367 何にも恐いモノなんてなかった。目に映る全てが希望に見えた
苔むした廃港があった。
大航海時代なので、本来は取り潰して新しい港を作るべき所なのだが、様々な利権が入り組み中々壊せないでいる。
そんな大人の事情を放置して、子供の頃のジョナサンは遊び場に使っていた。
悪ガキは全員集まれば8人で、やんちゃをし過ぎればおやっさんに拳骨を喰らう。
その時は他人だった綺麗なお姉さんにたまに会えれば馬鹿みたいにはしゃで、なんだかんだで友達たちは応援してくれる。
それだけで、幸せだった。
ピーたんが不意を突かれる少し前。
偶然なのか必然なのか。
人影がなく暴れられるという事で、ジョナサンと半魚人の最終決戦が、かつての彼等の遊び場では行われていたのだった。
死闘の結果、廃港は原型を留めていなかった。まるで今の関係を表しているかのようだ。
三日月の光に照らさるのは倒れ伏すジョナサン、見下ろすのは最後の標的である半魚人だった。
彼は魔力波で話しかける。
「寝ていろジョナサン」
彼が人間であった時は、他者への思いやりがありつつ情熱的な人間だった。
少なくともジョナサンが子供の頃から知って同期で入隊した彼は、そんな人間だった。
しかしそんな気持ちの強さが半魚人としての冷酷な人格と混ざる事で、悪い方向へ変わってしまい最悪の武器となっていたのだ。
言葉は喋れないが、魔力波で大体の会話は成立するので会話には困らない。
結果、詐欺師の如く情に訴える事が上手くなっていたのだった。
催眠能力は自身に対する違和感を消し去る事に多く用いて、それ故に捜査の眼を晦まして最後の一匹として生き延びた。
その力は、ジョナサンとの最終決戦にも活かされる事になる。
最終決戦の勝負を決めたのは、オリジナルの半魚人が使ったのと同じ、深海世界でも通じる死んだふり。
ジョナサンとの勝負に負けて倒れたように見えて、背後から飛び掛かり首の骨を折って頭と身体を繋ぐ神経を捩じ切っていた。
それでも死なないのは、半魚人本人が一番知っている。半魚人の身体では単なる骨折だろう。
しかし彼にとって、時間稼ぎで十分だった。
「『薬』は俺が貰う……。俺は、人間に戻りたいんだ」
『薬』については、催眠術を使って前もって様々な情報を集めていたのもあったが、ジョナサンが喋った情報による。
「この戦いが終わったらどうする。折角戻れないなら、一緒に半魚人として生きないか」と、かつての友人としての口調で問いかけていたのだ。
ジョナサンがそれに答える人間だと、昔から知っていたから。
こうして夜の街にて。
傷だらけの半魚人は足を引きずり、『小道具』を獲得した後にピーたんの家に辿り着くのだった。
──思えば『ピーたん』って呼ばせたのもわざとだったんだろうねえ。
そうすれば私は確実に攻撃行動に移る。動物にとっては獲物が攻撃した直後こそ、一番の『狩り』のタイミングだったんだ。
魔力波を用いて半魚人は語る。
ジョナサンが『敗れた』時の映像も添えてあった。
「薬を寄越せ。さもなくば赤ん坊を殺す」
「ふん、馬鹿め。
私はエルフだぞ、人間のように情に流せると思うてか。
此処で赤ん坊を殺しても私はずっと口を噤んでいれば取引にならなし、後に私達はまた新しい赤ん坊を産めば良い。
悔しかったら、私を拷問にでもかけるのだな」
「……」
沈黙が部屋を支配し、再び半魚人は語り出す。
三歳になる娘は部屋の隅で机を盾にして此方をジッと見ていた。そんなものは半魚人の前では無力だというのにだ。
他の子に比べて大きめな身体を小さく縮こませて机に収めようと必死だった。
お気に入りのリボンで赤髪を片結びにしており、ハーフエルフの特徴である整った顔と長い耳は、美人になる将来を感じさせる。
しかし、今の顔はとても怯えて涙でクシャクシャになっている。
それでも娘は声を出そうとはしなかった。
沈黙を破ったのは半魚人である。
「ああ、そうだな。しかしお前はそうしない。
何故ならエルフである前に母親であるからだ」
そう言われてピーたんはニヒルに笑った。
指や肩など全身が小刻みに揺れるのは果たして恐怖による物だったか、皮肉気な嬉しさだったか。
「……フッ、全く。半魚人の癖に余計な事を考える。
これだから『人間』というものは気に喰わん」
──夫だったらそうするだろう。
そんな言い訳を自分に言い聞かせながら、半魚人に薬を渡して使い方も至極丁寧に教えてやったよ。
ジョナサンが喜んでくれるよう、彼の好きな酒のボトルに見立てて作ったものでなあ。
ペキリと瓶の飲み口を折り、効果を高める為の粉薬を数種入れ、彼は希望に溢れた目でそれを口元へ近付ける。
ところでピーたんは、身体を震わせてはいたが肩を落としている訳ではない。
つまり諦めでなかったのは確かで、こんな状況でも何とか出来るのではと必死に考えていた。
例えば、薬を失うとして彼が元に戻るならその身体から抗体を作れるのではという、エルフの錬金術士らしい思考。
例えば、実は半魚人用の徹甲弾を一発だけこめた拳銃を懐に忍ばせているが、此処で撃ったら薬がダメになりそうだし、何より己の射撃技術では賭けになりそうという思考。
──そして例えば、ジョナサンが助けにくるのではという、乙女チックな思考
「アンピトリテェェェェ!無事かああああ!」
突如響くのは、ジョナサンの聞き慣れた声。
近付くのはガラガラと、石畳を木のタイヤが駆ける音。
それは馬車の音だった。
窓の外を見れば、事情に詳しい軍の上司が軍用馬車に乗り、そして荷台に夫そのものを乗せている。
つまり予め望遠鏡で遠くから決戦を見ていた上司は、『負けた場合』を想定して出来る限りの準備をしていた。
ジョナサンに対して秘密裏に、だ。
首を折られて倒れたジョナサンを直ぐに荷馬車に乗せ、ポーションを使って回復速度を速めたのだ。これなら移動しながら元に戻す事が出来る。
骨折を瞬時に治すような強すぎるポーションは副作用が強すぎて人間に猛毒だが、半魚人にはそうでない。
「この……馬鹿者がっ!会いたかったぞ!」
ピーたんは、懐からやたら武骨な中折れ拳銃を取り出し赤煉瓦の壁に放つ。
ズガンと爆薬が爆ぜる音がして、煉瓦の一つが砕けた。
次いで対半魚人用に弾頭に仕込んだ衝撃波が伝わり、周りの煉瓦が幾つか砕けて大穴が開く。
反動で肩が脱臼するが、それは作った時から想定済みだし感情の高ぶりから痛みはまるで感じなかった。
彼の上司が一喝する。
「突撃命令だ!ジョナサン!」
「了解!うおおおおおっ!」
ジョナサンの姿はほぼ完全に半魚人化していたが、それでも瞳に宿った意志は失われない。
『大切な人を護る』。
彼は軍人になった理由を全うする為、全力で身体のバネを使い、荷台から跳ぶ。
鋭い爪を突き出し目指すは敵の腕。此処で腕を切り落とし、薬を奪って飲む。
突然の事態に敵は反応し切れておらず、確実に『いける』タイミングだった。
──『何事も無ければ』であるが、ね。
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