438 人を動かすのは感情である
切り裂きジャックの被害について情報操作をしている連中は、ミアズマではない。
それはどういう事だろうか?
エミリー先生はボクを床に立たせると、両肩をポンと叩いた。
表情は柔らかく微笑んで、視線はボクではなく周囲に向いている。
此処からの推理は、家庭教師として生徒に任せるという事か。
後でご褒美を期待するよ。
「え〜……おほん。
不詳、このアダマス・フォン・ラッキーダスト。若輩の身ながら説明をさせて頂きます」
「お兄様、頑張るのじゃ!」
「ありがとね」
撫でてあげたいが、ちょっと距離があるので後にしよう。
コホンと一息。
偉い人の前でのプレゼンは緊張するなあ。
シャルがウチに来る前の、ボクが人見知りだった頃程ではないけれど。
「先ず、考えるべきは『切り裂きジャック』。
……と、いう名前を、誰が考えたかであります」
「死体の発見者や警察が、傷から勝手に広めたんじゃないのか?」
ベアトリス女史は、カウンターに頬杖を付いていた。
良い人だな。
議論の『題材』を提示して、話を進めようとしてくれる。
ボクはカウンターの傷跡に視線をやった。
衝撃波が掠って少し抉れている部分だ。
言いたい事が伝わるよう、やや大袈裟目に言おう。両手を大きく広げた。
クエーッと、翼の如くである。
「いいえ。
その戦闘痕の通り、切り裂きジャックの基本は衝撃波による牽制。
そして、猛獣の爪を思わせる鉄の『爪』による鈍い斬撃でのとどめ。
想像するのも嫌ですが、被害者の死体はミンチ肉のようにズタズタになる事が予想されます。
下手をすると、人為的な殺人どころか新手の動物型魔物と勘違いしそうな戦い方です。
これでは『切り裂き』とイメージを結び付けるのは難しい」
どちらか言えば引き裂きジャックじゃないかな。
思っていると、ベアトリス女史はエミリー先生の方を見ていた。
虫について聞くからだ。
「だが、ナイフのようなツノを持つ虫が本体なのだろう。ナイフによる殺人であるなら理由は問題ないじゃないか。
実際、そういう傷が付いた死体も発見されている」
「いいえ。切り裂きジャック……もしくは、殺人鬼全般は全体像が謎であるからこそ強者でいられます。
あれは自身の手札を見せる諸刃の剣で、実際、追い詰めてから出したものだったと聞いています。
つまり、虫の『ナイフ』を出す段階になっていると、被害者の身体には衝撃波の傷跡が付かざるを得ない」
順番の問題なのだ。
実際に見た訳でないし、ボク達も傷は付いていないけど、アセナ程の超人が街中にウヨウヨしていたら、それはそれで怖い。
ボクが切り裂きジャックなら、街に近づこうとすら思わないね。
推理モノの話なら、犯人の懺悔として手口の説明をして確認が取れる場面なんだけどなあ。
生憎生首さんは口を聞けない状態だ。
その上でベアトリス女史は、納得したように頷いてくれた。
「なるほど。だが、正体を晒す危険を冒してまで突然やってきた意味は?」
「すみません、それは分からないです。
切り裂きジャックが一人でないなら、ボク達が出た後に襲撃が来る筈ですし」
「……あ、その件についてはちょっと良いかな?」
「アセナ!?」
椅子の上で豪快に胡座をかいているアセナが手を挙げた。
胡座なのは湯上がりなのを早めに乾かしたい為。
「アタシの経験則だけど、奴は快楽殺人鬼だ。だから……」
「だから?」
言いにくそうに一拍。
そうして出てくる衝撃の『仮説』。
「『趣味』でやっている面が強い」
「はあっ!?つまり意味はないって事かい?」
目をまん丸にしたベアトリス女史の問いに、アセナは敬語になって言葉を返す。
尚、裸エプロンである。胡坐なのが目に悪い。
「まあ、半分は。
ただ、もう半分は趣味人故の『承認欲求』でやっている可能性が高いのです。
手玉を敢えて開示する事で、自身をひけらかしたい。
私は前々から調べていますし、私達が奴を追っている立場であると予測を付けるのは、容易であると思われます。
なので『この武器を使ってこれから事件を起こす』と、暗に伝えているとも取れます」
「近所迷惑な奴だねえ。
他に趣味とか見つけたら良いのに」
「本当ですよ」
苦笑いではなく、本当に苦々しい表情を浮かべていた。
笑い事ではないという訳だな。
胸内でアセナのフォローに感謝しつつ、ボクは言葉を繋いだ。
「切り裂きジャックの名付けの件に戻りますが、以上の事から事件を取り上げたメディア関係者の可能性が高い。
彼等は切り裂きジャック事件の情報操作もしている事は、アセナの調査でも把握済みです」
「ふむ。で、それがミアズマでない理由になるのかい」
「はい。情報操作は大人数でやるものであり、本社も正式な会社である以上、簡単に割り出せてしまいます。
対してミアズマは、宇宙戦艦でこの世界にやって来た異世界人達による、事務所経営のような小規模組織です。
故に、ミアズマによる直接の関与は考えづらい」
新聞社に干渉しようにも、『何処から何処まで』がミアズマ関係者なのかは分からない。
貴族に干渉出来るのでスポンサーの幾人かに関与してはいるのだろうけれど、とても膨大な手間がかかる。
確固たる根拠はないが、この件に関与しているのはミアズマというより、偽物工場を運営している『裏組織』の方が可能性は高いんじゃないかな。
改造人間という立場から、過去にミアズマに関係した切り裂きジャックが、何らかの利害の一致で『裏組織』と手を組んでいると考えた方が自然かも。
過去の事例から、改造人間もミアズマの事は『お医者さん』と思っている程度で、深く知らないケースも多いのがややこしい。
何より、アズマ自身に裏組織に所属しているかを聞いて、彼は「違う」と確かに言ったんだ。
これはミアズマ構成員の庇護に繋がるから、ベアトリス女史には伝えられない情報だけど。
けれど彼女はのんびり口に出す
「つまり、グリーンの家のヒモが関わっている訳では無いという訳だね」
「……え?」
「分からない筈無いでしょ。
ミアズマの情報を渡したのは私だし、お前の読心術は有名だ。
後はお前の立場で『言ってはいけない物』をなぞっていけば、自ずと辿り着く。
まだまだ、領主として不十分だねえ」
「うっ……すみません」
少し悔しい思いをして俯いていると、彼女はパタパタと手を動かした。
店主は頷き、鍋を取り出す。
「まあ、子供にしちゃまあまあだ。
私の実家の派閥争いでも、それなりにやっていけるんじゃないかな」
そういえば広大な土地を持つグラットン公爵家は、血縁の者が成人すると公爵権限で爵位と土地を分け与えて、独立領主とさせるんだったか。
殆ど国の運営だな。
こうして血縁同士でドロドロな政治劇、更に暗殺や戦争すら繰り広げ、一番の権力者と現公爵に認められた領主が、次の公爵となるのである。
女王候補暗殺にいち早く気付き、予め避難経路を用意していたのも『前チャンピオン』の強かさという訳だ。
正に暴食。
あの公爵、計略の上手さならウチの父上より強いんじゃないかな。
これでも自領を『拡張』する意思は『そこまで』ない分、魔王の居た時代よりは大人しいらしい。
「後はカレーでも食べながら話そうじゃないか。
消去式で、犯人に目星も付きはじめてきたしね」
鍋の蓋を開けると、美味しそうなカレーの匂いが漂ってくる。
そうだ、これから話さなくてはいけないのだ。
最も犯人の可能性が高いのは『イオリ』だという事を。
読んで頂きありがとう御座います。
宜しければ下の評価欄をポチリとお願いします。励みになります。