40 哀れみと幸福と
ボクが缶コーヒーを飲むのを見て、隣でエミリー先生はこやかにしていた。
「美味しいかい、アダマス君?」
「はい。疲れた時の甘いものは最高です」
するとエミリー先生は小さな袋を取り出し、石の様な、小さな塊を取り出す。
ボクはそれに見覚えがあった。
「それってチョコレートですか?」
「あ、知ってたんだ」
「今日、皆で食べましたし」
「む~。
確かに、なんかお館様から変な木の実を美味しくするよう言われていたけどさ。
皆で食べるくらいなら私を誘ってくれてもよかったのに~」
彼女はボクから目を逸らす。
ふくれっ面を浮かべて頭を搔いていた。
へえ、作ったのはエミリー先生だったんだ。
確かにカカオは素材としてはかなり貴重だし、確実性を考えればエミリーに渡るのは自然な流れだ。事実、成果も出てるしね。
ボクはチョコレートを上下の歯で挟んだ。きっとこの時のボクは、悪戯っ子のような顔だっただろう。
彼女の肩をポンと叩く。彼女はボクへ向く。
そうして突きつけられる、ボク達専用のコミュニケーション。
「仕方ないなあ。今度はちゃんと私も呼ぶんだよ」
「父上にキツく言っておきます」
「侯爵様に?アハハ、そりゃ頼もしいね」
笑いを交え、ボク達は唇を交わした。幸せだなあ。
◆
エミリーはアダマスの幸せな様子を見て、ふと昔を思い出していた。
あれは学園都市を卒業したばかりの頃だったか。
彼女はアルバイト先のフランケンシュタイン子爵家のシャワー室を借りていた。
子爵本人が錬気術の研究家なので、実験として作った使用人専用のシャワー室が取り付けられているのだ。
高校の部活などでたまに見られる、簡単に仕切られたシャワー室などに近い。
エミリーの瞳に色は無かった。
自身が子を産めなくなった事件によって帰る場所を失い、学園都市で勉強すれば何かあるのではと、勉強に明け暮れた。
彼女はその優秀さから才女と呼ばれ、液体金属という『新兵器』によって爵位を得たが、その心に満足の色はない。
権威を得る度に想う事はひとつ。
─────私が欲しかったのって、こんな物だったのかな。
溜息をついて、臍の下の古傷を撫でた。
14の頃に下らない理由で子宮を無理矢理摘出された時の傷だ。
神経を触られるような感覚があるだけで、傷は答えない。
身体を洗い終わったので水滴をタオルで拭いて、シャワー室から出て、そのまま更衣室に入った。
ロッカーから取り出した、領主から配られる野暮ったいローブに袖を通す。
更衣室から出ると、そのまま研究室へ歩き向かっていくのだった。
彼女が子爵家で働く理由はひとつ。
『子爵家は人造人間を造る事に成功したらしい。
ならば、子供を産めなくなった自分が、子供を造る事も可能なのではないか』
こうしてエミリーは持ち前の頭脳で研究を半年で理解した訳だ。
しかし心は随分と冷めきっていた。
もう自分の子供を造るという考えなど微塵も無くなってしまったのだのである。
「成果は順調のようだな」
その原因となる男が、研究室へ入ってきた。
人造人間の精神を弄り脳へ干渉する為の薬を合成している最中の事だった。
「これは子爵様。このようなところまでようこそ」
バルザック・フォン・フランケンシュタイン子爵。
エミリーは彼の眼がどうも好きになれなかった。
疑い深そうなジト目というだけなら、エミリーがずっと昔に出会ったアダマスという男の子もそうだ。
しかしこのバルザックは人そのものを信じていない。
常に眉間に皺を寄せて、自分の渡したデータ通りか否かだけを確かめる。
何か異常があるならば、それは既存のデータ通りにやっていないから。
そればかりだ。まるで数値の奴隷である。
彼は紙に書かれたデータをパラパラと見て、納得したように頷く。
何時も連れている人造人間の少女に声を放った。
「あれがお前の為の薬だよ。宝石みたいだね」
「はい。素晴らしいですわ、アナタ」
「うんうん、お前は宝石を消耗するに値する存在だから、それも当然かもな。
それで、私を愛してくれるかな?」
「愛していますわ。アナタ」
そんな会話を繰り広げる二人。
人を信じていない彼も、自分のデータ通りに動いている人造人間の事は流石に『信用』するらしい。
そうやって確認する事を『愛』と呼ぶかはまた別であるが。
「ふむ、そういえば……」
「エミリー・フォン・メリクリウスですわ。子爵様」
「ああ、そうだったな。それでメリクリウスよ。
貴様は半年の契約だが、延長してもう暫く雇ってやっても良いぞ」
「……考えさせて頂きます」
尚、この時既にエミリーは辞める事を考えていた。
二人の在り方を見て思った事だ。
(あのデータ通りに造られた人造人間では、そろそろ形を保てなくなって『崩壊』しだすだろうなあ。
そうなると、この先は子爵自身の器量にかかってるんだけど、あの人間性じゃ駄目っぽそうだし。
「本当はデータ通りに作っていなかったんだろ」とか難癖付けられる前に辞めた方が良さげだね)
理論を解して、学園都市で得た最新の理論と自分の解釈を合わせて辿りついた結論はそれだ。
しかし、バルザックは過去のデータの奴隷だからきっとその結論には辿り付けないのだろうし、言ったところで聞く耳はないだろう。
この時のエミリーはそう感じていたのだった。
(さあて、これから何処に行こうか。
いっそ貴族位を使って教会のシスターにでもなって、孤児院でも経営して……ん、そういえば)
何時も指に嵌めていた、安っぽい玩具の指輪が視界に入った。
かなり昔、半年程度立ち寄ったに過ぎない関係だ。
「また今度ね」と。
そう言ってこれを渡した彼は、自分の事を覚えていないだろう。
(それでも行くだけ行ってみるか。此処よりは酷くないだろうし)
指輪を嵌めた手で、下腹をの傷をローブの上から撫でた。
◆
駅のベンチに座るエミリー先生が、哀愁漂う横顔をボクに見せていた。
「なんか悩みごとでもあるので?」
「こんな感じにミステリアスな方が美人って感じでムラムラするだろう?」
あ、そうですか。
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