407 許してやってくれ 彼はゴリラなんだ
──では何故、ボク達は工業区に来たのか。話は少し遡る。
何時もの領主館。
何時もの自室。
それはエミリー先生の授業で休み時間に入り、皆でのんびりしている頃だった。
今日のシャルは、修業場がお休みという事で一緒に授業を受けていて、それ故にボクは一緒にデートにでも行こうと考えていたのだ。
けれどもバタン。
そんな平穏は、扉が開かれた事で破壊される事になる。
「アダマス、お前、風俗に行ってこい!」
入って来たのはヒゲ顔のアホ親父。つまりボクの父上。
そんな彼の下品な一言によって、話ははじまる事になる。
「……ええ~」
ボクはドン引きした。
実の父親としてそれはどうなのとか、そもそもボクはまだ12歳だよとか、此処って婚約者が二人も居るんだけどとか。
下ネタ苦手な人とかだったら即刻付き合い切られているぞ。
その口に膝蹴りでもかましてやろうかなど、様々なツッコミが頭をぐるぐる過ぎる中、隣でシャルがボクの服の裾を引っ張り涙目で見ている。
リスのようにウルウルした目が、なんとも庇護欲をそそらせる。
「ふえぇ……お兄様ぁ。妾ではご不満でしたかや」
「いやいや、シャルは居ないと困っちゃうよ。大丈夫だからね」
ギュッと抱いて、背中をナデナデ。
肩の力が抜けていくのが感じられたので、ちょっとは冷静になったと思われる。
そんな一幕を、上半身をしゃがめて胸を寄せて見ていたエミリー先生は一言。
「私も似たような反応した方が良いのかな?」
「ありがたいお言葉ですが次の機会に」
「そうかあ。まあ、良いか。
取り敢えずは侯爵様、やや言葉が抜けているのでは?」
父上に向かい、流れのままに話を振る。
身分差の割に結構フランクだが、父上はプライベートにまで身分は持ち出さない主義で、エミリー先生は婚約者なので近い内に家族になるのでこんな物だ。
クソ親父はクソみたいにふざけた表情を変えぬまま、クソみたいな言葉を放り投げてくる。
クソを投げるとかゴリラかよ。確かにゴリラみたいな腕力だけど。
「クハッ。まあ、アダマスの反応が見たくてワザとやっただけだしな。
……正確には『風俗ギルド』になる」
「……さいですか」
過保護過ぎるよりは男子の親としてはこういう態度の方が正解なのかなと、ボクは自分を納得させた。
さて解説。
この領は多くの貴族や大商人が訪れる観光地なので、風俗や賭け事といった夜の商売とは切っても切れない関係である。
つまり、何もしなければミアズマのような反社会組織に付け入られる隙があるという事だ。
そこで『風俗ギルド』という労働組合が認可されていた。
基本的にこの組織を通さない風俗業は取り締まり対象である。逆に言えば金の木の独占状態と言って良い。
「新聞で噂になっている切り裂きジャック……連続『娼婦』殺害犯について、公開している情報が不十分であるという事ですね」
「ふむ。どういう事なのじゃ?」
シャルがコテンと首を傾けたので説明をする。
「実はこの風俗ギルド、権力の殆どを侯爵家に借りておきながら、侯爵家と仲が悪くってね。
強がるあまり、向こうに不利になる情報が少ないというのは社会だとよくあるのさ」
これには長い歴史の中で起こった、腐敗と言うより進化に近い自然な変化に近いものだった。
風俗ギルドというのは多めの税金が設定されているが、莫大な利益が出るので十分成り立っている巨大組織だ。
故にこの領の夜の商売に、あの手この手で介入しようとする反社会組織は後を絶たない。
するとどうなるか。
風俗ギルドとしては、大規模な物は行政に頼らざるを得ないが、露払いくらいは自分たちでやらないと『抑制力』として機能しなくなる。
店に押し入り「誰に断って商売しとるんじゃ」と、いう訳だね。
その様は、まるでマフィアだとかヤクザだとか。
正に戦っている反社会組織のような雰囲気になっていくのだ。
そういう組織は下の者に示しが付かない行動を取る訳にはいかない。
領主事業と同じだね。
「だからギルド長は助けて欲しくても、表立って『助けて』なんて言えないんだ」
「ほへ~。でも、人の生死が関わるなら皆納得するんじゃないかや?」
「普通ならね。しかし、新聞の切り裂きジャックは『正体不明』で通しているだろう?」
切り裂きジャックみたいなのが現れたら、風俗ギルドは先ず報復する。
人海戦術で乞食の家さえ覗き込み、莫大な賃金で雇われた用心棒やら冒険者やらが放たれる。
しかし、それについて情報がないのは尻尾も掴めていないのか。
「それとも、目も当てられない大損害が出ているか……だ」
後者だったら、この機会に秘密裏に領主へ助けを求め、それでボクが選ばれた……って、展開も考えられるか。
最近、父上の言う事の裏を読む癖が付きつつあるのは良い事なのか悪い事なのか。
しかしボクは、唇を尖らせる。
「でも、あんまボクにメリットないじゃないか。
風俗嬢と遊ぶ事に1ミリも興味はないぞ」
「つまり1マイクロはあるのかな?」
「ないです」
「そりゃ良かった」
シャルとエミリー先生の肩を抱いて両手に華。
更にアセナ。たまにハンナさんも加わるなら、これ以上は必要ない。
しかし父上はニヤリと嫌な笑みを浮かべた。
ああ、もう。いじらしいな。
こんなボクの考え位知っているんだろう。それで、何を用意するっていうんだ。
「実は風俗ギルドは『ナイトクラブ』を運営している」
「……む。雑誌でなんか聞いた事ありますね」
「そうだろう、そうだろう。
ナイトクラブっていうの、成金貴族に憧れる若者達が集まるところでなあ。
従来の貴族の衣装を、カジュアルな衣装にカスタマイズしたり、安い布地をどう貴族風にするかの創意工夫がある」
「むむむ!」
忘れられているかも知れないが、ボクは服オタクだ。
昔は望遠鏡で外を覗いてノートに『ボクのかんがえた格好いい衣装』をメモしたりしているが、今はお忍びの機会も増えたので随分増えた物だ。
しかし、夜の街の深い部分に潜る機会は無かった。
「因みに、ナイトクラブはデートスポットで有名だ。なんせ基本は貴族の社交界のパクリだからな」
「よし!乗った!」
流行の服。皆とのデート。
口車に乗るのは癪だが、乗ってやろうじゃないか。
近くではシャルとエミリー先生がホンワカしか顔で此方を見ていたのだった。




