427 あ〜そび〜ましょ
携帯蓄音機と従来の蓄音機の大きな違いはラッパの大きさである。
なんせ『ラッパ』と言っているが、厳密にはそうではない。
細い金属管の出口に、振動する金属板とレコード針が一体になった部品を取り付けている事で、金属板から音を出すのである。
『サウンドボックス』という、最先端の技術だった。
グリーン女史が学園都市時代から現在にかけてコツコツと何年もかけて手探りで勉強し、知識のピラミッドの上にやっと一段だけ積めた『発明』だ。
誰もが未来人のように先の技術を知っている訳でも、ピョンと時代を超える世紀の大天才ではない。
エミリー先生曰く。
アズマが関わったのは細部の調整で、彼が手を加えなくてもその内グリーン女史は携帯蓄音機を作れただろうとの事。
尤もその場合、十年ほど遅れるので資金の確保という意味では危うかったらしい。
そんなサウンドボックスから、ギターの演奏が奏でられて小さな工場の中をお洒落に染め上げていたいた。
落ち着いた曲で、作業を行うにはぴったりだと思う。
試験という事で、レコードを置いて曲を流しているのである。
この機械は、何処でも歌の流れる空間に出来る訳だ。
だとしてもサイズと重さが問題だけどね。
それはそれとして。
「と、いう訳でナイトクラブへの入り方を教えて下さい。グリーンさん」
やっと本題に入れる。
来るまで長かったなとしみじみ。
でも、楽しい事という訳でも無いので、ここまで来るまでの道を楽しむとかそんな感じなのだろう。
現に皆とのお喋りが一番楽しかった。
「ああ。じゃあ気になるところから言うね。
入場料は大銅貨1枚。ゲストは小銅貨が追加される。
因みに年会費は大銅貨5枚ね」
うわ〜、出たよ。旧貨幣。
この国には『1000ルメハ』という通貨は無い。
というのも昔は、今以上に貨幣がゴチャゴチャだったのに起因する。
金貨に含まれる金の割合がそれぞれ違っていたり、信用性も貨幣の発行元でそれぞれだ。
なので天秤を用いて、基準となる金銀銅からどれだけの割合で価値が下がるかという価値観だったのだ。
なので、中途半端な数値のまま固定されている。
一応500ルメハ硬貨2枚で代用出来るのだが、一枚でスッキリ済ませたいよねという事で、皆がなあなあで決めた値段設定なのである。
以上、余談である。
エミリー先生は納得した表情で、袋型の財布を取り出した。
紙の通貨はないし金は重いので、袋型の方が丁度いい。
ボクも余裕で払えるが、お金を出すのは大人の役目という事だな。
握った物をグリーン女史の手に渡す。
「うん、了解。じゃあコレ、グリーンのサービス代も込めて二万ルメハ……大銀貨二枚ね。
なんか楽しみにしていたっぽいお菓子も貰っちゃったし」
「お、おう……」
彼女の手にポンと置かれたのは、キラキラ光る大振りな銀貨だった。
労働者階級の週給と同じくらいで、よっぽどの事が無ければ払う事はない大金だ。
本当は金貨でも良かったのだろうが、金貨の最小値が五万なので、貧乏生活で頑張るグリーン女性のプライドを傷付けない値段設定といったところ。
しかし、これでも『サービス代』が多過ぎるのではないだろうか。
同じ事を思ったグリーン女史は口を開く。
「ちょ……」
「なあに、その分しっかり働いて貰うさ」
けれど容赦なく、エミリー先生が言葉を遮った。
お金を貰っている立場のグリーン女史は強く出れない。
ボクとしてはお金の大切さを知っていて素晴らしいと思うけどね。
なんせボクなんて、つい最近まで貴族の世界でお金に対する感覚が麻痺していたし。
アセナの新聞売りを手伝って、やっと銅貨一枚の重さを知る事が出来た。
彼女は、ボクとシャルの肩をポンと叩く。
「『この子達』は兎も角、『私』は面倒事を起こすだろうから、君にフォローを入れて欲しいのも確かでね」
「面倒事?」
「例えば、君の『彼氏君』の発明品がナイトクラブで活躍しているそうだから知りたいのはある。
でも私じゃ話が通じなさそうだから、ナイトクラブの営業で慣れている君へ助けを請いたい」
そう言うと、グリーン女史は肩をピクリと振るわせ目を見開く。
「え……まさかイオリさんの事を知って、子供を使ってまで私のところまで!?」
「ふふふ、どうだろうねぇ」
グヌヌと額にシワを寄せるグリーン女史に対して、エミリー先生は意味深にニヤリと笑った。
だが実はコレ、意味深なだけで、パッと思い付いた言い訳に過ぎないのである。
どういう状況なのだろうか。
グリーン女史の視点で考えてみよう。
先ず、エミリー先生は国内でも有数の錬金術士で、グリーン女史の内情をアズマの事以外なら知っている。
例えば携帯蓄音機を作ろうとしている事とかね。
そんな彼女をグリーン女史視点で見た場合、携帯蓄音機の過程で出来たエレキギターに気付くと深読みする可能性が高いのだ。
それは単なる知的好奇心かも知れないし、先生の雇い主である『貴族』に関係する政治的理由かも知れない。尚、この場合もグリーン女史は、先生の雇い主が領主である事を知らない。
また、グリーン女史がスクラップ置き場にやって来たのは、エミリー先生がイオリと『別れた後』だった。
つまりイオリが『前もって会っている』事には気付いていないのもある。
兎にも角にも、エミリー先生がエレキギターを知りたがる理由は調べようがないのである。
まさか本当に『持ち主と言葉が通じないから』だとは夢にも思うまい。
だってグリーン女史の目には、知謀を張り巡らせる未知の怪物に見えているのだから。
「なにかよく分からないけど、魔法のように凄い策略があって、その責任を被せられるかも」くらいに思っているだろう。
まあ、つまりはハッタリだ。
しかし友人に『親切心』で大金を握らされた身。これ以上、恥をかく訳にもいかない。
「……分かったよ、出来るだけどうにかしてみる」
「うん。ありがとね、期待しているよ」
こうしてグリーン女史は大金を得て、エミリー先生はボクに掛かる疑いの目を、自分自身に向ける事が出来たのだった。
ぶっちゃけ先生にとっては一銭の特にもならず、それどころか四千ルメハ分は損しているのだが、ボクを守る為に盾になってくれたのである。
感謝しても仕切れない恩を感じたのだった。
ありがとう。エミリー先生。
「そういえば、グリーンさんは……ええと、その、イオリさんとは面識あるんですか?」
知っていても知らなくても、どちらとも取れる言い方にしないとな。
グリーン女史から見たボクは「イオリと面識がない子供」であるが、イオリから見たボクは「イオリに憧れる少年」だ。
嘘だけで通すと、バッタリ会ったらしっぺ返しを喰らう可能性がある。
けれど、グリーン女史もボク達に知らない情報を持っていた。
「おお、大ありさ!なんせあの人、私に融資してくれている人なんだ!
いやぁ、カリスマインフルエンサーが私に協力してくれるなんて夢のようだよ」
……は!?
そんなボクの内心も知らず、彼女の顔は希望に満ち溢れていた。
なんとも言えず、そのまま夢の蓄音機の曲は垂れ流される。
こうして工場での要件は一先ず終わり、舞台は夕方に移るのだった。