380 時を越えてKiss Kiss Kiss
ピーたんが絡めた角は、硬質化しているジョナサンの角の表面から根を張るように侵入し、切り離す前に神経を乗っ取る。
その行為は、共に立場が平等な融合というより『浸食』と言い表した方が寧ろ近いのかも知れない。
何故なら特殊な形であるが、ジョナサンは『喰われて』いるのだから。
体内からじっくりと、意思を持ったまま。
自然界だと珍しい事では無いが、人型生物で見る事になるとは。
例えばフクロムシというフジツボの仲間は、幼生体が宿主となるカニの毛に付着するとハリガネのような器官を伸ばして体内へ侵入する。
そして宿主の体内に枝状の器官を張り巡らせて、神経を乗っ取るのだ。
「ねんねは終わりだ。夢から醒める時間だよ」
ピーたんの発明で最も顕著な部分は、人間が半魚人化したまま正気でいられる事だ。
つまり現在の半魚人化した彼女の身体は、正常な思考に戻す為の『薬』と化していた。
もしかしたら人間よりも半魚人として生きてきた期間が長いジョナサンからしてみれば、ウイルスなのかも知れない。
それでもピーたんにとって人間としてのジョナサンが正常な状態だ。
彼女の愛情はそうだと信じているのである。
──トクントクン
『治療』がはじまった。
今の二人は、一時的に神経で繋がり細胞の行き来が可能な『一つの生物個体』と化している。
故にボンヤリと怪しく光り絡み合う角から角へ、ピーたんの細胞が移植されていった。
身体のコントロールを奪われ、ジタバタと大きな動きも出来ず、ビクンビクンと必死に痙攣するしかないジョナサン。
それでも大穴が空いた彼の身体は、新たな細胞を求め続けて『薬』を急激な速度で吸収していく。
彼の角から、途切れ途切れに魔力波動が溢れて来る。
『い……嫌だっ!辛いだけの現実に戻さないでくれ!
例え悪夢であっても、夢の世界の住人のままでいさせてくれ!』
細かなノイズも混ざっているのだが、読心術を駆使して翻訳した結果はこんな感じ。
誰よりも責任感があり頼りになった男の、後悔の裏返しだった。
『現在の彼』が消滅する寸前、写真を捲るように次々と溢れ出て来るのは半魚人としての生活ではなく、子供を喪った日の記憶である。
融合する事でその気持ちを誰よりも共感できるピーたんは、ポツリと唇を動かした。
「そうだよね。辛かったよね。でもね……」
彼女は片手でジョナサンの首元にあるエラをムンズと鷲掴みにし、無理やり顔を正面に向けて思い切り叫んだ。
「どんなに辛くたって現実は続いていくんだよ。家庭をほっぽり出して逃げて良い理由にはならないでしょうが。
お前の居ない間、私がどれほど苦労したと思っているんだ。この大馬鹿者め」
「ユルシテ、ユルシテ……」
「許す許さないは、私じゃなくてお前の決める事だ。
取り敢えず帰ってこい。そこから、どうしたら自分を許せるか、考えようよ。私も手伝うからさ」
融合による身体の変化だろうか。
ジョナサンは少しだけ人間の言葉を喋った。
そしてピーたんから重くも温い、まるで厚手の布団のような言葉をかけられると眠るように瞳を閉じた。
その表情は穏やかで、少なくとも悪夢を見ている様ではなさそうだ。
最後にジョナサンの角から発せられたのは、人間としての記憶に薄っすらとピーたんとの思い出が残っていて、ちょくちょく岩礁に近付いていたという記憶。
態々ピーたんの探知の網に引っ掛からないよう、少しだけ離れてシーサーピントに街の様子を伺っていたらしい。
あの大量のシーサーペントは、元々はそういう目的に飼育していたという事だ。
まあ、ミアズマがバルザックの魔力波動を飛ばすにしろ、普段からそれなりに近い位置に居なきゃ出来ないよね。
ピーたんは半世紀半ぶりに唇を情熱的に重ねてありったけの『薬』を注ぎこむと、とうとう『悪の半魚人ジョナサン』は動かなくなったのだった。
◆
「オーライ、オーライ」
船上パーティーは終わった。
ピーたんの指示に従いバルザックをマストから下ろしているのは、先程まで敵だった、洗脳された軍人たちである。
彼等はジョナサンという司令塔が沈黙した事で、拘束する鎖から逃れようと激しい抵抗はしなくなっていた。
そこでピーたんが洗脳を上書きしたのである。
貴族権限を使って途中で正気のまま目覚められるより、輸送やら罰則等の意味で黙ってくれたままの方が便利だ。
意思のない『道具』に罪はなく、故に最後まで操られていた状態であるなら罪は軽くなる。
こうしてバルザックは無事に甲板に敷いた絨毯の上に寝かされ、エミリー先生の診察を受けていた。
彼が診察されている最中、シャルはボクの腕に抱かれていた。
と、いうのも彼女として心配すれば良いのか。喜べば良いのか。
どうして良いか解らず半泣きになって絨毯の周りをオロオロしながらグルグル回っていたからだ。
まあ、どう転んでもボクが全責任を負えば良いだけさ。
彼を置き去りにして自爆させたのはボクなのだから。
「顔色は悪いが命に別状はないね。かなり運が良かったんだと思う」
恐らくあの自爆も想定済みで、特殊なポーションでも用意していたのだろう。
なんせ生物学の天才だ。コストを度外視すればとんでもないポーションを作れる筈だ。
勝手に納得していると、色っぽい唇からエミリー先生が言葉を紡ぐ。
彼女の視線は、決定権を持つボクではなくシャルに向いていた。
「それで、どうしようか。このまま意識戻して良いの?」
「……お願いするのじゃ」
「ん。りょーかい」
『確認』を取ったエミリー先生は、液体金属で手袋を作り、両手でバルザックの額に触れた。
手の平から出る魔力波動を相手の脳と同調させて意識を引き寄せる。
原理は催眠と似たような物だ。
『回復魔術』という言い方もあるね。
回復といっても傷口を防いだり、毒を消したりそうマジカルな物ではなく、単なる気付けの一種だ。
魔術波動を織り交ぜる形の古い武術の中にある治療術で、そのせいか主な使い手は騎士階級をルーツとする武官貴族に集中する。
それはそれとしてエミリー先生は天才なので、金があれば知れる程度かつ人間が使用可能な魔術なら全て使えるのだった。
そして隈の入った疲れた目が、カッと開かれた。
読んで頂きありがとう御座います。
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