397 家族写真
思わぬ飛び入りがあったものの、ボクの戦勝パーティーは終わりを迎えようとしていた。
はじめは父上に文句を言いたいところではあった。
しかし、ボク自身はヤクモによって傷ついた訳じゃないだろうと返されると、割と言い返せない気持ちがあったのだった。
記念撮影という事で目の前にあるのは木製の三脚に置かれた、木箱から真鍮の大砲が飛び出しているかのような大きなカメラ。
湿板と呼ばれるガラス板に硝酸セルロース溶液を塗るので、コロジオンプロセスカメラ。もしくは湿板カメラと呼ばれている。
写真屋さんに磨かれたピカピカのレンズを不思議そうに眺めつつ、シャルがお爺様に聞く。
「旧魔王城なら、もっと良いカメラもあるのではないですかの?
アセナが義父様から支給された最新のカメラじゃと、もっと小型でフラッシュを焚いてシャッターを押せばネガフィルムに撮影できるタイプじゃし。
それに、もっとお金をかければ映画もあるのですじゃ」
尤も、アセナは滅多にカメラに頼らないが。
只、シャルはバルザックの娘で工学の知識があり、しかもウルゾンJの運転など機械に対して才能がある。
その上での質問だった。
お爺様は静かに頷き、深く笑う。
「まあの。しかし、それこそ『趣き』という物じゃよ。
『今』を形にするなら今の時代に合った物の方が良い。アセナが持っておるのは、この時代ではまだ暗部が情報収集をする為の『兵器』じゃ。
映画は、家族写真を撮るに堅苦しい『事業』じゃの」
「お寿司は良いんですかの?」
「うんと美味しい物で出迎えたいのは、ジジイとして当然の事じゃて。
そして今の状況は、今だから出来る『贅沢』なのじゃ」
「はあ……なのじゃ」
哲学的過ぎてフワリとしているが、なんとなく分からなくもない。
今回の様に凶悪な敵が攻めてくるなら兎も角、時に質素の中に身を落とさねば行き過ぎた価値観に麻痺して溺れるようになる。
昔からお忍びで勉強できることは沢山あるから実感が湧いた。
だからといってナイフ一本で森の中に放りだすとかはやり過ぎだ。おのれ父上。
並び順はボクがセンター。
貴族社会的にこれで良いのかと聞けば、ボクの戦勝パーティーなので良いと言われた。でも隣にシャルを置くのは譲れないのでワガママを言って押し通す。
ボクの後ろは、滅多に顔を合わせない父上とお爺様。その隣にそれぞれの妻。
更に周りを囲むように、エミリー先生とアセナ。ネモとバルザック。
「それでは皆様。ご準備をお願い致します」
黒い布を被せたカメラ。
この型のカメラに機工としてのシャッターは無く、レンズに付いた蓋を開閉する事でシャッターを切る。
ところで、硝酸セルロースをエチルエーテルとエタノールの混合液に溶かした物をコロジオンといい、耐水性の皮膜を作る効果がある。
コロジオン溶液はカメラにセットされたガラス板に像を定着させ、そのガラス板を暗室に運び現象。
紙ではなくガラス板に像を写す世界で一枚の『湿板写真』が出来上がるのである。
「はい、大丈夫です」
「え?」
露光時間の問題で20分はジッとしている事を覚悟していたのに、撮影は随分早く終わった。
そして写真屋さんは部屋を出て行き、5分ほどで戻ってくる。
そしてお爺様の手元には、綺麗な白黒写真を写したガラス板が渡される。
ポカンとしていると、エミリー先生が得意げな顔をしている。
つまり、彼女の技術という事だ。
「どうだ、早いだろう。
コロジオン溶液と現象液に記憶の魔力を溶かし込む事で従来の原理のまま高速化を可能としているのさ」
エミリー先生の技術。
態々作ったのだろうか。いやいや、それではオリジナルである事を好むお爺様の『趣き』とは矛盾の行為だ。
つまり別用途で予め作っておいた物を、今回使ってみたと見て良いだろう。
どうしてだろう?
そういえば近年の技術の急激な発展により、確かにもっと便利なカメラは発明されている。
例えばウチのような一部の上流層では、名刺ではなく自分の肖像写真が入った小さなカードを渡すというのが流行っている。名刺版写真と呼ばれているね。
けれど最も多く市場に出回っているのは先程使った湿板カメラなのだ。
その一方で市位に出て見ると暗室を備えた写真馬車。つまり屋台の様な写真屋さんというのもチラホラ見る。
そこまで考えが及べば、答えに辿り着くのは自然だった。
「なるほど、写真需要の増加ですか。嘗てジョナサンが風景画を頼んだように。
それなりに裕福な層であれば、写真馬車持ちの写真屋を丸ごと雇って気軽に撮影する事も出来る」
エミリー先生はよくぞ出来たとばかりに、ボクの頭を撫でてくれる。
嬉しそうに歯を見せた笑顔だった。
「当たりっ!
その場で現象してその場で渡すって言うのは強いからね。
と、いっても結局は現象・定着の過程もある湿版だから『一瞬の光景をカメラはとらえた!』なんかは出来ないけど」
撫でられる感触が気持ち良かった。
暫く堪能し、視線をお爺様に移す。彼は湿板を月光に透かして眺めていた。
「これはお爺様的に良いのですか?」
「ん、ああ。確かに本来は、現象されるまでを待つ時間も『趣き』ではあるの。
だが、大人が子供に『ワガママ』を押し付けても格好つかん。
突っ立っておるのは流石に子供心には退屈なだけじゃて。子供は完成品だけ見て、趣きの『さわり』だけ触れておけば良いのじゃ。
お前らがもっと大きくなったら、普通通りにするのも良いの。カッカッカ」
そう言ってお爺様はボクに湿板写真を渡してくれた。
なんだかんだで極甘だなあ、この人。
ボクが写真機の構造を理解していて、長い時間の撮影の方も何度か撮った経験があるのを知って、敢えてボクに合わせてくれている。
シャルと一緒に見た写真は、紙に写ったカラーの写真には無い独特の良さが感じ取れる。
白黒の方が、輪郭線がハッキリするんだよな。
「そういえばピーたんが居ないの?可哀想なのじゃ」
「じゃあ、明日会いに行こうか。きっとジョナサンも一緒に居る筈だから」
「うむ!」
本当は明日かどうか分からない。もしかしたらボクが生きている間、ジョナサンはずっと廃人同様の精神かも知れない。
それでも子供に夢を持たせるくらいは良いじゃないか。
そんな他愛もない口約束をし、この度のパーティーは閉会となるのだった。
さて、魔王城でおやすみといこうか。
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