487 すいみん不足
現れたバルザック。
ついボクは、思った事をそのまま口にしていた。
「大丈夫?立てる?」
下瞼には、褐色でも分かる黒々とした隈。
大柄な身体はふらつき、白衣からはなにがなんだかな薬品が混ざり合った異臭がする。
虫の研究の為に、何日寝ていないんだ。
「あ~……問題ない、私は大丈夫だ」
「それって大丈夫じゃない人の言葉だから」
頭がグラリと傾いた。
ならばと彼は、身体の悲鳴に逆らうように、一歩シャルの方に歩み寄る。
呪文のようにブツブツと、かつて虐待してしまった実娘の名前を呟いていた。
「シャルロット……シャルロット……」
コイツ、やばい。
彼の場合は意識が朦朧としているのもあるのだろうけれど、どうもボクの周りには行動が極端な人が多いなあ。
ギター馬鹿のイオリなんかもそうだ。
彼が自分から娘に触れる事は無い。
バルザックの歩みを止める場所は、シャルからやや離れたところだった。
自分が許されていないと解っているが故の、結界の様な位置取りだ。
それでもシャルは腕を組み、じっとバルザックを見上げる。
「それで、体力的に大したことは言えなさそうじゃろうが、なんか言い残す事はあるかの?」
言われ、バルザックはパクパクと口を動かす。
よく見ると髪もボロボロだな。
「私は……、本当はシャルロットを……遠くで見ているだけでも良かったのだ。
エミリーの助手として、あるいは修業場の教師として。
この領都にくる度にシャルロットの事を聞いて、無事で楽しくやっているのを聞くのが楽しみだった。
しかし、いや、だからこそ……今回はお前の無事の為に全力を尽くさせて貰った。
不甲斐ない私であるが、役に立てたら……嬉しい……」
ボロボロであるが、それでもシャルにやった事を考えると可哀想だとは思えなかった。
でも『すまない』は言わなくなったな。
会う度に言われたら鬱陶しいので、そこは評価できる点だと思う。
取り敢えず、シャルの役に立ちたいって意気込みは凄く伝わった。
ぶっちゃけ重いくらいだ。
シャル。
本名シャルロットは口を尖らせ、アセナの持っている袋に手を突っ込む。
取り出したのは、屋台で買ったベビーカステラだ。
「褒美じゃ、やる。
だから近寄れい、渡せないじゃろ」
聞いたバルザックは、笑った。
「この人ってこんな顔するの!?」と、シャルを除いたこの場の全ての人が動揺するくらいに眩しく笑った。
一歩踏み出し娘に近付き、小さな手の平に乗せられたそれを受け取ると、まるで宝玉の様に上に掲げてみせた。
彼にとっては大袈裟でないのは解る。
娘とやり直すなんて、ずっと遠いもしくは適わない未来の話なのだから。
「ありが……とう……」
そう言い残し、バルザックはベビーカステラを持ったまま床に倒れたのだった。
今度こそ最後の力を使い果たしたのがよく分かる。
汚れるのも気にせず、床に頬をへばり付けた状態で、グウグウと寝息が聞こえてきたのだった。
そのままバルザックはソファーに運ばれた。
そしてピーたんは語る。
「別に庇護する訳じゃ無いけれど、『寝ないのは効率悪いし休もう』って言っても『シャルの安全の為だ』って聞かなくってなあ。
まあ、不器用なヤツさ」
その横顔にはどこか黄昏の念がある。
が、彼女は直ぐに首を回して視線を『ボク達の後ろ』へ。
そこには、ミアズマ幹部アズマが居る。
「消去法だけど、アンタが『アズマ』で良いのかな?」
「……そうだが、どうして俺の名を」
彼は賢いので予想そのものは付いているだろうが、確認の為に言葉を返す。
何気に、グリーン女史を深みへ巻き込まない言い方だ。
「虫が居た現場の情報さね。
一応ウチ、公的な仕事だから容疑者の情報は入って来るのさ」
それを聞いたアズマは納得した。
尤もボクの読心術は、ピーたんの言葉を『嘘』と言っている訳だが。
昔はこうやって親しいと思っていた人も、読心術で見てみると結構嘘を付いているって解ってノイローゼになったっけ。
最近になって、それは『悪い嘘』であるか考えるべきだと思うようになってきたけれど。
そして今回も、悪意自体はないらしい。
つまりピーたんにとって、『容疑者の情報』として最近アズマを知ったのではなく、『前から知っていた』可能性が高いという事だ。
更にピーたんとバルザックは遺伝学の権威だ。
これらを総合して『彼の世界では治せなかった病気を、治せるようにする』という依頼も受けているのではないだろうかという仮定が生まれる。
技術力は兎も角、ウチは物理法則が違うからな。
なんせエルフや神様やチート能力が実在する世界だし。
そこまで考えれば、彼女達が此処に来たもうひとつの理由が浮き彫りになってくる。
アズマとミアズマと切り離す為の取引材料だ。
アズマが「誇りを捨ててでも生きたい」と思えば、切り離せる可能性は高い。
ただ、今のアズマはどちらに寄るか考えあぐねている最中であるし、命を大切と思う感覚が薄い。
寿命が短いから、恋を大切に噛みしめようとしている感覚さえある。
表か裏か。光か闇か。
今後の彼がどの世界で生きるかは、グリーン女史への依存にかかっているという事だ。
そこでピーたんが再度口を開く。
「素直になれてなさそうな顔だねえ。彼女さんとはうまくいっているのかい」
グルグル眼鏡をかけた顔で、にかりと笑った。
その心にはアズマをミアズマから話そうとする下心が感じられたが、純粋な老婆心の割合の方が大きい。
そういえばピーたんさん。
昔はアズマに似てクール系だったっすね。
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