51 正直な嘘つき
ボクは開いた手を突き出し、牽制する。
「ここまでだ。銃を捨てて去りな。今なら見逃してあげるよ」
そうなれば目の前の女は『謎の子供』に喧嘩で負けて新式拳銃を失い、就職はボクの所に紹介状が来てるだろうから不採用。
それでも命だけは助かるだろう。
尤もボクは、この女のプライド故にそうなる事を期待してはいないが。
「な……なめんなああああ‼‼‼」
目の玉が飛び出るくらいの物凄い形相で此方を睨み、下唇を噛み千切って痛みをものともせずに手首のみを動かす。
拳銃をもう片手で受け止めようとしていた。
「警告はした!」
ならばその手、受け取る前に潰させて貰おう。
言葉と同時に両足で地面を踏み、一気に片足を突き出す。
後から付いて来る風切り音と同時に懐へ踏み込んで見えた光景は、拳銃を受け取る寸前の手。
これなら引き金を引くよりもボクが腰を切って一撃を加える方が早い。
故に『爆発』の名を冠する拳がメイドの脇腹にめり込み、折れる肋骨。
吐き出される血液。
『そうなる筈』だった。
「は~い、そこまで~」
「っ⁉」
ボクの予測を裏切ったのは突然現れた謎の男。フードで顔が見えないあの男だ。
子供のボクが言うのも何だけど、その細身とは裏腹に剛力と呼べる握力でボクの手首を握って、ボクの全体重を込めた一撃を止めていた。
風より疾いボクの速さを見切る目も、力も人間離れしれいる。だけど一番恐ろしい事があった。
「嘘……。気配が全く読めなかった」
ある時は無敵の裁判官にもなれる祝福だが、人から信用される事も難しくなる呪い。
そんな読心術とまで言われているこの感知能力が通用しないのである。
しかもこんな障害物だらけで道も細く、密集せざるを得ない裏路地でだ。
少しだけ『凄い』と云う感情が目に浮かんだ時、男がもう片手で何やらを摘まんでいたのが見えた。
それは、メイドが持っていた小型拳銃である。
メイドは受け取ろうとした手で、男に掴みかかろうとしていた。
しかし男はのらりくらりとした動作で避けると、片手で拳銃を弄ぶ。
「なんだ貴様はっ!返せ!それはお前みたいな汚い人間が触れて良いものじゃない!」
「ウヒヒヒヒ、ダメで~す。これは証拠としてお預かりしま~す」
「証拠だって⁉貴様、一体……」
「ウヒッ、ウヒャヒャッ。
そ・れ・はあああああ~~~~~~~~!!!!!!」
男は一気に空気を肺へ吸い込んだ。
そして拳骨でも入るほど巨大になった口から、声が『撃ち出される』。
衝撃波の一種が此方に届いたのだろう。
独特の金切り音がした。
メイドの爪にヒビが入り、後ろの煉瓦が少し崩れ、金属管が少し震える。
毛細血管が少し切れたのかメイドの耳より少し血が垂れ、そして目を見開いたまま膝を付いた。
メイドはうつ伏せで地面に倒れ伏して涎を大量に出しながら痙攣現象を起こし、そして、動かなくなった。
「超音波、かな」
「うひひ。ええ、その通りですよ、うひっ。
声帯をちょっと弄って、相手の頭蓋骨を振動させる特殊な超音波を出す技でしてね。
頭蓋骨の一部から発生した衝撃によって、脳の一部と神経へ強力なストレスを与える事で意識を強制的にシャットダウンさせる事が出来ましてね。うひっ。
だから殺してはいません、うひっ」
「……ふぅん。取り敢えず手首離してくれる?」
こういう技とか秘伝の筈なのにペラペラ喋るのな。
だからこそ目の前の男の正体に大体の見当が付いたので、ジト目でそう言った。
「あらあら~、これは失礼~」
彼は大袈裟な手ぶりで掴んでいたボクの手首を離す。
シャルが心配そうに駆け寄って、強くボクに抱き付いてきた。ああ、大丈夫だよ。
ボクは読心術の感知度を全力に上げて目の前の男へ語り掛ける。
「父上の差し金かい?
ボク等を付けている気配は確かに朝からあったんだ。もしかして君なのかな」
「はて、なんの事やら。私はちと事情があってホームレスをしてる男ですよ。
坊ちゃんを見かけたのもたまたまでしてね。暮らす場を汚されても困りますしね」
嘘。
ある意味凄いなこの人。
『全部』が嘘だ。故に正直者であるとも言える。
つまり事情があってホームレスをしてる男ではないし、ボクをたまたま見かけた訳でもないし、暮らし場を汚されて困るのが理由という訳でもない。
そして、『なんの事やら』が嘘であるという事は父上の差し金であるし、朝から付けていたともいう事だ。
なんか所々でヒントを与えられているのは、次期領主として鍛えようとしているからなんだろうなあ。
今、ボクの知らないところで何か大きなことが起きているのかも知れないね。もしかしたら見逃しただけで終わっている事なのかも知れない。
それこそ駅の待合室でエミリー先生とだべって話した「結局何だったんだ」な映画の展開のようにね。
彼はメイドを肩へ担いで踵を返して錬金術士街の奥へゆっくりと進もうとする。
「あ、ちょっと待って!」
「うひひっ。なにかな、坊ちゃん」
ひとつ息を呑んで、言った。
「助けてくれて有難う!」
頭を下げるボクにフードの闇の奥でポカンと口が開く。
そして笑った、気がした。
彼は片手でピースサインを作って返す。
「はい、どういたしまして。
十点満点で二点ってところでしたが、大負けして三点にしておいてあげましょう。
うえ~~ひっひっひ」
そうして彼とメイドと一緒に今度こそ闇の中へ消えていき、後にはボクとシャルと店番の女の子だけが残された。
◆
ある錆びれた錬金術士の研究所。
正確にはそれに偽装したラッキーダスト領に複数ある暗部の隠れ家にて。
キイと古びたように見える分厚い扉が開かれると、夕陽が薄暗い部屋に差し込まれ、中で待機していた面子を照らす。
使用人用の高級住宅街でアダマスとすれ違った老紳士。
大真珠湖の憲兵、パスタ屋で昼食を取っていた憲兵、待合室の売り子、市に居た憲兵。
彼らの視線の先にはフードを被った、アダマスが『彼』だと思っていた『彼女』が居た。
『彼女』は己の喉を摘まみ、声を出して己の声質を確認しながら声帯を調整していく。
「うひっ。うひひっ。うひゃひあゃひひゃ。
あっ、あラあー、ラあアらあー。あー、あー……こんな感じですわね」
奇妙な男の声が段々と柔らかい女性の声になっていく。
更に内側からポキポキと音を出しながらフード全体がクラゲの様にたゆみながら動いていた。
身体の大きさや体型そのものが成人男性の物から女性の物に変形しているのだ。
完全に『何時もの』体格と声に戻った『彼女』は、最後にフードを取った。
「ウフフ。坊ちゃまも私の正体に気付けないままとは。まだまだですわね」
真鍮色のボブカットで、微笑んでいるように見える細い目。
その、時に執政官代行の役割も与えられている『彼女』を見たら、アダマスは真っ先にその名前を叫んでいただろう。
「それにしては嬉しそうですな。『ハンナ』殿」
「ええ。私は坊ちゃまの乳母に過ぎませんが、それでも子の成長は嬉しいものですもの。
何歳で気付くか見ものですわ」
ハンナはそう言って担いでいたメイドを床に降ろし、その手を背中に回させて親指を指錠できつく固定しはじめた。
目が覚めたらきっと激痛で叫ぶだろうが、防音施設でもある此処では関係ないし、暗部にとっては日常でもあるので特別な感情はない。
敢えてあるとするなら「今日の坊ちゃまの夕飯はどうしようかしら」と、まるで関係のない想いといったところか。
ハンナ・フォン・アンタレスは年齢不詳のメイドである。
読んで頂きありがとう御座います