀なチャレンジャーなのは確信している。
そもそも誘拐婚は女が弱い事が前提だ。
なのでボクは余裕を持って見ていられた。
とはいえ、やっぱムカつく。
殺意を以て刺しても、十分に正当性はあるのではないだろうか。
馬車の奥にあった鏃を取り出し、中指と人差し指の間に刃を挟んで、手首を使って投げる。
投げナイフの要領だ。
親指程度の大きさだが、ボクが使えば十分に武器として使える。
昔からサバイバルの訓練で石器ナイフを作っては投げまくった結果、あまり種類は選ばなくなっていたのだ。
──ヒュン
風を切って鏃は飛ぶ。
しかし獣人の動体視力、そして風切り音を立体的に捉える聴力がそれを逃がさない。
彼は剣を振ってそれを斬る。
キンと金属音がして鏃は一刀両断だ。
まあ、そうなるよね。
アセナと違ってボクって弱いし。
だから第二波。
懐から取り出したヨーヨーを、風切り音に合わせて投げていた。
普段は懐中時計として偽装しているボク専用暗器だ。
懐中時計に当たり前のものとして付いている、鎖が内側で巻かれて伸ばせる仕組みになっている。
軌道は、鎖が首に巻き付くように投げている。
しかし彼はそれにも対処。
そのまま返す動きで剣を振り降ろした。
懐中時計程度に使われる細い鎖、鏃よりも斬るのは容易いと判断したのだろう。
まあ、普通はそれで正しいよ。
でもコレは、上級貴族の専用装備なんだ。
つまり大変なお金が掛かっているという事。
このヨーヨーは、ボクのお爺様が誕生祝いとしてコスト度外視で作ったとんでも武器で、ドラゴンだって暫くは動きを止める強度を持つ。
この細さに敵を騙し、対処を誤らせるのが強みのひとつだ。
鎖は切断されず剣に巻き付き、更に逃れられないよう、ボクは軌道を操作して腕も巻き込んだ。
フォウは瞼を開いて少し驚いたが、それだけだ。
鎖で繋がった今、綱引きの状態となる。
そして獣人と人間では腕力が違う。
軽く引っ張れば、フォウが勝てるという訳だ。
でも、ボクは貴族なんだ。
「アセナッ!」
「おう」
ボクは堂々と隣に居たアセナに助けを求め、鎖を引っ張らせた。
「なにっ!」
力は逆転。
ほぼアセナに引っ張られたフォウは、馬上から落とされたのだった。
そして彼は上手く受け身を取り、素早く片膝立ちの状態になると叫んだ。
「くっ、卑怯だぞ!
道具に頼り、仕事を女に任せ……それでも男かっ!」
「ツッコミどころはいっぱいあるけど、ボクは貴族なんでね。
如何に自分が苦労せずに、使える物は使えるようにするのが仕事なんだ」
敢えて嫌味な貴族らしく、髪を掻き上げてみせた。
『銃は軟弱者の装備』とする獣人の価値観とは大きく離れるのだろうけど、此処は大草原では無くて人間種の大地なのだよ。
不意打ちした上に嫁を奪おうとする卑劣感には、足で踏んづけ唾をかけてやるくらいが丁度いい。
「こんな奴がアセナを……」
フォウは呆れと憤怒が入り混じった表情をした。
え、知り合い?
アセナは、11歳の頃には亡命していたから、仮に知り合いだとすればそれ以前か。
ボクと同じくらいと仮定して、最大でも当時6歳くらい?
ボクもエミリー先生とはじめて出会ったのは5歳の頃だから、覚えていてもおかしくはないのかな?
「何歳くらいまで人は記憶しているのだろう」とやや哲学的な事を考えていると、ブウンとエンジンを鳴らす音が、外から聞こえてきた。
それは徐々に大きく、低い音となり、馬車の方へと突っ込んでくる。
「アダマス君になにしとんじゃボケー」
エミリー先生のバイクだった。
台詞はこんなのだが、感情は乗っていない。
それ故に彼女は怖いのもある。
服の布地である液体金属の一部を変形させてスプリングを作り、加速した状態で地面を弾く。
こうする事で強引に馬車の上まで跳んできたのだ。
幸いなのかどうなのか。塞翁が馬とでも言うべきか。
襲撃によって幌は無くなっており、バイクの前輪が床の縁に触れやすい
キュルキュルと高速回転する前輪がギャリギャリ床を削り取り、馬車の上に乗り上げてきた。
鈍い金色の車体が昼の日の光に反射に、眩しすぎる程輝いている。
よく見ると後ろにはシャルが乗っていた。
運転してきたエミリー先生は、ガッと片足で車体を支えて巨大な馬を見る。
正確には、その後ろに座っていた『人間の女』を見る。
「積もる話もあるけど取り敢えず……こんにちは、死ね」
彼女が前に構えたのは、黒い日傘。
正確には、彼女唯一の純兵器である『クロユリ』という名前の発明品。
液体金属を兵装として扱った武器を作った結果、日傘の形になった物だ。
先端の機械には、箱状の機械とそこに開けられた銃口。
遠距離用の兵装として銃の機能も有しているのだ。
蒸気音と共に、銃弾と呼ぶには大きすぎる、巨大な針のような弾頭が放たれた。
その殺意は高い。
鉄板や魔物の鱗など、銃弾では撃ち抜けないものでも撃ち抜く性質を持つ物だった。