521 伝説の勇者の末裔
膝蹴りを正面からガードで受けて着地の寸前。
ボクは目いっぱいの力を振り絞り、床を踵で擦り『後退』を行った。
所謂バックステップだ。
ただし力を殺さないよう高くは跳んでおらず、滑っている様に見えるかも知れない。
だからといってイオリの前蹴りのリーチ外に出れる訳ではない。
だが、マックススピードを少しだけ外れる距離と、ボクの右手を動かす為の『時間』を得た。
道のり、速さ、時間は互いに干渉し合う概念なのだ。
現在、ナイフは逆手に握っている。
そこでボクは乾坤一擲の行動を取る。
まだ追い付ける。
足より腕の方が早く動かせる筈だ。
──思い出せ。
アセナと一緒に森へサバイバルを行った時。
彼女は突撃してきた猪に対し、ナイフ一本で立ち向かった事がある。
猪の頭に手を添えて、突撃を回避すると同時に宙に一回転して背中に乗ってみせた。
そのまま回転の勢いを活かし、流れるように首へ一突きして猪を仕留めたのだ。
あまりにも綺麗な動きで、忘れられない光景だ。
──そして燃やせ!
このファンタジー世界で、矮小な人間が格上の敵を倒してきた不確定材料。
大人も子供も、種族の壁すら超える最終兵器。
『勇気』という心の武器を!
ボクは腕を、力いっぱい振った。
「ボクは……死なないっ!」
ザクリ。
迫ってくる煌めきを距離の基準として、イオリの靴に横から突き刺した。
勿論イオリのブーツは、単に突き立てただけでは刃の通らない特別製だと仮定している。
なので靴と靴底の隙間を、剥がすように突いたのだ。
手には肉を貫く感触が伝わる。
「痛ってええええ!」
はじめてイオリの顔から余裕が消えた。
足に直接ナイフが刺さって貫通しているんだから当然だ。
どうだ殺人鬼、傷付けられると痛いだろう?
更に力を込め、刺したナイフを取っ手として前に出る。
撃ち出すは顔面狙いのハイキック。
イオリは舌打ちをして、ギターで受け止め防御をする。
スウェーバックで躱そうにも、爪先蹴りの構造上、背中は既に反っている状態なんだから『受ける』しか選択肢がないんだよな。
なので受けられた途端、足首を動かし指から伸びた『鎖』を操作した。
懐中時計型ヨーヨーだ。
途中でイオリに言葉で牽制したのは、この仕込みから注意を逸らす為でもあった。
はじめの攻撃で使った物を、足だけで巻き直す必要があったのである。
此処は牢獄だ。
鎖の先端に付いたヨーヨーは、鉄格子の一本に巻き付く。
そしてボクは、鎖を介しヨーヨーへ魔力を以て命令を伝える。
どうせなら叫んだ方が格好いい。
12歳だもの。
「戻れ!」
ヨーヨーの回転が強化され、強いトルクで鎖が巻かれ始める。
合わせてボクがジャンプすれば、宙で一気に引っ張られ、イオリの頭を軽々と超えた。
空中で回転しながらエミリー先生と目を合わせると、彼女はくすりと笑う。
言葉は要らなかった。
今、彼への攻撃を邪魔する盾は無い。
格上と戦う際、当たれば強敵を倒し得る大技で勝負を決めるのは定石なのだ。
「はぁい♡」
「やべ……」
イオリはポカンと開いた目で、前を見る。
その先では、液体金属のドレスの一部がパラポラアンテナの形を取っていた。
そこから発せられる怪音波が、イオリに叩き付けられる。
「ぐあああああ!」
直撃。
少し目が瞼から飛び出し、思い切り開いた口から舌が伸びた。
ガクガクと痙攣しながら、崩れ落ちていくように膝を付く。
ボロボロと革ジャンの下から、虫が落ちた。
直ぐにそれが隠し武器のひとつだと気付く。
先生が無効化出来るのは、イオリの外側に居る虫だけだから、服の中から出て来る虫には対処できないんだ。
攻撃に合わせて袖の中から飛び出すとかやられたら、負けていたかも。
「ぜえぜえ……きついな……」
イオリは膝を付いたが、それでも倒れない。
そうだね。
自分の舞台に対しては人並外れたガッツを見せる。
そんな人間だよ君は。
ボクが彼の好きな部分だった。
でも、もう動けないでしょ。
常人なら少し休めば回復するかも知れない。
でも、音に人一倍敏感なイオリはそうもいかないのだ。
故に、未だ喋れるのは怪物じみた精神力と言うしかない。
ボクは彼の背後──先程までの彼の視点から話しかける。
「……ねえ、なんで服に忍ばせていた虫は使わなかったの?」
「そりゃ、ナイフ同士正々堂々と戦いたかったからさ」
「人質を取って正々堂々もクソも無いけどね」
「クハッ。違ぇねえ。
でもな、限られた状況でも美意識に沿った戦い方をしたいっていうのはある。
折角のハンディマッチだ。
聞き手の期待に応えたいってのが、アーティストの気質ってもんだ」
ボクはかなり下駄を履かされていた。
移動範囲を封じて、
本来のスタイルである虫使いも封じ、
接近された時に使う格闘戦のみに絞らせ、
というか格闘自体も腕は使っていなくて、
エミリー先生という伏兵が居て、
ボクの得意武器が相手と噛み合っていて、
そして殺人鬼故に舐めプをするタイプだった。
本当に勝利と読んで良いのか疑問に思うくらいのハンディキャップマッチだ。
これを仕組んだと思われる父上としては「この程度は幾らでも居るから、一人でどうにか出来るようにしろ」とでも言うのかも知れない。
彼は続けて呟く。
「まあ、あれだ……。
ライブ感で刹那的に盛り上がるならまだしも、『認められ続ける』という事は世間に縛られ『自分』を出せなくなるという事だ。
貴族であるアダマスは、これから否応にも世間の評価に応えていかなければならないだろう。
『自由にやれる』ってものがまるで無いと感じるだろう。
そういうのも踏まえて言っておこう……」
彼は震える手のまま、ギターを鳴らす。
平衡感覚はボロボロだというのに、見えているかのように綺麗な手付きだった。
本当にギターが好きなのだというのが分かる。
「GOOD LUCK!」
その音色は爆発するように激しいもの。
そして、ある変化に気付く。
カタカタと、彼が影武者として牢屋の中に入れておいた人形が震え出したのだ。
ハッとアズマが叫ぶ。
「爆弾だ!」
此処は地下の秘密基地。
イオリは殺し屋としての最期を全うしようとしていたのだった。