538 ただいま、ボクらのテント村
長期キャンプ地として作るテント村。
この遊牧民としての特徴が、平原地帯を管理させるにマッチしていた。
ルパ族は、これからボク達が向かう町に拠点を置いている。
そこから幾つかの身分の高い氏族を、草原へ遊牧に出すのである。
遊牧に出た彼等は、このようにテントで村を作り、一年かけてグルグルと平原を回りながら街に帰ってくる
それはそのまま『警備』となる。
父上の望む『平原の管理』に繋がっている訳だ。
なんでも領都のように近代化させれば良いというものでもない。
そしてキャンプには生活用水が必要だ。
故に彼等は目の前の様に川沿いにテント村を建設するのである。
というか水車を作った理由が彼等の生活の支援という福祉事業なので、因果関係が逆かも知れない。
エミリー先生が微笑みながら解説してくれる。
「そして観光客は、宿の近くにあるテント村で物を買ったり、屋台で食べたりして遊ぶ。
なんなら、テントを民泊のように使って宿屋を銭湯として使う逆の手段もあるね。
遊牧民のテントで暮らす事も、本が手軽に買える最近は人気がある。
侯爵様の公共事業だから値段は凄く安いし、なによりこの手のサービスで問題となる『信用』がある。
異民族だけど、法律はウチの物が適用されるからね」
先生の、朝日に照らされた黒髪を掻き上げる動作が艶っぽい。
ちょっとバイクのエンジン音がうるさいけど。
「ルールで縛られているとはいえ、なんだかんだで現金収入のある場所という事で、宿近くはルパ族達にも人気のある場所になっているね。
この場所に来る前に、観光客向けの土産を沢山作り溜めしている人達も沢山居る。
第二の拠点みたいな扱いになっているくらいさ」
テントを民泊として提供する事は前に聞いたが、まさか出店まであるとは。
すると隣に居たシャルが目をキラキラさせながらボクを見た。
冒険大好きモードにシフトしているのが分かる。
「お兄様、テント村でお買い物をしたいのじゃ!」
ええ~。
これから花嫁を迎えに行くから、多分宴会とか開くよ?
お腹いっぱいになったりしない?
「あらあら、如何なさいますか?次期領主様?」
「……少し休憩で」
「畏まりました」
シャルはかわいいので仕方がない。
◆
そういう訳でテント村に入る。
此処は、前に来た時とは別の氏族のテント村らしい。
コーヒーカップの様にグルグル回っている訳だからね。
キャンプ地としては賑わいが強く、それはあちらこちらには観光客向けの屋台が沢山あることに由来する。
屋台といっても地面に敷物を敷いて物を売るというパターンが結構目立っていた。
民族的なものかな。
目立つ商品は、絨毯や革製品。
木の板にエスニックな模様を彫り込んだお守り。
そして食べ物はドライフルーツ、焼き飯、肉串。
揚げパンや平焼きパンといったところ。
「いいかい、シャル。お腹に溜まり過ぎる物は駄目だよ。
後、買えるのは一つまでだし、休憩時間は20分だけだよ」
「了解なのじゃ、お兄様!」
ビシッと敬礼して、二カッと八重歯を見せて笑った。
それでは探索。
地面には、火をかけた大鍋が『プロフ』の調理に使われていた。
ピラフの元となった米料理であるが、大草原では部族ごとに様々なレシピがあり、似てるものもあれば似ていないものもある。
羊肉やひよこ豆を入れる物もあれば、ドライフルーツと唐辛子を入れる物とかね。
一応大草原……正確にはリン族とは戦争中なので交流の機会は無いが、地方色があるって個人的に凄い好き。
共通しているのは大鍋にお米と具材を入れて、沢山の小皿で蓋をして蒸すというところだろうか。
なんで蓋をお皿でするのかはよく分からないが、大鍋でやる温度調整に便利という話があるとかないとか。
これを食べるにはお皿が必要。
そして狙ったように、お皿の貸し出しも販売も行っている。
うん、やめておこう。
これってポピュラーな料理だから、アセナのところでも多分食べるし、休憩で食べるのはやや重い。
「あ、お兄様。綺麗なパンがいっぱいあるのじゃ!」
「ああ、『ナン』だね」
屋台にあるのは丸いパン。
様々な模様が彫る形で付けられている。
大草原って布や糸の文化だからなのか、こういう飾り付けが多い。
個人的には縄を絞ったような模様が外側にあって、中央に複雑な模様が付けられたパターンが印象に残り易い印象。
やっぱ外枠のデザインって大切なんだなあ。
ナンというのはカレーショップでも知られる、あのナンだ。
というか、あの辺のパンはみんな『ナン』と呼ばれているだけだったりもする。
遊牧民は農業をしないが、遊牧せずに街で暮らす部族は小麦を作っているらしく、時たま訪れ物々交換をしてこのような文化が出来たらしい。
此処で暮らすルパ族だと、ボク達が向かっている『町』がそれに当たる。
正直ボクは店で食べた事がないけど、ハンナさんに作って貰った昼食の一つとして出された事がある。
想像以上に大きくて驚いたものだ。
アレは靴底のような形をしているが、此方は円形。
共通して平たいのは、発酵させないで焼く為らしい。
「お兄様、あれを食べるのじゃ!」
「でも、あれも大きくてお腹いっぱいになっちゃうんじゃないの?」
「みんなで分けるから大丈夫なのじゃ!」
「う~ん、それでも大きすぎるんじゃないかなあ」
そもそもナンはバゲットみたいなもの。
遊牧民特有の大家族で分け合って食べる事を前提としている。
四等分でも十分大きいのだ。
「でも、あそこに小さいのもあるのじゃよ?」
「え、ああ、本当だ」
少し驚いた。
遠近法で分かり辛かったのだが、確かに小さいのがあるな。
そういう伝統は無かった筈だが……。
そんな事を思っていると、人込みの中から声を掛けられた。
「あれは観光客向けに新しく開発したものですね、婿殿」
婿殿……ああ、ボクの事か。
ルパ族族長である、アセナの結婚相手という意味だ。
そこに居たのは見慣れぬ男性。
彼は模様の描かれたベストに、ケモノ耳を出す形で巻かれたターバン。
一般的なルパ族の男性だ。
帯剣して、騎乗した者を複数人を連れていた。
偉い人なのが分かる。
「この村の『長』であります、ベク氏のテミルと申します。
警備の最中だったところ、奇遇ですな」
つまり、【テミル・ベク】さんか。
そういえばボクは、領都に遊びに行く時はお忍びで、普通の子供として扱われる事に慣れていたから忘れていた。
ルパ族の町に行く時は普通に貴族として行くから、ボクは偉い人扱いなんだ。
そりゃ、村長くらいはすっとんで来るよね。
今は乗馬服だからそれなりに偉そうな格好しているし。