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364 願いが叶う。その日を信じて

 軍服を脱がせたジョナサンの身体は切り傷、噛み傷、酸の火傷もあり、酷い見た目以上に損傷が酷くて、ミイラの如く大量の包帯が巻かれる事になった。

 そこから一先ずの峠を越えて、暫く後の日の事だ。


 蒸気機関で動く生命維持装置に繋がれ、人工呼吸器による淡々とした吸吐のリズムが生存を証明する。

 看病する側としては、平和そうな顔立ちが何とも呑気な物だと感じた。

 二度と目覚めないかも知れないが。


 煉瓦の壁には絵が掛けられていた。

 船の前で、ジョナサンが生まれたばかりの娘を抱いて、その隣にピーたんが立つ、家族全員が揃った色鮮やかな絵だ。


 家族の幸せをどうしても記念に残しておきたいと、ジョナサンが画家に描かせたものである。

 その時は勢いが勢いを呼び、外で絵を描く為にチューブ状にして持ち運べるタイプの絵の具を、ピーたんが特別に合成したのを懐かしく思う。

 画家は驚いていたが、近い将来きっと似たような物は発明されるだろうから、その時に買えと言っておいた。

 そんな時代には風景画も流行るかも知れない。

 フワッと風景に抱いた印象を描くので、名付けるなら『印象派』とでも呼ぼうかと、絵を眺めながらピーたんは苦笑いを浮かべる。


 当時は美的感覚がよく分からなかったので特に感想はなかったのだが、心を刺激する『印象』というものは、彼女が夫の介護をする事に対して大きな支えとなっていたのだった。


「さて、今日も大きな赤ん坊の面倒を見てやらんとな……んっ!?」


 朝。娘はまだ寝ている。

 ピーたんがジョナサンのベッドに近付き、何時ものように顔を覗いた瞬間、寝ている彼と『目が合った』。

 つまり意識を取り戻したのだ。


「「うおっ!?」」


 驚く彼女を置いて、ジョナサンはムクリと上半身を持ち上げる。

 息苦しい様子で呼吸器を乱暴に外して、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をするピーたんをジッと見た。

 後頭部をボリボリと掻きながら自分の周りを見て、軍人ながらに状況を把握。


「『おはよう』と言いたいところだが、こりゃ寝坊じゃ済まされないな……。

取り敢えずアンピトリテ、メシくれ。腹減った!」


 キョトンとしたままのピーたんは、やっと再起動。

 その顔はとても嬉しそうだった。


「あ……ああ!喰え!幾らでも食ってくれ!但し病院食だけどな」

「ええ~、良いじゃんケチ。亭主の飯を用意するのが嫁の仕事だろぉ~」

「やかましいっ!意識が無い間、栄養剤やらオムツやらを取り換えていた私の身にもなってみろ!」


 ピーたんは彼に抱き着き、体重を寄せた。

 その身体は少し細くなっていたが、倒れるものかと踏ん張りを入れて以前と同じ様にピーたんを支える。

 多少姿は変わっていても自分の知っている彼だという実感が、とても嬉しかった。


──亭主の飯を用意するのが嫁の仕事って、なんか女性観が古いのじゃ

──まあ、実際に百年以上は昔の話だしなあ


「ああ、すまない。心配をかけたな。大丈夫、俺は何処にも行かないから」

「良かった……ホントに良がったよおおおお~」


 5世紀近く生きて人の死には何度も立ち会ってきたエルフが、わんわんと赤ん坊の様に泣いた。

 生まれてはじめて愛した人だったのだから。


 尚、後から起きた娘がこの状況を目撃し、二重にジョナサンを困らせる事になるが、それはとても日常的で平和な光景となったのだった。


──でも、その平和は一瞬のものだったんだ。その頃の軍は『半魚人』の話で持ち切りだったからね。

──半魚人はジョナサンが倒したんじゃないかの?

──確かにオリジナルはね。只、『半魚人化した人間』が現れるようになっていたんだ。


 ジョナサンは大きな器になみなみと入れられた麦粥を、飲み物であるかのように豪快に啜る。もう五杯目だ。

 しかし眉間に皺を寄せているのは、自分が寝ていた間に発行された軍の報告書を読んでいるから。


 ピーたんの研究結果によれば、半魚人によって大きな傷を負った人間はウイルスを流し込まれ身体を作り変えられ半魚人になってしまうのだという。

 海底ではこれで『仲間』を増やし、角の魔力波で操って狩りを行っていたという仮説の論文も、学会で発表された。

 敢えて幸いと言うなら、二次感染はしないので半魚人化した人間にはウイルスを作る能力は無いという事。


 珍しく無表情で、ジョナサンは縫われた己の傷跡を指でなぞる。


「……俺の軍服は?」

「感染防止の為に焼却処分しておいた」

「ありがとな。やっぱアンピトリテに任せて正解だ。

軍病院だと士官服だけに『名誉の負傷』とか言ってありがたそうに飾りかねないし。

で、話を戻すけど俺にもウイルスは入っているのか?」

「ああ。その内半魚人化すると思われる」


 絶望的な答え。

 しかし彼は表情を変えない。

 ジョナサンはバカな人間だが、平民出で士官階級になれるくらいには頭が良い。

 そのまま瞑想するように目を閉じて考え言葉を選ぶ。


「……そうか。

すると、どうして俺はまだ半魚人化していないんだ。あの怪我だろ?

もしかして意識不明だったのが良い方向に働いたりしたのか?」

「いいや、残念ながら関係ない。

意識不明の隊員たちも半魚人化した。何人かは『処分』されたけど、7人が脱出して街中に潜んでいる」


 半魚人化した人間は、皆ジョナサンの戦友だ。

 ジョナサンはコミュニケーションを大切にする隊長だったので、物凄い無念を感じたのかも知れない。

 その感傷に割り込むように、ピーたんは本題に移る。


「ジョナサンにはエルフの秘薬を使った。ダメ元でやってみたんだが、上手くいったらしい。

顕微鏡で細胞を観察したところ、あくまで進行を遅らせる程度だがな」

「なっ!?それなら……」


 前に乗り出すジョナサンを手で制す。


「他の皆にも分ければとか言うのだろう?でも、ダメなんだ。数が無さ過ぎる。

伝承によれば秘薬はエルフが里で暮らしていた時に『世界樹』という木から滴る雫から合成されていたらしいのだが、その世界樹の居場所が今は分からない。

もしかしたら喪失したのかも知れないし、別の大陸かも知れない。私達エルフのルーツは様々な論が飛び交っていて解らないんだ」

「じゃあどうして持っていたんだ?」

「家宝さ。先祖代々『正当なるエルフの証』として、何百年も大切に取っておいた、ね」


 言った途端、ジョナサンは気まずい顔をしたがピーたんは慣れない表情筋を使ってニッと笑う。


「ふん、何時もの大笑いはどうした。

私がプライドを捨ててやったのだ。ならば大切に生きるくらい言ってみろ」

「そうだな……。もう絶対死なないよ」

「うむ。それで良い。もう二度と死ぬんじゃないぞ。

そうすれば、完全に半魚人になる前に元に戻れる薬くらい作っておいてやる」


 そうしてピーたんは種族を超越した『誇り』を感じながら、偉そうに胸を張ったのだった。

 本当は作れる確証なんてないくせに。


──まあ、知っての通り『元に戻れる薬』の成果で、今の私はもはやエルフである事すら辞めてしまった訳だがね。

読んで頂きありがとう御座います。


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