370 「恋しい…」と詠む言ノ葉
半魚人ウイルスは二次感染しない。
何故なら、半魚人は凶暴故に縄張り意識が強いから。
ネズミ講で同族を必要以上に増やす二次感染持ちは、互いに争い合って滅ぶしかなかったのである。
それ故に彼らの角が持つ探知能力は、同族に対して強く発揮される。
ジョナサンがヒーロー活動で役立てた能力だ。
さて。
ピーたんがエルフを捨てて半魚人になった理由は『ジョナサンを探す為』の一言に尽きる。
半魚人としての彼女は、探知能力に特化されて作られていた。
その性能は半魚人形態でなくてもある程度は有効な物で、なんとオリオンの敷地内に来れば直ぐに察知できる位の射程を持つ。
アダマスの考えていた通りだった。
ジョナサンが帰って来た事を察知する手段を、ピーたんが整えていない筈は無い。ならば聞きに行こう。
実際に戦ってみて、あの魔力波動の操作に特化した角を使っているのではないか。
そしてピーたんは半魚人化の研究をしていた。
気付いたのは、そのような経緯だ。
だからそうなる。
突然、何の前触れもなくオリオンに戻って来たジョナサンを察知するのは必然の事だった。
「ジョナサンッ!?」
別れた日と同じ、三日月の夜の事。
ずっと追い求めて来た、愛している人の魔力波長を感じ取った彼女は、研究所のベッドから跳び起きる。
最後に会ってから百年以上は経っただろうか。何を話して良いか解らない。
それでも彼女は寝間着姿のまま馬に飛び乗り、別の部屋で寝ているバルザックを置いてドラゴン牧場から飛び出した。
辿り着いた場所は市の近くの船着き場。
闇をそのまま溶かしたかのようなくろい海は、月に照らされテラテラ光りまるで生き物のようだ。
其処はあの日、彼が血痕を残して消えた場所。
最終決戦によって崩壊した廃港を改装した場所だ。
市に用のある子供たちが遊んでいる光景が、昼だとよく見られた。
時代が経つにつれて基本設計すら変わり跡形もなくなってしまったが、ピーたんは此処に来るとありありと嘗ての情景が蘇る。
それはトラウマなのか哀愁なのか。呪いなのか祝福なのか。
この日も情景は現実と被っていたが、不足分を補うように『彼』は居た。あの日と同じ形の月を見ていたようだ。
3メートルの大きすぎて細長いシルエット。
闇に染まり全体像がボンヤリする中で、水の光沢が輪郭を縁取る。深海でも視力が効くよう眼球そのものが光り、それがピーたんを睨むように凝視していた。
傍目にはホラー系の逸話からそのまま出て来たような恐ろしい姿で、実際ピーたんにもそう見えていた。
けれど、それこそ彼女にとって『救い』だった。
「ああ……会いたかった……」
ピーたんは眼鏡を取り、恍惚の表情を浮かべる。歩み寄る。
パキパキと角を伸ばし、エルフの耳をヒレに変化させる。
服を脱ぎながら歩み寄り、金色の皮膚に紅玉色の鱗を纏った半魚人の身体を見せつけていく。
ヒンヤリとした潮風が肌を染めた。
近付けば近づく程全体像が見えてくる。あの頃の彼と変わらないままだった。
逞しい腕は自分を縊り殺し、鋭い爪は首を刎ねて内臓をかき回す。
強靭な牙は頭蓋ごと噛み砕くだろう。
馬での移動中はどんな言葉をかければ良いのか何も考えていなかったが、本物を目の前に突然『降りて』来た。
「さあ、あの日の『続き』をやろう」
ジョナサンと同じ姿になったピーたんは何も恐れず、愛おしそうに冷たい彼の頬にピトリと触れる。
「私を殺してくれ……お前とひとつにして欲しいんだ……」
物凄い恍惚感を下腹に感じて、狂気の笑みが止められなかった。
フワフワした気持ちの中から鼻歌のような笑いが漏れていた。
催眠にはかかっていない。至って普通の状態だ。
永い孤独の中、ピータンの心は壊れていたのである。
「GU……GUUUUUU!」
しかしジョナサンは、凶暴に吠えた。
訪れるのは火傷のような痛み。
ピータンの手が弾かれ、確実な『拒絶』の意思が示された。
「なんで?」
そんな一言を言う間もなくピータンの頬が平手に打たれて、身体が宙に浮く。
暗く冷たい海の中に叩き落される寸前、ジョナサンの眼ははじめとは真逆の光を放っていた。
ピータンが海面に叩き付けられる音とジョナサンが海に飛び込む音で、ザバンという音が二つ。
反対側に泳いで行ってしまうジョナサンを見て、ピータンは大粒の涙を流しながら叫ぶ。
「嫌だ!置いて行かないでくれ!
独りにしないでくれよ!独りはもう嫌だよ!」
何年も無意識の中に積み重ねられていた気持ちを、言葉にして彼にぶつけていた。
言葉とは裏腹に泳いで追い掛ける事は無く、伝える事に精一杯だった。
叫ぶたびに言葉が滝のように溢れて来る。
「ケーキ作るの上手くなったんだ。一緒に食べようよ!
半魚人の薬が完成したんだ!もう時間に悩む必要も無いから、ずっと一緒に暮らす事が出来るんだ!
リフォームした家は広いし、大きな庭も出来たんだ。良い所だよ!
またその腕で抱き締めてよ!私を褒めてよ!
ジョナサン……ジョナサーーンッ!」
角は、もう海の深くて遠い所まで行ってしまったと告げている。
それでもピータンは誰も居ない場所へ。水平線の彼方へ。
狂ったように叫び続けたのだった。
──それ以来、何故か彼は度々此方に来るようになった。
それでも私は、彼に会うのが怖くなって会えないでいた。
逆に探知されないように術式を組む事で何かするのを見てはいたけど、只見ているだけだったな。
◆
ピーたんが数日、そんなストーカーのような日々を過ごしていた時だった。
時間軸にして、シャルがはじめてアダマスと出会ったばかりの頃だ。
シャルをオルゴートへ引き渡したバルザックは、紹介されたアポロの飼育員の仕事を、黙々とこなしていた。
今までやった事もない。自分のキャリアも、あり余る学問の才能も通用しない。
そんな力仕事の休み時間。
バルザックは子供の遊ぶ船着き場で感傷に浸っていた。
そんな姿を監視する人間が一人。
ジョナサンはランダムに洗脳して人形にした現地民から情報を得はじめており、バルザックを監視する人間もその内の一人だったのだ。
娘の命を奪った敵の半魚人が得意としていた戦術だった。
──そしてある程度情報を集めると、再び洗脳した人間を使ってバルザックにコンタクトを取る。
「指定の場所に来るように」とね。
貿易港の夕方は、朝から昼にかけて荷下ろしを済ませた商人たちが動き出す。
それ故にとても賑やかだ。
けれど賑やかさから外れた静かな裏路地では、汚い白衣を着たバルザックが居た。
束ねられたまま放置された縄に座り、独り言のように呟いた。
「ふん。私を引き抜こうとする凡人共は沢山見てきたが、魚風情からのスカウトははじめてだ。
似たような物では伝わらないと悟ったか、奇抜なネタで興味でも引くつもりか?
このような『ヌケガラ』にご苦労な事だ」
すると裏路地を形作る壁が少し歪み、腕を組んだジョナサンが染み出すように姿を現す。
タコの様な変色・擬態の能力だ。
半魚人として元々持っている性質であるが、微弱な催眠の魔力波動を広範囲に放ち、周囲に違和感を持たれないようにしており、個性的な『能力』と化している。
これも敵の一人が使っていた物で、使い方によっては、距離感を狂わせたり幻術のような物を見せる事も出来た。
刃のような鱗を飛ばしたりウォーターカッターを放つなど、彼の戦ってきた敵達は、人間だった頃の個性に合わせてそれぞれの能力が発現していたのだ。
ヒーローだった頃のジョナサンは、人間形態と使い分けられる分、半魚人としてのスペックは低かった。
なのでジョナサンが追跡中に得た情報から、ピーたんが「どのようにその現象を起こしているのか」と、能力を解析して対策。
更に彼女の研究結果を使い、驚異的な学習能力試験で自分の物にしながら戦い抜いて来たのである。
同族を増やすウイルス無しで深海で生きていたのもこの恩威が強い。
彼の個性に合わせて能力名を付けるなら『努力』とでも言うべきか。
『別に引き抜きではない。只、お前の願いを叶えに来ただけだ
それが、俺が此処に来た目的なのだから』
実際にはもう少し凶暴で難解な『言葉』であるが、そのような意味合いの魔力波動を放ってきたのであった。
──結局のところ、ジョナサンが帰って来たのは私じゃなくて『バルザックの為』だったんだ。
悔しかったけど、私にはどうして良いか解らなかったよ。
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