433 蟲
例えば、木で作った人形の頭と足を両手で持つ。
で、親指で背中をペキって折るだろう?
でも、完全に折れずに上半身と下半身が繊維で繋がっていたりするよね。
背骨を折られた切り裂きジャックは正にそんな状態だった。
なんとか立とうとしているのだと思われる。
上半身が長い両腕を。
下半身がズボンとブーツの両脚を。
別個でジタバタと動かして暴れ回っている。
まるで、羽を片方だけもいだ虫みたいだった。
人によってはショッキングな光景だが、アセナは冷静だ。
夜道で変質者に出会ったとしても無言で股を蹴り上げそうな、そんな反応。
「……」
そこら辺に落ちていた、汚い鉄パイプを片手に近付きつつ、何も無いところを横に振った。
ビャッと金属を引っ掻いたような音がした。
すると、元から歪んでいた鉄パイプには新しい歪みが出来ているのが見えた。
ハンマーで叩いたかのように、少し曲がっていたのだ。
「まだ、衝撃波を撃つだけの力はあるか」
冷めた目付きのまま、パイプで外套の隙間を払う。
小さな銃のような機械が、カンという軽い音と同時に壁に叩きつけられた。
気付けなかった。
ボクははじめに会った先入観から、飛び道具はマスクにだけ装着しているものだと思い込んでしまっていたのだ。
けれど本当は体内にも隠していたらしい。
言葉にすると当たり前に思えるが、戦っている時とか勝利して油断した時とか、意外と当たってしまいそう。
特に衝撃波は透明だし、音もそこまで聞こえない。
「まあ、無駄なこって。
獣人の聴力は人間の可聴域を遥かに凌駕する。
銃の中で振動板を震わせるとか、予備動作の時点でバレバレだったよ」
彼女は得意げな様子で、獣耳をピコピコと動かしていた。
心なしかリラックスして見える。
パブでの射撃時の対処も早かったし、あれを先読みした上でボクに鎖を使わせたのだろう。
前も瓦礫に拳銃を持って隠れている人間を探したりしたし。
耳と鼻で獣人を出し抜くのは機械でも難しいのだ。
「さて、イタチの最後っ屁も済んだし……ん?やべっ!」
「ふえっ?」
突如、猫の如く抱えられて、ついイケメンが出してはいけない声を出してしまった。
続き、幅跳び。
アセナはタンと前方向に飛び出してラグビーボールのように切り裂きジャックの『頭』を回収した。
ペストマスクを持っているだけのようにも見える。
バリツの訓練をする上で、改造人間の基本構造は全て頭に入っているので、胴体がシンプルであるなら切り離しは簡単な作業だ。
彼女曰く、密偵のスキルとして爆弾の解体も得意分野らしい。
多才だなあ。
そして次の瞬間、後ろよりやってきた『何か』が、ブゥンという羽音と共に手を掠めた。
その影は、拳程の大きさをしていて弾丸のような速度である。
驚異的な動体視力で姿を捉えたアセナは叫ぶ。
「虫みたいな動きとは思っていたけど、本当に虫かよ!」
状況確認の為に視力強化の魔術を発動させる。
こうして彼女に遅れ、ボクも掠めた物の姿を確認したのだが、捉えた姿は確かに『虫』だった。
「『群体』の正体は、虫型のロボットがコートの中で手を繋ぎ合っていたのか……」
それは、熱帯地方に生息するタイプのやたら大きな甲虫だった。
蜘蛛やカミキリムシのように長く発達した足。
関節は歯車が回っていて、生身でないのを示している。
カブトムシのようなツノが付いているが、先端は長く分厚く、そして鋭い。
ナイフそのものだった。
金属でなくてもナイフは作れる。
例えば暗殺に使われる武器として竹のナイフというものがあるくらいだ。
植物でやれるなら、甲虫の殻でも十分な殺傷力を持ち得るのだ。
カブトムシは空中でUターンをすると、再びボク達に向かって突撃して来た。
そしてアセナの両手は、右手でボクを抱えて、左手で切り裂きジャックの『生首』を掴んでいる。
防御手段は少ない。
彼女が避けないなら、ボクが迎撃するか。
危機というのに、ボクの頭は不思議と冷静だ。
戦闘中ってそういうのよくある。
懐には貴族の証としている紋章付きの守り刀がある。
武術系は器用貧乏なボクだけど、ナイフだけは得意分野だ。
いざ誘拐された時に帰ってきたり、潜伏活動が出来るようにと、あのクソ親父からサバイバルを叩き込まれてきたからなあ。
勿体無いので滅多にやらないけど、投げナイフで鳥を仕留めるくらいは出来たりする。
そんな訳で、とても慣れ親しんだものだった。
ハエなどに比べれば十分的は大きい。
抜刀と同時に、斬る。
イメージトレーニング完了。何時でも来い!
だが、そんな覚悟は良い意味で裏切られる事になる。
英雄級の戦士はボクの予想の更に上を行ったのだ。
「虫ケラ如きが……アセナさんを舐めるんじゃないっ!」
突如視界が横に動くと同時、カブトムシの姿が横から来た物に叩かれてかき消えた。
正体はアセナの上段回し蹴り。
彼女の革靴はカブトムシの胴体を横から叩き、そこらの壁に叩き付けたのだ。
カブトムシの体液が壁の染みとしてこびり付いている。
彼女程になれば、手を使わなくても倒せたという訳だ。
「羽を得る事で誘導性を持った分、スピードが犠牲になっているな。
アダマスの投げナイフに比べたら遅すぎる」
「え、ありがと。純粋に嬉しい」
「おう。もっと自信持って良いぞ」
少しの時間、和気あいあいといった空気になる。
とはいえ、そんな空気は長く持たなかった。
ましてやナイフ術が役立つ場面でも無さそうだ。
──ブブブブブ……。
背後から、まるで大きな砂嵐のような音が聞こえてきたのだから。
カブトムシの群れによる羽音だ。
切り裂きジャックの外套という『虫の巣』の中から、大量のカブトムシが湧き出ていたのだ。
虫達は羽を鳴らし、宙に大きな蛇のような影を形作る。
『蛇』はボク達を飲み込まんと、怒涛の勢いで突撃してきた。
近付くにつれ段々と大きくなる羽音が、竜の咆哮を思わせる。
「さて、アダマス……逃げるぞ!」
「うんっ!」
「あばよ〜、とっつあ〜っん!」
回れ右をしたアセナは障害物を足場にして駆け出した。
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