524 もしも笑い合えたら、明日はいい日になるのに
「俺はこの展開をなんとなく予想していた」
切り出したのは、今治療されている最中のイオリである。
ボクは彼と死ぬ気で戦っていた。
だからすぐさま、ボクが応える。
「つまり負けるつもりで戦っていたのかい?」
「うんにゃ、全力。ちょ〜全力。
『多少』縛りがあるけど、アダマスくらいなら蹴り技だけで十分いけると思ったからさ。
撤退して体勢を整えることが出来ない縛りプレイは、一発勝負の殺しの仕事だと当たり前なんだぜ」
「じゃあ、どういう意味だい?」
「殺し屋ってのは、常に死を覚悟しているって事だ」
「じゃあ、ボク関係なくない?」
「うん、そうだな。
俺が思ったより、お前は強かった」
褒められているんだか、馬鹿にされているんだか。
取り敢えず、普段のイオリらしく要領を得ない会話なのは確かである。
すると、彼が言葉を続けてきた。
「だから、『気にするな』。
殺し屋は、自殺を止められた後の事もちゃんと考えてあるってだけだ……」
──ジュウウウ……
次の瞬間、イオリの身体中から白い煙が噴き出してきた。
なんだコレ、肉が焦げるような、生ごみを焼いたような……。
「チッ。無駄なあがきを」
アズマが舌打ちをすると、エミリー先生が叫ぶ。
彼女の分析装置は機械限定なのだ。
「状況っ!」
「強い毒じゃないし空気より軽い。
ただ、密室での充満は危うい!」
「ジョナサンッ!」
『任された』
ジョナサンは強靭な肺活量で、プクリと腹を膨らませると、天井──自分が入って来た穴に向かって吹きかけた。
そこに出来るは一本の気流。
煙突となった穴より、イオリから噴き出たガスが上に流されていく。
深海で暮らす半魚人故に体内で空気を生成する器官があるそうな。
ボクはアズマに声を出した。
彼はしゃがみ、横たわるイオリを己の身体で隠していた。
「まさか自爆かい」
「いや、それは『アーティスト』として人を殺すコイツの主義じゃない。
只の『副産物』だ。
あまり見ない方が良いけど、見るか?」
「うん」
それが次期領主として人を裁く者の義務。
そして、戦士として命のやり取りをした者への経緯だと思う。
ボクはエミリー先生と一緒に近寄り、ひょいと覗くシャルを後ろに残して正解だったと感じた。
グロ注意。
なんと、皮膚の一部が液状化して泡立ち、沸騰してガスを出していたのだ。
勿論、顔面も同様である。
ボク自身覚悟は決まっていたので、吐かずには済んだ。
アズマはまるで見慣れた現象であるかのように、淡々と話す。
「治療用の薬に反応して、ナノマシンがオーバーヒート──人為的に暴走を起こすよう調整されていたんだ。
ナノマシンは細胞として体内にまで浸透しているから、体内から溶ける事になる。
体表にまで浸食しているなら、もう無理だな」
呆れたように溜息を付くと、治療道具を仕舞い始めた。
彼はジョナサンに離して良いよと言ったが、それでもジョナサンは離さなかった。
なんでも深海には、皮だけで襲い掛かって来る魔物も結構いるそうだ。
ナマコみたいだな。
深海ヤバいわ。
ボクはなんとなく、アズマに聞く。
「イオリに同郷としての仲間意識は感じていた?」
「いや?仕事の関係ってだけだが。
そもそも向こうに居た頃も頻繁に会うって訳でも無いし」
「じゃあ、本当に彼が生きていなければ、代わりに拷問にかけられるからってだけだったの?」
「そうだな」
「……そう」
ああ、彼は本当に独りだったんだな。
そして誰にも理解される事は無かった。
ジイと眺めていると皮も溶け出し、そして着ていた革ジャンとエレキギターが残る。
独りで生きてきた人間は、とうとう姿も影も失ってしまったのだった。
「そのエレキギター、どうするの?」
「まあ執着も無いし、お前の父親に土産として持って行こうと思うよ。
ご機嫌が少しでも取れれば万々歳だ。
なんも無ければ捨てるがな」
アズマがギターと手に取る。
そこには、イオリの溶けた液体は全然ついていなかった。
イオリ自身が大切に、自分の外側に置いていたようである。
彼、戦闘になるとたまに乱暴に使うのに、基本的には大切にするんだよな。
そこで後ろから声がした。
今まで話に加わって来なかったグリーン女史だ。
彼女は完全に一般人なので是非もなし。
「ねえ、それって私が貰っても良いのかい?」
アズマがキョトンと不思議に感じつつも反応する。
「え?まあ良いが。
お前って別にギターは弾かないだろ」
「まあ、そうなんだけどさ。
でも、私を今の位置まで持ってきてくれたのもイオリさんなんだ。
どんな悪人だったとしても、私に本気で援助してくれたのはこの人だけだったんだよ。
なんか取っておきたいんだ」
風俗ギルドも気にはかけていたが、お金を出して売り出すっていうのは後手の選択だったしなあ。
彼女のイオリに対する思い入れは、かなり高いのかも知れない。
「ふうん……まあ、良いだろう。
スピーカー周りとか、携帯蓄音機に使えそうな技術もまあまあ積み込んでいるしな」
「そう、ありがとう。
私、ギターを弾けるように練習するよ」
「いや、別に良いんだが」
グリーン女史の隣に居たアセナが溜息をつく。
「そういうところだぞ。
まあ良い。暇だったら新聞社に、そこのアホと一緒に来なよ。
アタシは教えられる程度にギター出来るからさ」
彼女はアズマの頭を鷲掴みする。
「お前も覚えるんだぞ。取り敢えず、デートで話題を作れるようになれ」
こうして、切り裂きジャック事件はひとまずの幕を閉じる事となった。
◆
ただ本音を言うと、後味はあまり良い物ではなかった。
ボクの戦い方はともかく皆は褒めてくれたし、結果もほぼ完全勝利だというのに、だ。
イオリだった赤い液体は、ジョナサンの冷却液によって凍らせられる事になった。
とても臭かったのを覚えている。
因みに地上に出た後、アズマは逮捕された。
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