4 メイド長という言葉はロマンの香り
鳥が羽ばたくかのようだった。
実際のところは、シャルロットが両手を一生懸命にパタパタと動かす仕草だ。ついでに金髪のツインテールも動作に合わせて揺れていた。
背が低めなので大層目立つ。
特に聞いてはいないけど、彼女は早口で弁明する。
「あ、ちなみに愛するっていっても違うのじゃからな!
兄妹愛とかそんな感じの愛情なのじゃよ、本当じゃよ!?」
慌てる彼女を見ていると、余裕が戻る。部屋で二人きりの今、「ボクがしっかりしないといけないな」という気分になるのだ。
なので少し考えてみる事にした。
彼女は妹になった訳だが、兄がボクである必要は何だろう。
ボクは何を求められているのだろう。
父上は「頼まれた」と言っていたが、世話を頼まれただけなら、実子のボクじゃなくて知り合いの貴族に押し付けてしまえば良いだけの話だ。
だってウチは自慢じゃないけど大貴族。
無闇に親戚は増やさない方が正解の筈なのに、である。
そりゃ、こんなかわいい子が妹になってくれるのは嬉しいけど、それとコレとは別問題なんじゃなかろうか。
その事も含め「自分で考えろ」との課題を出しているのだろうとは思う。
しかしウンウン悩んだところで糸口も掴めない。後でもうちょっと材料が揃ったら考えてみよう。
なのでボクは、意識を再びシャルロットへ向けた。この少女にどう接しよう。
見た目や態度に対して、性格は結構受け身な印象がある。
ボクは思考の闇にとっぷりと浸かると、中から解を引っ張り上げた。
「ああ、そっちね。う~んと、じゃあ、シャルでいいか」
「だからええとじゃな、うんとじゃな……はい?」
この時、何処からともなくドキドキと鼓動を伝えてくるのは、紛れもなくボク自身の心臓だ。
この緊張の根源に読心術は完璧ではない事が分かっていると云う不安もあるだろう。
だがそれよりも大きな理由として、一目見た時からこの娘に嫌われたくなかったのである。
何故だかはよく分からない。
こんな気持ちははじめてで、だからこそ緊張感が一層増したのだ。
「今考えた君のあだ名さ。
シャルロットだからシャル。
ロッティーとかシャーリーとか言うのが普通なんだろうけど、なんかそっちのほうがシックリ来るからそう呼ばせてもらうよ」
流れる様に万年筆で宙にスペルを書く。
よかった、緊張で手は震えていない。
「ボクは妹を持つのってはじめてだから、どう愛するものか分からない。
けど、自分なりに向き合う努力くらいはしてみようと思うさ。気楽にね」
少しだけ伏せた瞼を開く。
自身の金髪の睫毛が一瞬だけ視界に映り込んだ。
「それとも、勝手にあだ名をつけるのはダメだったかな?」
こうしてお道化るなんて何時ぶりだろう。
ボクは理想通りのアーモンドアイをジィと見た。するとシャルは視線を逸らして、桃色の唇を尖らしてしまう。
失敗したのかな。
いいや、その両手はボクの手首を握っていた。
彼女は萎みゆく声で応える。
「いえ……よろしくお願いしますのじゃ……お兄様」
「受け入れてくれてよかった。よろしくね、シャル」
少しだけ笑えた気がする。
そうして表情筋が緩んだ直後の事だ。
緊張していたのだろうか、言うや否やシャルはボクの胸に自身のオデコをペタンと押しつけて、そのまま全体重を預けてきた。
髪の甘い匂いがよく漂ってくる。
「はみゅ〜」
そして彼女の口から漏れる、蕩け切った甘い声。
更にスリスリと擦り付けてくる様はまるでマーキングの様でもあった。
悪い気はしない。
ただ、安心するや否やで急に此方へ身を任せ過ぎではないかとも感じる。
ボクは机の上に目を向けた。
そこにあったのは仕事の時に飲みかけだった、甘い紅茶と余り物のクッキーである。
おもむろにクッキーを一枚摘まみ、シャルの頭のちょっと上に持っていく。
「クッキー食べる?」
「頂くのじゃ!」
シャルはガバリと顔を上げると、餌を与えられた鯉のようにパクリと一口で食べてみせた。
「なんかすっかり態度が柔らかくなったね」
「まあの。はじめは緊張してしまって、中々こうする事が出来なかったのじゃ。
怖い人じゃったらどうしようかと思っていたし」
「それにしたって、身を委ねすぎじゃないかなあ」
気になっていた事をさりげなく聞いてみた。
太陽のような笑顔で、八重歯を二っと見せて彼女は応える。
「だってお兄様、良い臭いするんじゃもん。それとも、ダメじゃったかや?」
「いや、良いよ。ボクの胸なんかで良ければ喜んで貸すよ」
「わぁい、なのじゃ。いわゆるハァハァクンカクンカなのじゃ」
とても文学的ではない台詞を吐きつつ、再びボクの胸へ顔を摺り寄せる。
そんな彼女の後頭部にフンと溜息。
読心術の結果によれば「嘘ではないが、それが本来の理由という訳でもない」といったところか。
どれ、ボクも食べようか。
手を伸ばすとクッキーが無い事に気付く。あれ?二枚だった気がしたけど違ったっけ。
少し考え、そういえばハート形だったっけと思い出す。
きっとそれで重なっているように見えたのだろう。
因みにクッキーを口に含む寸前のシャルには少し照れがあった気がする。
理由はよく分からないけど、まあ今更だ。
取り敢えずは気持ちを切り替え、机に置かれているサソリの紋章の彫られたハンドベルへ目をやった。
それはメイド呼び出し用の鈴である。
───チリンチリン
「ハンナさん。ハンナさーん」
「はいはーい」
まるでタイミングが解っていたかのように瞬時に扉を開いてやって来るのは、一人のメイドだった。
真鍮色のボブカットで、何時もニコニコと笑っているように見える細い目。
スタイルは中々グラマラスで、肌も艶やかだ。十代後半とも二十歳前半と言っても十分に通じるだろう。
しかし年齢は不明なのである。
【ハンナ・フォン・アンタレス】
代々我がラッキーダスト家に仕えるアンタレス子爵家の女当主だ。
基本はボクの専属メイドの様な人だが、我が家における役割は家政婦長兼ボクの乳母と、実質使用人の最高位に居て稀に執政官のような事もする。
因みに本来の意味での家政婦長とは、女主人に代わって家庭内の整備と統御を行う者の役職である。
しかし此処では、ハンナさん自身が貴族位を持つのと長い間ラッキーダスト家に仕えてきた家系という事もあり、少し意味が違う。
執事のように使用人を纏める他、領主である父上にも意見する事が出来る、少しグレードが高いものになっているのだ。王宮の宰相に近いね。
尚、一説によると家政婦長という名前にロマンが無いという事で家政婦長の名前をメイド長にしたいと父上は大の字になって駄々を捏ねたそうだ。
しかし既にある役職名では下の者に示しがつかないのと、我が家に修行に来る貴族の子供が混乱するという事で母上に却下されたとの事。
我が家においてメイド長とはメイドを纏める中間管理職的な役職名なのだ。
大きい家なので数えられる程度だが、複数居たりする。
「坊ちゃま、何か御用でしょうか」
「シャル……あ、今日妹になったこの娘の事なんだけどね。
一緒にお菓子食べたいから、なんか追加のお菓子持ってきてよ」
「はい、畏まりました。それでは此方になります」
スッと差し出されるのは、器に盛られた焦げ茶色の艶のある、石のような菓子だった。
ていうかこれアドリブの筈だよね、相変わらず怖い程に準備が良いな。