411 夜じゃない時の夜の蝶
裏路地を抜ければ、そこは花咲き蝶の舞う城下町であった。
とはいえ、花は花でも夜の花。
花のように可憐な屋敷が、質素な風俗ギルド本部という大樹に守られるように建っているのだ。
屋敷の一つ一つに大人のお店の看板があり、即ち風俗街であるというのが読み取れる。
免疫の無いシャルはグルグルと目を回す。
ボクの背中に隠れて、穴倉に籠った兎の如く縮こまっていた。
かわいい。
さて。
先程『花咲き蝶の舞う』とは言ったものの、それは残念にも月光のフィルターにかけた時の光景である。
シャルが思い浮かべているのもそちらだろう。
されど今の太陽は空に昇り、夜の蝶も只の人。
煌びやかで露出度高めの服に上着を羽織って省エネ化したお姉さん方が、そこら辺で年相応に姦しくお喋りをしていたり買い物をしていたりする訳だ。
そんなお姉さんの内、偶然にも目の合った二人組が、エミリー先生に気付くと自然な様子で歩み寄って話しかけて来た。
仕草は柔らかく、友達のように親しい声色だ。
「エミリー先生じゃないですか。おはようございます」
「ああ、おはよう。なんか病気とかの噂があったら遠慮なく言うんだよ。無くても良いからさ」
「は-い。気をつけまーす」
エミリー先生が此処までの道のりに慣れていたのはそういう事か。
先生が会話にちょくちょく補足をしてくれた。
錬金術士街の近所という事もあり、彼女は風俗嬢の医師としてかなり頻繁に来ているそうな。
未知の性病も発症前に直ぐ当ててしまうし、喋っていて面白いので親しまれているようである。
補足をしていれば、される側が気になるのは自明の理。
お姉さん方はボクの方を興味深そうに見た。
「ところでその子達は教え子……とは違いますね。
だとすると、ああ、噂の婚約者くんですか」
「うんっ、私のマイダーリン。アダマスくんでーす」
そう言ってエミリー先生は、薬指に嵌められた玩具の指輪を光らせた。
マイと私で被っているが、エミリー先生はそういう遊びを好むので普通だと流す。
邪道メイド服とかも着るのが好きな人だし。
しかし読心術が形無しだ
このお姉さん達は商売が商売だけあって人間の気持ちに対しては鋭い。
と、思っていたのだが、実は風俗ギルド周辺で働いている彼女達は高級娼婦に当たるので特に上澄みであると先生が教えてくれた。
確かに、考えれば風俗店というのはもっと目立つところにある。
こんな隠されたような場所で怖い人達に厳重に守られているような所に来ることが出来るのは、余程のVIPか。
エミリー先生はバッと手を広げて、お姉さん方との会話を繋げた。
「後ろに隠れているのは正室のシャルちゃん!
最近たまに来る『お手伝いさん』の娘でもあるね」
「ああ~、ハイハイ。バルザックさんの。確かに似て……ええと、似て……」
「いや、無理して似ている所を見つけんでも大丈夫なのじゃ。妾も似てはおらんと思うしの」
場の雰囲気に慣れて来たシャルが背中から出て来て返事をする。
シャルの顔が完全に出ると、お姉さん方は「アッ」と楽しそうに反応した。
「でもおんなじ八重歯だ。かっわいい~!」
「ほへ?そういえばそうじゃの。うへへ、ありがとうなのじゃ」
「きゃ~!撫でて良い?」
「うむ、許す!」
仲良くなるのは一瞬だった。
お姉さん方にワチャワチャ撫でられ、ドヤ顔のシャルを見ていると手を引っ張られる。
「折角じゃし、お兄様もワチャワチャされるのじゃ」
「わあっ!こっちはモフモフー」
可愛い義妹の頼みとあらば断わる訳にいくまい。
良いではないか、こういうのも。
こうして暫く、摘み立てのお茶の葉の如く髪を揉まれる事になるのだった。
でも、商売柄なのか髪の特性をよく理解しており、髪は全く痛まないで解放されたのだった。
「シャルが明るくなって良かったよ」
「うむ。エミリー先生に聞いていた風俗街のイメージと大分違って安心出来たのじゃ」
シャルが言っているのは、違法風俗の事だ。
只でさえ風俗街というのは偏見が多いので、そういった実例を聞いていると尻込みしてしまうのは当然と言えば当然か。
当のエミリー先生もウンと頷く。
「この辺の話題は子供に対して掘り下げるような事じゃないからねえ。
誤解を解くとしたら、機会があったら程度には思っていたくらいだな。
つまりは『今』でしょ!」
「青空教室ですかや?」
「それも良いんだけれど、ぴったりの『教室』は別にあるかな。
例えば目の前とかに……ねっ!」
少しふざけたようなポーズと同時、ピシリと指差すはほんの目の前。分厚い門。
何時の間にやらギルド本部の目の前に到着していたらしい。
守衛室にはどう見ても堅気じゃない人が座っていたが、エミリー先生が話しかけて父上の紹介状を見せると直ぐに門を開けてくれた。
凄いな、殆ど顔パスだよ。
風俗ギルドって父上と仲が悪いから、紹介状だけではもっと時間が掛かったと思われる。
中に入れば公共施設だと納得出来る立派な受付があり、清潔感のある制服を着た受付嬢に事情を話せば階段に通された。
螺旋階段だ。エレベーターは無いらしい。
これも防衛用だな。所々に飾りはあるものの、質実剛健さが窺えた。
そんな訳で殺風景な景色が続き、そのくせ長く、昇るに退屈な階段だが、シャルとエミリー先生と話しながらであるなら苦ではない。
辿り着いたのは、両開きの扉だった。
鉄板が打ち付けられていて武官の城にありがちな圧力がある。
基本的にそこまで特別な意匠ではない。
しかし『ギルド長室』というプレートが、圧力の中に一滴の心構えを取らせるに十分な『装飾』となっていた。
貴族向けの心構えにスイッチを入れ、ドアノックを手に取ろうとすると、スッと横から入って来たエミリー先生が掴んできた。
此処に長く通っている彼女の方が勝手を知っている。だから任せよう。
エミリー先生はコンコンとドアノックを叩いて、扉の向こうに一言。
「エミリー・フォン・メリクリウス女準男爵です」
「ん、入って」
一拍置いてガチャリと扉を開くと、部屋の奥にの椅子に腰かけ、新聞を読んでいる人物が居た。
机に置かれた書類立ては一杯だが、机の上そのものは綺麗である。
顔は隠れて見えないが、手の形と声で女性なのだと判断出来る。
彼女は新聞で顔を隠したまま、言葉を続ける。
「ん~、なんか今日は二人多いな。
歩幅と足音の大きさから判断するに、子供かな?」
「その通りで御座います。それではアダマス君、自己紹介」
「はい。アダマス・フォン・ラッキーダスト。侯爵家次期当主として、お聞きしたい事が……」
「アイツの息子ね。よし、帰っていいぞ」
まだ顔も見てないのにコレかあ。
そりゃ、ボクがドアノックしちゃいけない訳だ。
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