393 龍虎咆哮
父上が息を吸い込み、ゆっくり両腕を回す。
腕を回す際中にやや筋肉が膨れ上がる。
「我、呼吸を以て龍虎と成らん……」
そして天地上下の構えを取ると、再び身体が元に戻る。
単に小さくなったようにも見えるが、無駄を削ぎ落とした完成度の高い構えが、凝縮した筋肉という印象を受けさせた。
「この奥義は【龍虎咆哮】という」
◆
彼がどのようにこの力を得たのか。
それは遠い昔。オルゴート少年が発した一言による。
「ハンナ。俺、この世の誰よりも強くなりたいんだ!」
幼い頃のオルゴートは、独りで生きていると思い込んでいた。そう思わざるを得ない環境で育っていたのだ。
主な原因は、父親であるドゥガルドは外国に出て家に戻らなかった事。
資産といい貴族間の繋がりといい、巨大な家を守る責任は若いオルゴートに圧し掛かり、孤軍奮闘の働きをする必要があった。
蛇足を加えるなら、ハンナが居る限りラッキーダスト侯爵領が滅びる事はない。
歴代当主にどうしようもない無能が出ても、最終的に彼女が擦り合わせする仕組みになっている。
しかし、その働きの隠蔽が余りにも巧みであった為、オルゴートは気付く事が出来なかったし、当主がどうにか出来るのならハンナは手を貸さない。
そもそも神の視点から人間ドラマを見たいハンナとしても『そう思い込み続けていて欲しい』というのが本音だった。
そして先程の台詞に戻る。
ハンナに師事し得た技は、人間でありながら人間を超えるという物。
ともあれ限界を超えようとすれば、人体は壊してしまう。
だから普段は脳からリミッターが掛けられた状態で生活しているのだ。
では魔力による強化はどのような状態なのか。
実は、制御している状態の筋力を魔力で『上乗せ』している状態なのである。
つまり、魔力に頼らずとも『伸びしろ』があるという事だ。
ならば脳の働きをコントロールし、特殊な呼吸などの外圧によって筋肉を励起すればリミッターを外して動く事が出来るのではないか。
そして肉体を破壊してしまう反動による負荷は、後にバリツとして組み込まれる『連動』で体内に分散し受け流す。
それでも無理のある箇所があるなら、『防御魔術』で補う。
これが【龍虎咆哮】である。
しかし魔力で強化出来るのは『素材』が本来持つ特性のみで、防御の魔術は複雑が故に知られていない事が多い。
例えば皮膚の強度や細胞の弾力、軟骨の強度など。
何処の強化が防御するに適しているか多くの家で秘匿技術とされているので軽く覚えられるものでも無いのだが、そこは全能の邪神。
かくして出来上がったのが彼専用の『真の身体強化』と、それを基礎として放つオリジナル技の数々。
それらを携え学園都市で起こる様々な事件をバルザックとテアノと共に乗り越え、『本編終了後でカンストした、昔の少年漫画主人公』となった英雄・オルゴートが完成したのだった。
卒業して正式に侯爵となった彼は、更にそれを『外交』に活かす。
そも貴族が外交として他貴族と接する際、様々な方法が用いられる。
パーティーを開いて顔を広くし、派閥を広くするのも良いだろう。
私設の兵力によって、力で従えるのも悪くない。
なんなら密会での裏取引が好きと言う者も居る。
しかし、オルゴート・フォン・ラッキーダスト侯爵の『外交』は、少々異質だったのだ。
相手の事を「話しても無駄」と判断した時、彼は政治的手段を用いて、相手の家で『密会』を開かせるのだ。
無手で一人、相手の住居にやって来た彼はその人外の域まで達した武力で、どこぞの世紀末救世主の如く私兵たちを千切っては投げして制圧。
『隠居してもらう』等、無理やり言う事を聞かせるのである。
ヤクザ事業に近い貴族が一人を止められないなど恥となり、騒ぐなら貴族社会で生きていけない。
そもそも、チート能力を持っていない人間の無手なので咎める訳にもいかない。
相手側としても失われた文明のオーパーツやチート持ち異世界人等を用意するものの、それでも勝つのが『伝統派貴族の面汚し』『成金の親玉』など様々なあだ名を持ちつつ、強大な権力を持つオルゴートという男であった。
だが、この技は完全にオルゴートの身体に合わせた技術であり、他者は真似が出来ないものだった。
それでも、息子の為に使えそうな部分を抜き出して再編集して『バリツ』という格闘術としたのだった。
──ああ、旦那様が坊ちゃまに伝えている話には『私』の事情は入っていない事を付け加えておきます。
坊ちゃまにも『そう思い込み続けていて欲しい』ですから……。
◆
父上が半生を語り終えた。
彼の居た時代の学園都市では何が起きたのかは、今は語るまい。
しかし、疑問に思った事はある。
「もしかして緋サソリ事件でシオンと戦った時、ソレ使って普通に殴れば簡単に勝てたのでは?」
「お、良い所に気付くね。その通りさ。
でも、あの頃はバリツを教える絶好の機会だったし、お前にも使えるって意味を込めて普通の人間並みの身体能力でやらせて貰ったな」
「負けるとは思わなかったんで?」
「くはっ。俺が負ける筈無いだろう!」
「さいですか」
相変わらず傲慢な人だった。ヤクモといい勝負だ。
まあ、逆を言えば父上のやり方は父上以上の事は出来ないので、ボクは彼のやり方を知った上で別の道を模索せよという意味も籠っているとは思われる。
めいびー。あばうと。きっとその筈。
しかしボク自身としては、父上のコピーになるつもりはない。
父上がヤクモに視線をやる。
「因みにこの手袋は、『精霊布』っていうファンタジー繊維から出来ている物だが、技の威力が変わるとかビックリ技を出すとかじゃないから安心して欲しい。
石油系の合成繊維程度の強度ってだけなんだが、石油製品特有の耐熱性が克服されていてな。俺の戦いって皮膚や爪がボロボロになるから、結構便利なんだ」
「ふ~ん、なるほど。決闘専用装備という事か」
「エレガントだろう……っとなあ!」
──バスン
拳が音速の壁を超えた音。
衝撃波が強風となって此方にも飛んで来て、髪の毛を持ち上げた。
言葉が終わると同時、何事も無かったかのように戦闘は再開されたのだ。
当たり前のようにマッハに達した正拳が、ヤクモの腹に命中する。
拳は胴体を貫通する事はない。腹に少しめり込んだまま、痛がる事も吹き飛ぶ事もなかった。
腹に拳をめり込ませたまま、ヤクモはいたずらが成功した子供のようにニヤ付く。
もしくは鞄の中に鉄板を仕込んで防御した不良学生の顔でも良い。
「特殊繊維のスーツとワイシャツだ。
蜘蛛の糸を用いた対刃服ってのは、この世界にもあるそうだな」
確かに巨大な蜘蛛の魔物の糸を用いた服はチェインメイル並の防御力を持ちつつ羽のように軽いので、鎧の下着にはじまり現在でも暗殺対策など。
銃弾だって防ぐので、昔から貴族専用の高級品として用いられてきた。
あのゴワゴワした感触を愛するフレーズは、吟遊詩人の詩曲で多く用いられている。
しかし、そんな中には時として性能を過信する余り、ハンマーなどの打撃系武器に押し潰されるという戒めの詩も混ざっていた。
「でもこれは、更にタンパク質成分をバイオ工学で研究した物だ。
落した卵だって割らずに受け止めるし、殆どの衝撃を吸収出来ちまう。俺に打撃は効かねえ」
徒手空拳を主体とする父上には痛い展開であった。
……と、ここでクルリと首を回してお爺様に気になった事を聞いてみる。
「ところでお爺様、幾ら情報交換の法則が成り立っているとはいえ、己の手の内を語って良いのでしょうか?」
「これは決闘ではなく『喧嘩』という男比べじゃからの」
「つまり己の『凄さ』を見せびらかす、貴族の自慢比べみたいなモノですか。でも、普通に死にそうなんですがそれは……」
「喧嘩の果てに死ぬのはよくある事故じゃ。『ヤバいヤツ』の烙印を押されるが、それだけじゃの。
寧ろ今回はどちらがヤバいヤツかって勝負になりつつあるし、あわよくば本当に亡き者にする気満々ではあるの」
「そんなものですか……」
荒くれ者も大変なんだなあ。
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