391 お酒の席
お爺様は、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をした。
その一秒後には、露骨に呆れた顔をした。
但しその目からは、精神力の弱い者なら本当に殺せる、歴戦の英傑だからこその洗練された殺気が放たれている。
「……ん、ギャグかの?それともお前の頭がおかしいだけかの?
儂は先代領主で、寧ろ領主以上に権力があるとも言えるのじゃがな。言わば貴様にとって裏ボスなんじゃが」
そんな殺気を飛ばされてもピンピンするのは、ヤクモという人間が魔力に対して鈍感という理由だけでもなさそうだ。
ケラケラ笑って回答を受け止める。
「あっはっは、だからだ。
アンタは戦乱の世界で生きる人間だろ?
ならば、こんな『檻』なんざ壊して暴れ回った方が自分らしい生き方と言えるじゃねえか。
このオリオンは時代背景といい人種といい、騒乱の起爆剤だ。最高の『花火』が作れるぜ。
『ラスボスは仲間に出来ない』なんてゲームは時代遅れだっての」
お爺様は若い頃より戦国時代の海を生きた『悪党』。
故に無法の常識でも会話を成り立たせられるという事だろう。
お爺様の返事は大量の酒だった。
ヤクモの頭上から、酒がドバドバと浴びせたのだ。
度数の強い冷たい液体は顔面を伝ってスーツとズボンをずぶ濡れにした。
酒場などでよく見られる、『ケンカを売る』という意味合いの行動である。
「冷てえじゃねえか」
「ギャグでないなら余計につまらんぞ。
儂はな、あらゆる悪事をやり尽くして飽きたから帰って来た男じゃ。
今更、世界征服だとか国家滅亡だとかの『やり尽くされた古臭いゲーム』を持ってきても何も食指が動かんって。
あ~、時間を無駄にした」
続けざまにかなりの罵声を浴びせられても、ヤクモは動かずニヤニヤと下から覗き込むようにお爺様を見ていた。
浴びせられた酒を拭わず、ペロリと舌で少し舐め取る。
「そりゃ、アンタが小者なだけだからだ。
こんなチッポケな惑星の一部を切り取って全てを知った気になるのは勿体ないじゃねえか。男ならデカい夢を見ようぜ」
「カッカッカ。己の部を弁えず、自分の領地もロクに守れなくて尻尾巻いて逃げた負け犬がよう言うわ。……分際を知れ、小僧」
好々爺な台詞とは裏腹に、お爺様の片手はしっかりとヤクモのネクタイを強く握って、顔を引き寄せていた。
そのまま振り上げたジョッキの底を、脳天に叩き付けようとする。
「お爺様、流石にそれは拙くないです!?」
「なあに。『スキンシップ』じゃよ。
会談の最中、意見が食い違って『ちょっと』態度に出してしまう事はよくある事じゃろうて」
ヤクモが大怪我を負ってしまえばオリオンの街が滅ぶ危機にさらされてしまう。
だがお爺様は本気だ。
というかこの人、よくよく考えれば街を滅ぼしても自分の意見を優先しそうな気がする。
やばいどうしよう。誰でも良いから助けてくれ。
こんな時こそ『ヒーロー』が必要じゃないのかよ。
──ガコン
焦っていたその時である。
突然背後から、扉を開く重厚な音がした。
こんな危機的状況で眼を離すのもどうかと思うが、それでも振り向いてしまうのは生来の気弱さ故か。
「ういー、急いできたから疲れたー。
最高責任者の俺を置いて宴会を始めるとは、酷いジジイも居たもんだ」
四角い穴。
そこから這い出る形で出てきたのは、ヤクモと同じ様に黒い眼と黒い髪の大男。垂れた目付きと無精髭は、別のベクトルで胡散臭い。
服も同様に黒いスーツだが、彼が着ているとダンスパーティーに向かうように見えていた。
そんな声の主を、何時でも聞いてきたボクは知っている。
「父上!?」
「ほーい。パパですよーん」
やって来たのは現ラッキーダスト当主。
オルゴート・フォン・ラッキーダストであった。
「どうして此処に」
「魔王城っていうのはロマンの塊だ。隠し部屋なんて幾つもある。
例えば、玉座の裏に地下室の扉なんてお約束は当たり前のように取り付けられているんだ」
そう言って、四角い穴を指差す。
本来はそこに玉座があるのだが、パーティーを開く為に修業場の掃除の時間の如く移動させた事を思い出した。
でも、そういう意味じゃないよ。
貴方ってずっと領都でお留守番の予定じゃなかったでしたっけ。
声を出す間もなく、父上は相変わらず傍若無人。
高そうなスーツのポケットに手を突っ込み、大股で此方まで歩み寄ると『危険地帯』であるヤクモの隣にドカリと座った。
一方でお爺様は不快そうではあるが、今までの緊迫感が嘘であるかのようにジョッキを下げた。
「ふん、やっと来おったか。ほら、さっさと座らんか。領主はお前なんじゃぞ」
「『デート』をすっぽかされちゃってね。
まあ、なんだ。『代官』の老体に骨を折らせちゃって悪いねえ。此処からは俺が仕切らせて貰うから安心しな。
悪の組織に領が狙われているんだ。『領主』が直々に対応すべきだから、さ」
まさか今までお爺様の言葉って演技?
いやいや。そんな事はない。
しかし、この場面を想定していたならあの行動には時間稼ぎの意味がある筈だ。
首を捻っているとヤクモが呆れ顔で此方に話しかけてくる。
「じれってえな。
いいかアダマス、俺があの挑発に乗っていたらケンカになっていたろ」
「まあそうだね」
「そうすると俺を袋叩きにする名分が立つ」
「それなら宇宙戦艦を動かす名分にもなるんじゃない?」
「なんねえな。
そんなアホな理由で大袈裟に戦艦を動かすのはクルーが付いてこねえ。
俺が卑怯な手で一方的に殺されたなら兎も角、『酔っ払いの挑発に乗った返り討ちで半殺しにされました』じゃ格好悪すぎる。
結局『無法の法』っていうのは、秩序じゃなくて感情なんだ。
そこら辺の沸点の程度とか、あの爺さんはバリアを使って突き落として計ったんだろうよ。
あのまま俺が死ねば危なかったが、俺の能力を『信頼』した倍率の低い簡単な賭けさ」
冒険小説で、主人公が突如暴漢に囲まれると周りの仲間は手を貸してくれるけど、自信満々で酒場に乗り込みイキった挙句、普通にボコボコにされたら呆れ果てるだけって感じかな。
ともあれ、なるほど。
気絶して貰った方が、一番の時間稼ぎになるという事か。
態々教えてくれるなんて良いヤツだなあ。
敵だけど。